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研究活動

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パドマ展示案内と特別講義「金子みすゞ いのちへのまなざし」

ユニット4
開催日時 2013年1月27日(日) 13:30~15:00
開催場所 龍谷大学深草学舎至心館2階 パドマ展示室およびパドマ大会議室
講師 鍋島直樹(龍谷大学文学部教授、人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター長)
参加者 48名(神戸市の小学校教員など)

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 神戸市総合教育センター 授業づくり支援室の要請を受け、神戸市の小学校教員の方々を対象に2012年度後期研究展示「金子みすゞ いのちへのまなざし ―星とたんぽぽ―」の展示案内と関連講義を開催した。小学校教育の現場で金子みすゞの詩を教える先生方に、金子みすゞの詩がもつ魅力と深い洞察について、展示と講義を通して伝えることができた。本講義で学ばれた先生方が子どもたちにみすゞの詩の真の魅力を教えることによって、いのちに対するやさしいまなざしや、いのちがつながっていることへの気づきなどを子どもたちに伝えていただけるものと思われる。本講義は、われわれの「死生観と超越」研究の成果を社会へと還元する格好の機会となった。(RA 古莊)

特別講義「金子みすゞ いのちへのまなざし」を開催

ユニット4
開催日時 2013年1月7日(月) 10:45~12:15
開催場所 龍谷大学 大宮学舎清和館3階ホール
講師 鍋島直樹 氏
(龍谷大学文学部教授、人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター長) 
参加者 150名

*入場無料・事前申込不要

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 本講義において鍋島氏はまず、金子みすゞゆかりの地、仙崎の写真などを紹介しながら、みすゞの生涯を尋ねた。次に、「大漁」「おさかな」「土」「星とたんぽぽ」「こだまでしょうか」などのみすゞの童謡を会場の方々とともに声に出して朗読し、各童謡の深い意味を明らかにした。特に、「鯨法会」「お仏壇」「さびしいとき」などの童謡を取り上げて、みすゞの童謡の背景にある仏教的・浄土教的環境について紹介した。さらに、東日本大震災における講師自身の支援活動のなかで、みすゞの詩が東北の人々に力を与えていたことを紹介し、みすゞの詩のもつ「ことばの力」を詳らかにした。

 新しく得た知見は、今でも仙崎の地で鯨の過去帳が書き足され続けているという事実である。江戸時代から明治初期まで日本有数の捕鯨基地であった仙崎では、鯨の過去帳が作成され、鯨を弔う法要(鯨法会・鯨回向)が営まれていた。しかし、捕鯨が衰退した現在でも、鯨や海の生物に対する法要が続けられている。矢崎節夫氏によれば、現在でも仙崎の人々は、岸に打ちあげられたり魚の網にかかったりする鯨に戒名をつけ、供養し、過去帳に書き加えているという(『みすずさんのうれしいまなざし』JULA出版局、2008年、158-159頁)。このように、みすゞの童謡を生んだ仙崎の仏教的な環境が現在でもこの地に生き続けていることに深い感銘を受けた。(RA 古莊)

特別講義「みんなちがって、みんないい。」を開催

―金子みすゞさんのうれしいまなざし―

ユニット4
開催日時 2012年12月10日(月) 10:45~12:15
開催場所 龍谷大学深草学舎 顕真館
講師 矢崎節夫 氏(金子みすゞ記念館 館長、童話詩人・童話作家)
参加者 715名

主催:龍谷大学 人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター

後援:龍谷大学宗教部

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 矢崎節夫先生のご講演では、「ことばの再生」をテーマに、自分中心のまなざしの転換を促す金子みすゞの詩の奥深さをわかりやすくご紹介いただいた。「積った雪」「こだまでしょうか」「私と小鳥と鈴と」「柘榴の葉と蟻」「さびしいとき」「土曜日曜」「桃の花びら」「土」「浜辺の石」「去年」「犬」「しけだま」などのみすゞの詩をもとに、こだますることが人間にとって最も本質的であること、〈辛さと幸せ〉や〈あなたと私〉など、すべてのものが「二つで一つ」「二人で一つ」であること、そして、あなたがいてはじめて私があるという「あなたと私」のまなざしなどについてお話しいただいた。

 教えられるところの多い先生のご講演の中でも、とりわけ新しい知見として得たことは、先生のみすゞ解釈が、さまざまな支援の実践と「菩薩行」とが結びついていることであった。

 自己中心の「私とあなた」のまなざしから、「あなたがいてはじめて私がいる」という「あなたと私」のまなざしへの転換は、「あなたがいてくれて、はじめて私がいる」という、かけがえのない他者への感謝の心を生み出す。声に出してみすゞの詩を読み、まわりの他者に感謝を伝え、さまざまな実践を行うなかで、まなざしが転換していき、他者とともに真の倖せを生きることができる。他者とこだまし合うことができる。矢崎先生のみすゞ解釈は、他者と共に生きるという実践に深く結びついている。

 実際に、矢崎先生をはじめ、みすゞの詩を愛する人々は、ネパールの人々や東日本大震災の「代受苦者」の方々へ想いを寄せて、継続的な支援活動を行っている。「代受苦者」とは、矢崎先生が永観堂の中西玄禮先生から教わった言葉で、〈私が受けたかもしれない苦しみを代わりに受けて下さった人〉のことである。自分のこととして東北の人々に思いを寄せ続けることこそが、支援活動を継続的に行う上で最も大切なことである。そして、思いを寄せ続けることを可能にしているのが、みすゞの詩と矢崎先生のみすゞ解釈なのである。

 矢崎先生はさまざまな活動を「菩薩行」ということばでも表現されていた。実践と深く結びついている矢崎先生のみすゞ解釈は、仏教思想に基づいて社会貢献や被災地支援活動を実践する際に、大きなヒントとなるのではないだろうか。(RA 古莊)

講演会「精神科医が語るブータンの<幸福>」を開催

各ユニット共通
開催日時 2012年11月11日(日)19:00~21:00(開場18:30)
開催場所 龍谷大学 アバンティ響都ホール
講師 Dr.Chencho Dorji(Jigme Dorji Wangchuck National Referral Hospital, Bhutan)
参加者 ※入場無料、一般聴講歓迎、同時通訳有

講師紹介
Dr.Chencho Dorji,1958年、ブータンのパロ生まれ。ブータン唯一の精神科医。ヒマラヤの自然の中、自給自足の生活で育ち、インド、スリランカ、アメリカ、オーストラリアで医学を修める。帰国後、西欧精神医学の普及のみならず、伝統精神医学を取り入れた地域主体のメンタルヘルスシステムを構築。GNH(国民総幸福)を指標するブータンで、心を守る仕事に尽力している。

 

共 催:龍谷学会
    人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター
    アジア仏教文化研究センター
 

UNIT4 特別対談「行方不明の夫に宛てたラブレター」

ユニット4
開催日時 2012年10月1日(月) 午前10時45分~12時15分
開催場所 龍谷大学 大宮学舎東黌205教室
講師 菅原文子(気仙沼市ご遺族)

参加者 60名

 2011年3月11日午後2時46分、観測史上初のマグニチュード9の東日本大震災が発生しました。警察庁によれば、2012年3月11日の時点において、死亡者15,854人、行方不明者3,155人です。東日本大震災から一年以上を経て、あらためて言葉にできないほどの無念さや悲しみがあふれてくる。行方がわからない状態の方やお亡くなりになった方、一人ひとりにかけがえのない人生があったことが偲ばれます。この特別対談では、その悲しみと悔しさを忘れず、悲しみから生まれる大切なことを私たちがそれぞれ受け継いでいくことができればと思います。
 この特別対談では、気仙沼市に住むご遺族、菅原文子さんをお招きし、真実の体験を聞き学びます。東日本大地震の約40分後、20メートル近い高さの津波が何度も気仙沼市を襲ってきました。その津波で、自宅の酒屋を片づけていた菅原文子さんの夫が流され、行方不明となってしまいました。ご自宅も全壊しました。しかし、文子さんはその無念さの中で、夫が築いた「すがとよ酒店」を、息子さんたちと力を合わせて、2011年4月23日に再開しました。そして、あの大地震から五か月後、2011年夏の終わり、文子さんは一通の手紙を夫にあてて書きました。そのラブレターが、京都市の和洋紙販売会社「柿本商事」が企画した手紙コンクールで、「恋文大賞」を授賞しました。約9000通の応募の中から選ばれたラブレターでした。私はこのラブレターを、KBSラジオ番組「京のあったか円かじり」のキャスター本多隆朗さん、伴真理子さんを通して知り、とても感動しました。それから、龍谷大学文学部教義学特殊講義「死生観と超越」において、彼女のラブレターを学生たちに紹介したところ、学生たちも感動し、彼らのメッセージを気仙沼市の菅原文子さんに届けました。そのような交流が花開いて、この特別講演が実現しました。菅原文子さんには、心から感謝を申し上げます。この菅原文子さんの真実のお話を静かに聞き、私たちが、死別の悲しみから生まれる真の愛情について学び、被災地を少しでも応援することができればと思います。(龍谷大学文学部教授、CHSRセンター長 鍋島直樹)

 

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 本対談では、宮城県気仙沼市にお住まいの菅原文子さんをお招きして、東日本大震災以降に体験されたことをお話しいただいた。

 菅原さんの夫は、菅沼さんの目の前で津波に呑まれ、行方不明となった。菅原さんは、夫への想いや被災の現実を詩や歌として折に触れて書きとめられ、2011年の夏の終わりに夫に宛てて書かれた菅原さんの手紙が、京都市の和洋紙販売会社「柿本商事」主催の手紙コンクールで「恋文大賞」を授賞した。このご縁で、夫とともに築いた「すがとよ酒店」を再開し、経営を続ける苦労の日々や、夫の遺体が発見されてからの心の変容などを記した菅原さんの詩や歌が一冊の本としてまとめられることとなった。本対談では、この本や手紙に書きとめられた想いを菅原さんにお尋ねしながら、対談が進められた。

 新しく得た知見としては、被災体験を書き残し、本として保存されることの大切さである。死者数や被害総額など、数値化することのできる震災の記録は後世まで容易に伝わるが、被災や復興の日々を過ごす一人ひとりの被災者の想いは、菅原さんの本のように、まとまった形で保存されなければすぐに失われてしまう。しかし、被災していない者にとって、また、将来別の災害などで被災することになったときに、菅原さんの本のような記録こそが明日を生きるための大きな指針となるのではないだろうか。一人ひとりの被災者の想いを後世に伝えていくことの大切さに気づかせていただいた。(RA 古莊)

 

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ハーバード大学との共催による研究会「彼方からの近き声」

日本仏教とヨーロッパ大陸の哲学

開催日時 2012年11月30日金曜日 4 時~ 6時
開催場所 ハーバード大学 世界宗教研究センター

「彼方からの近き声:日本仏教とヨーロッパ大陸の哲学」

Close Voices from Far Away: Japanese Buddhism and Continental Philosophy

Harvard Divinity School

Center for the Study of World Religions

Common Room

Sponsor Center for the Study of World Religions and the Center for Humanities

Science and Religion at Ryukoku University, Kyoto

趣旨:

Note Three presenters will offer a look at the Zen and Shin Buddhist traditions in the light of continental philosophy, and continental philosophy in the light of Japanese Buddhism.

 

発表

"Naturalness in Zen and Shin Buddhism"

Bret W. Davis, Associate Professor of Philosophy, Loyola University Maryland

 

"Levinas in the Light of Shinran"

Charles S. Hallisey, Yehan Numata Senior Lecturer on Buddhist Literatures, Harvard Divinity School

 

"Freedom in Shinran and Heidegger"

Dennis Hirota, Professor of Shin Buddhist Studies, Ryukoku University and visiting scholar at CSWR

オレゴン州立大学 シンポジウム"The Storied Self: Issues in Buddhist Narrativity"が開催

開催日時 2012年10月19日~20日
開催場所 オレゴン州立大学Lawrence Hall, Room 177
講師 Akiko Walley (University of Oregon), David Quinter (University of Alberta), Eric Tojimbara (University of Oregon)
Richard Payne (Institute of Buddhist Studies), Elizabeth Grosz (University of Oregon) Jared Lindahl (Waren Wilson College)
Naoki Nabeshima (Ryukoku University) and Maram Epstein (University of Oregon)

International Conference

The Storied Self: Buddhist Narrativity in Comparative Context

October 19-21, 2012

University of Oregon, Eugene, USA

This event is cosponsored by the Center for Asian and Pacific Studies Jeremiah Speaker Fund, the Department of Religious Studies, Ryukoku University Open Research Center, the Institute of Buddhist Studies-Graduate Theological Union, the Oregon Humanities Center, the Department of Philosophy, the Department of East Asian Languages and Literatures, the Asian Studies Program, and the College of Arts and Sciences.

Conference Organizer: Mark Unno, Department Head and Associate Professor of Religious Studies, University of Oregon

 

Keynote Addresses

Willoughby Britton (Brown University)

“Narrative Self and Buddhist Meditation in Western Psychiatry”

Jason Wirth (Seattle University)

Respondent: Naoki Nabeshima (Ryukoku University)

Individual Papers

Maram Epstein

“The Paradox of the Buddhist Self in Ming Qing Novels”

Elizabeth Grosz

“"Nishida, Watsuji, and Phenomenology: the Self in Context"

Jared Lindahl

"Transforming the Self: Narrativity in Buddhist Stages of the Path Literature"

Naoki Nabeshima

“Bonds Transcending Life and Death: Stories of Suffering and Joy from the Great Eastern Japan Tragedy of 2011”

Richard Payne

"The Self is a Self-Constructing Construct: Narrative and Buddhist Praxis"

David Quinter

“Eison and Problems of Buddhist Narrativity”

Eric Tojimbara

"Myoe Re-membered: Integrating Text and Body in the Hagiography of Myoe Shonin"

Myoe Koben's (1173-1232) act of severing his ear at the ago of twenty four

Akiko Walley

"Presenting the Self/ Self Presence: The Function of Inscriptions in Early Japanese Buddhist Art"

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成果概要

   物語(ナラティヴ)研究は、宗教的研究を含み、人間性を開発する重要な構成要素としてますます注目されている。個性(selfhood)に関する物語性は、社会構造の多様な文脈との緊張の中で生まれる。この国際会議The Storied Self: Buddhist Narrativity in Comparative Context「物語る自己―比較文脈における仏教の物語性」では、仏教の死生観と迷いの超越の実際的意義、すなわち、人生の危機的な問いにさらされた自己の物語性を仏教研究の角度から考えるために計画された。精神医学、禅仏教学、浄土教研究、宗教哲学、歴史学、文学研究、臨床心理学の分野の国際的な研究者が学際的に協同して発表した。

   新たに得た視点は、西洋社会に浸透した仏教の瞑想の誤解と真価である。特に、基調講演の一人、Willoughby Britton(ブラウン大学教授、精神科医)は、ダライラマ14世と共に、心の平安をもたらす瞑想と脳科学の関連性を研究する先端の精神科医であり、“Narrative Self and Buddhist Meditation in Western Psychiatry”「西洋の精神医学における物語る自己と仏教の瞑想」というテーマで発表した。物語る自己は心の健康を快復させる精神医学において重要な役割を果たしている。Willoughby Brittonは仏教の瞑想を精神医学の干渉(治療)、認知療法(cognitive therapy)に組み入れ、否定的な物語を意義あるものに変えうるように取り組んできた。過去30~40年間で仏教の瞑想方法は評価を得て精神医学に取り入られてきた。仏教の瞑想を基盤としたマインドフルネス、「今ここでの経験に評価や判断を加えることなく、静かに省察する」といストレス軽減法は、学校やアメリカの軍隊などに適用されている。その瞑想によって抑うつや不安などが軽減され、集中力が高まるというよい効果が報告されている。瞑想によってすべてから自由になる。しかし他面、瞑想の導入により、自己であるという意識が希薄になり、人格が消えうせる(depersonalization)、自己を喪失してしまうという恐怖が立ち現れる事例も報告されている。ダライラマ14世は、このように瞑想によって人格が消えうせてしまうという体験に陥るのは、「理論的準備の欠落(lack of theoretical preparation)」であると助言したという。もう一人の基調講演者は、Jason Wirth(シアトル大学教授、禅仏教学)であり、『正法眼蔵』の研究と禅の修道体験を踏まえて、時間の概念、物語る自己と芸術に焦点が当てて発表した。永遠の時の中で、小さな自己の時はどこにあるのか。物語る自己は迷いでありつつ、さとりにどうかかわるかといったテーマである。これらの基調講演を受けて、レスポンデンスをした鍋島(龍谷大学教授、真宗学)には、仏教の真価が問われた。西洋社会に導入された瞑想は、空(emptiness)や無我(selflessness)という概念が誤解されて、自己の存在が大宇宙の中で小さくなり消えてしまいそうな恐怖をもたらすという。それでは、小さな自己の物語、消え入りそうになってしまうネガティブな側面をどう受け止めたらよいのか。そこで、それに応える教理と事例として、親鸞の本願思想と東日本大震災で学んだ遺族の語る真実の物語を紹介した。阿弥陀仏の摂取不捨の本願は海に喩えられる。「如衆水海一味」と正信偈に説かれるように、阿弥陀仏の本願海は、あらゆるものをうけいれ、さとりに転じる母である。自己の小さな物語は一滴の水、迷い、不安のくりかえしである。しかし、海は、一滴の水のような私の物語を自己自身とし、一滴の水は、海を自己自身としている。したがって大いなる海にとって、一つひとつの小さな物語は不可欠である。また、東日本大震災で経験した真実の話とは、町民に避難を呼びかけ続けて、津波に流されて亡くなった故遠藤未希(24)さんの話と、未希さんの両親が語った、かけがえのない虹の物語である。ご遺体が見つかって葬儀が行われる日に、一直線の虹が空にかかった。その写真を私はご両親に見せていただいた。その一直線の虹の写真は、未希さんの両親にとっては、娘の未希さんの死が特別なものであり、未希さんが町民を救うために避難を呼びかけつづけるという特別な役割をもっていたことを感じさせるものであった。しかもその写真は、単に両親にとってだけでなく、同じように家族を失って生き残った遺族にとっても勇気づける物語である。したがって迷いを照し護る光の物語はどれほどタイニーであっても、普遍性を有する。空や無我の世界は、小さな物語る自己が大いなる世界とつながっていることを示すものであり、自己を虚しくすることを教える思想ではないことを話した。このシンポジウムでは、基調講演者ならびに会場の聴衆との一体感が生まれた。(鍋島)

第5回日本スピリチュアルケア学会学術大会開催のお知らせ

各ユニット共通
開催日時 2012/09/29 ~ 2012/09/30
開催場所 龍谷大学 大宮キャンパス

 

HP     http://www.spiritual-care.jp/

UNIT1 国際ワークショップ 「親鸞とヨーロッパ大陸の哲学 Shinran and Continental Philosophy」

ユニット1
開催日時 2012年6月25日(月) 10:00 - 16:30
開催場所 龍谷大学 深草学舎 至心館2Fパドマ大会議室
講師 Presenters & Program 発表者とプログラム:
1. Hirota, “Dwelling in a World of Nearness”
2. Hallisey, “Seeing What Escapes Our Graze: Reading Shinran with Levinas”
- Lunch – 12:50–13:30
3. Davis, “Nishida and Levinas: Ethical Alterity and Religious Difference”
4. Fredericks, “Gadamer and Levinas”
5. Parkes, “Response: Shinran in the Light of Heidegger and Levinas”
参加者 Participants/Discussants 参加者・討論者:
1. Dennis Hirota (龍谷大学文学部教授)
2. Charles Hallisey (Harvard University, U.S.A.)
3. Bret Davis (Loyola University, Maryland, U.S.A.; Kyoto University)
4. James Fredericks (Loyola Marymount University, L.A., U.S.A.)
5. Graham Parkes (University College Cork, Ireland; Nanzan University)
6. Mark Csikszentmihalyi (University of California, Berkeley, U.S.A.)
7. David Matsumoto (Institute of Buddhist Studies, Berkeley, U.S.A.)
8. Eisho Nasu (龍谷大学文学部教授)

 今ワークショップは、クローズドでの開催。

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 発表・討論は全て英語で行われた。

 欧州哲学者(ハイデガー、レヴィナス等)の視点を通して、親鸞思想を再解釈しようという趣旨の元、本ワークショップはクローズドで行われた。

 参加者は終始活発に意見を出し合い、熱心な討論が行われ、大変密度の濃いハイレベルなワークショップとなった。

 親鸞とその思想を、多角的な視野から再認識・再解釈することができ、8名の参加者は新たな知見を得ることが出来た。

(RA 釋氏)

UNIT1 国際シンポジウム 「宗教と生命倫理」

ユニット1
開催日時 2012年5月28日(月) 13:15 - 16:30
開催場所 龍谷大学 大宮学舎 西黌2階 大会議室
講師 1. 「科学、倫理、宗教—キリスト教の場合—」(英語発表・日本語訳あり)
ジェームズ・J・ウォルター (ロヨラ・メリーモント大学教授(カトリック神学、生命倫理)、生命倫理研究所長)
2. 「心おきなく死ねますか —生老病死と終末期医療—」
早島 理 (龍谷大学文学部教授・実践真宗学研究科)
3. 「日本仏教と臓器移植」
ウーゴ・デッスィー (ライプツィヒ大学宗教学講師)
参加者 - モデレーター
廣田デニス (龍谷大学文学部教授、CHSRユニット1リーダー)
- レスポンデント
嵩 満也 (龍谷大学国際文化学部教授、CHSRユニット2)
鍋島直樹 (龍谷大学文学部教授、CHSRセンター長)
那須英勝 (龍谷大学文学部教授、CHSRユニット1)

CHSR ユニット1 & 実践真宗学研究科 共同

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①13:15-14:30

ジェームズ・J・ウォルター氏 (Prof. James J. Walter)

「科学、倫理、宗教:キリスト教の場合 The Intersections Between Science, Ethics and Religion: The Catholic Bioethical Tradition From an Historical Perspective」 

ロヨラ・メリーモント大学教授; カトリック神学、生命倫理、オースティン・アン・オマリー生命倫理研究所長(アメリカ合衆国) Loyola Marymount University, Los Angeles, Professor of Theology, Austin & Ann O'Malley Chair in Bioethics, The Bioethics Institute

 

 今発表では、ローマンカトリックの宗教伝統の視座から、科学・倫理・宗教の交差について論じる。

 最初にこれらの言葉の定義づけをする。

 科学とは、物質界に対するデータ、説明、解釈、評価に関わる。言い換えれば、科学とは 物質界における我々の経験とその固有の法則を意味づけることを意図する。

 倫理とは、我々の道徳上の体験に対する解釈や評価をともなう学問(科学)の一分野である。その論議はまた、価値観と道徳上の義務の体験や、善悪と正誤の判断を、解釈し意味づけようとするために、記述的で説明的でもある。

 宗教とは、例えば「何故我々は少しでも望むべきか?」等、究極の意味に疑問を掲げるものである。

 つまり“交差”により、科学と(神学上の)倫理が互いに関係しあい、いかにある一つのリソースが他によって使用されているのだろうかという、様々な方法なのである。

 第2の発表内容は、5つの違う方法(テーマ、交差)が、カトリック生命倫理学の歴史的な伝統は、特定の話題について科学と、道徳の公式化の判断に関するその解釈を用いていた。以下は、5つの“交差”、テーマに関する要点である。

 

テーマ1: 科学からの情報、説明、解釈、評価は、神学的倫理と道徳的判断に影響を及ぼすべく交差を交わらない。

テーマ2: 科学によって記述され説明される出来事は、神学的・倫理的見解から、再記述・再説明されるか、さらなる意味が与えられる。

テーマ3: 科学と科学的証拠は、神学倫理原則がそれから応用される出来事と状況の説明や分析をもたらす。

テーマ4: 神学倫理は、倫理的真理に対しその主張に重要性を加えるために、科学から権威を借りる。

テーマ5: 倫理学のデータ・解釈・説明は、それら科学と比較的独立している。それゆえ、それらは権威の相関的独立性を持っている。しかしながら、科学のデータ・解釈・説明は、科学自身よりその根拠からは答えきれないような疑問を、神学と倫理学へ掲げることが出来うる。

 

 特にテーマ5が生命倫理学上のトピックに関する今後の論議に、最も大きな可能性を持つということを論じる。 

 

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②14:40-15:40 

早島理氏 

「心おきなく死ねますか — 生老病死と終末期医療 —」

龍谷大学教授・滋賀医科大学名誉教授

 

はじめに

 今発表のテーマ「心おきなく死ねますか」は、終末期医療の問題を手がかりにして、仏教思想の視点から生命倫理を見直すことを意図したものである。また心おきなく死ねるのは、心おきなく生きてきたからであることも付言しておきたい。

 

1. 「生命倫理」を確認する

 「生命倫理」をここでは「主に医学・医療の視点からみたいのちのルール」と考える。この用語は比較的新しい言葉である。我が国で「生命倫理」そのものの基準的定義が提案されたのは2002年慶応大学で開催された医学系大学倫理委員会連絡会議においてである。そこで提案された生命倫理の基準は、

 「生命科学の発展がもたらす可能性」と「人間の尊重・尊厳」とのバランスである。

 とされ、具体的には次の3ヶ条の説明が付加されている。

 1) 生命倫理は共同体・社会の行動規範であり、個々人の倫理観とは異なる。

 2) 生命倫理は社会の中で生成・発展・生長・醸成する。先端医療の発展、時代とともに変化するものである。

 3) 生命倫理は生命科学の進展を阻止・阻害するものではない。社会が理解・許容できる範囲で生命科学を進歩・発展させる。

 ここで注目すべきは、生命倫理は「個々人の倫理観ではなく、共同体・社会の行動規範」であると位置づけられていることである。現代的課題である「脳死臓移植」を例に説明しよう。平成21年「改正脳死臓器移植法」が成立した。その個々の内容の是非を今は問わない。この改正法が上記の「共同体・社会の行動規範」の具体的なあらわれである。医療の治療手段として21世紀の日本社会が脳死者からの臓器移植を「社会の行動規範」として認知したのである。ただし、一人一人が脳死臓器移植をどのように受け止めるかは「個々人の倫理観」もしくは個々人の死生観による。あるいは「いのち」の受け止め方による。

 

2. いのちの受け止め方

 病気や交通事故などで親しい身内を亡くした時、私たちは思わず「なぜ死んだの?」と問う。お医者さんは「ガンで手遅れだったから」、あるいは「交通事故で出血多量だったから」と答えるだろう。お釈迦さんなら「それは生まれてきたからだよ」と応えるに違いない。全く異なる内容であるが両者とも正しい。前者は「生命の機能・構造・作用」からの回答、すなわち生命科学・医学医療が扱う「生命」の視点からの回答である。他方後者は「いのちの存在意義、生きていることの意味」からの回答、すなわち宗教・仏教が語る「いのち」である。さきどの脳死臓器移植で言えば、脳死臓器移植を可能にした移植技術や免疫反応・免疫抑制の説明は前者に連なり、「他者の生死に関わってまで長生きすることの意味は?」の問いかけは後者に基づくものである。

 近現代の医学医療を含む科学(サイエンス)が中世ヨーロッパにおける神学と哲学(広義)の拮抗対立関係を経て成立したことはよく知られている。両者の対立関係は「役割分担」すなわちここでのテーマに限定すれば、「生きることの意味」は神学が、「生命」の構造・機能の説明は「科学」が受け持つことにより乗り越えられ、後者が前者に束縛されることなく発展する礎を開いたと言われる。肝要なことは、生きることの意味を求めることは、現代の医学医療の学問体系には最初から含まれていないことである。したがって、現代の医学医療に関して「共同体・社会の行動規範」を扱う生命倫理は、「生命の機能・構造」に関する社会・共同体の許容範囲を論じることは可能でも、「いきることの意味」を論じることは難しいと言えよう。

 さらに医学・医療を含む科学は本来人間の欲望・願望(長生きしたい、健康でありたい)を充足するためにあり、生命倫理も同じ方向にある。他方、「いきることの意味」を問うことは、その根底に欲望願望の制御抑制をも含むものであり、生老病死すべてをいのちととらえ、人間の欲望・願望を煩悩ととらえる仏教思想こそが個々人の生き方死に方すなわち「生きることの意味」を問うものである。

 

3. 終末期医療と二項包摂

 一昔前まで、自分で食事が取れなくなる、意識がなくなる、あるいは自分で呼吸ができなくなると、残念ではあるがやがて死ぬであろうと本人も周りも受け止めていた。現代では医療が進展し、そのまま生かしておくことになる。穏やかに死ねない時代に変わったのである。死ねない時代の生き方死に方、終末期医療について生命倫理は種々の議論を展開するが、突破口を見い出すのは難しい。

 嘗て、医学医療は「生き抜く力」(最後の最後まで生を生き抜く)に重点をおいていた。緩和医療の考え方の広がりとともに「死の受容」(死を受容し、最後の時をその人らしく生きる)に力点が移動しつつある。あれかこれかの二者択一の考え方である。

 しかし、これからの終末期医療に重要なのは、矛盾対立する二項(生き抜く力と死に逝く力)の否定的選択ではなく、あれでもこれでもの「二項包摂」の思考方法ではないか。例えば有と無という矛盾対立する二項を否定的に一項選択するのではなく、有と無との両者をそのまま成立させている、仏教の「空」の考え方である。あるいは西田幾多郎の言葉を借りれば「絶対矛盾の自己同一」的な思考方法である。

 それは終末期医療における「・・・にもかかわらず生き続けることの意味、重さ」と「・・・にもかかわらず死に逝くことの意味、重さ」の両者をそのまま受け止めるあり方である。

 

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③15:40-16:30 

ウーゴ・デッスィー氏 (Dr. Ugo Dessì) 

「日本仏教と臓器移植:グローバリティー、ローカリティー、境界交渉 Japanese Buddhism and Organ Transplantation: Globality, Locality, and Border Negotiation」

ライプツィヒ大学宗教学講師(ドイツ) Religious Studies, University of Leipzig, Germany

 

 1997年まで日本は、脳死についての法律を持たない数少ない国の一つであった。死亡認定の通説は、心拍停止、呼吸停止と瞳孔散大という伝統的な「三徴候」に基づいていた。そして1997年に初めて、臓器移植は臓器移植に関する法律にしたがって統制されてきたが、2009年に臓器移植法は改正され、年齢を問わず、脳死を一律に人の死として認められてきた。日本の伝統仏教だけではなく、様々な宗教団体は脳死を一律に人の死とすることに抵抗した。脳死についての議論は今でも続いているが、この考えは日本宗教文化に合わないと主張する仏教者が少なくない。今回私が示唆したいのは、脳死臓器移植に関する議論がグローバル社会に密接に関連しているということである。

 第一のポイントはグローバリティー(globality)、つまり地球意識という概念に関係付けられている。

 日本での臓器移植に関する議論は1980代に始まり、国外の臓器移植の技術の発展の結果としても考えられると思う。こうした新しい医学的な知識・技術はますますグローバル化すると共に、日本でもグローバル・スタンダードに同調するべきだというプレッシャーが強くなってきた。このプレッシャーの一つの結果が、臓器移植法なのではないかと私は思っている。

 第二のポイントはローカリティー(locality)、つまり土地意識という概念に関係付けられている。

 グローバリゼーションの一つのダイナミックは価値観の相対化だが、地方レベルでは相対化と文化的帝国主義に対する抗議もよく見られると思う。このような抗議の一例は、脳死の概念に抗議する日本仏教からのものである。日本仏教の主張は、臓器移植のそれ自体が悪いのではなく、問題はそのタイミングであるという。

 日本仏教では、均一化に対する抗議は「三徴候」の伝統に基づき、西洋文化と個人主義とに結び付けられた脳死の概念を疑いの目で見ている。

 第三のポイントは宗教と科学の間の境界交渉(border negotiation)に関係していると考えられる。

 日本の内外であっても、法的な死の定義をめぐる論争は、世界中で見られる宗教サブシステムと科学サブシステムの間の争いである。この論争で、日本仏教は科学サブシステムが「いのち」の尊厳に反対すると主張し、科学が宗教的な次元に介入するかのように見られる。このような介入に対して、日本仏教は伝統的な価値観を主張しようとすることが、一般的なレベルでよく見られるのである。

 


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 以上3名の発表者より、それぞれのフィールドから「宗教」と「生命倫理」に関する提言がなされた。特にアメリカでカトリックの立場から生命倫理の研究を進めているウォルター氏の発表は、我々がなかなか知りうることのできないアメリカでの宗教と生命倫理の関わりの現在の状況を新たに知らしめた。早島氏とデッスィー氏の2名の貴重な提言とともに、本シンポジウムは、今後の日本での仏教と生命倫理に対する新たな知見を、我々に与えるものとなった。

 なお参加人数は本学教員・学生を中心に62名であった。

(RA 釋氏)

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UNIT3ワークショップ「世界に広がる妙好人」の開催

ユニット3
開催日時 7月10日(火)15:00~17:00
開催場所 大宮学舎 清和館3階ホール
講師 佐々木 恵精 (浄土真宗本願寺派総合研究所所長)
菊藤明道 (京都短期大学(現 成美大学短期大学部)名誉教授、文学博士)
参加者 一般聴講歓迎・事前申込不要

本ワークショップは、研究展示「妙好人における死生観と超越」の関連講義として開催いたします。
 

UNIT3ワークショップ「妙好人伝の世界」の開催

ユニット3
開催日時 7月5日(木)15:00~16:30
開催場所 大宮学舎 西黌2階大会議室
講師 龍口明生(龍谷大学名誉教授)
万波寿子(龍谷大学非常勤講師)
参加者 一般聴講歓迎・事前申込不要

本ワークショップは、研究展示「妙好人における死生観と超越」の関連講義として開催いたします。
 

UNIT2 ワークショップ 開催のお知らせ

ユニット2
開催日時 2012 年7 月12 日(木)17:00~18:30
開催場所 深草学舎至心館2Fパドマ大会議室

1. 宗教的信における超越とその構造
      -諸井慶徳の宗教論-
       澤井義次(天理大学、宗教学)


2. ムカッリフ(能力者)概念をめぐる信仰告白表明と審判
       四戸潤弥(同志社大学、イスラーム学)


3.<下への超越>と<将来する浄土>
      -武内義範の「信楽の思惟」-
      高田信良(龍谷大学、宗教学)

UNIT2 ワークショップ 開催のお知らせ

ユニット2
開催日時 2012年5月17日(木) 15:00~16:30
開催場所 龍谷大学深草学舎 至心館2F パドマ大会議室
講師 1.本多 真(人間・科学・宗教ORC、RA 国際文化学)
   "仏教と環境問題"研究の推移と現状-問題の所在と今後の展望-
2.古荘匡義(人間・科学・宗教ORC、RA 宗教哲学)
   宗教と哲学の対-話-ミシェル・アンリの『キリスト教の哲学』について-


 

第2回 全体研究会のお知らせ

ユニット2
各ユニット共通
開催日時 2011年11 月10 日(木)15:00~17:20
開催場所 龍谷大学 深草学舎 至心館2 階 パドマ大会議室
参加者 CHSR共同研究者

第1部 15:00~16:00
センター長あいさつ 鍋島直樹センター長 10分

【発表】
胡 暁麗(CHSR 博士研究員) 20 分
“Religiosity and Suicide among Chinese Rural Young People”
「中国農村部における若者の宗教性と自殺―量的調査に基づいて―」

岩田 真美(龍谷大学文学部講師・CHSR ユニット2研究員) 20 分
「幕末期真宗僧のキリスト教観―超然の護法論を手がかりに―」

【レスポンス】
高田 信良(龍谷大学文学部教授・CHSR ユニット2 代表) 10 分
休憩10 分


第2部 16:10~17:20

【発表】
鍋島 直樹(龍谷大学文学部教授・CHSR センター長) 20 分
仏教死生観デジタルアーカイブ研究成果 デモンストレーション他
全体意見交換会 50分

○ 司会:第1 部 高田 信良
      第2 部 井上 善幸

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 第1部で岩田真美先生がご発表された内容について報告する。
 幕末から明治維新期にかけて、仏教界は危機的状況を迎えた。廃仏毀釈、あるいはキリスト教の流入といった現象が、当時の仏教界には大きなインパクトを与えた。
 一般に護法論には、キリスト教排斥のイメージが色濃い。しかし、先生は、「自他認識」という側面から護法論を捉えることを提案された。というのも、近代仏教についての解説の多くが、廃仏毀釈や神仏分離という言説にまとめられ、それでは、近世から近代へのプロセスを断片的にしか捉えられていないからである。仏教が近代化する過程で、護法論は「対外論争」よりも、「自他認識」に置き換えて捉えることで、近代仏教のダイナミズムが見えてくるという考えに基づく視点である。
 発表では、越然という僧侶による護法論の資料(『護法小品』『斥邪二筆』『寒更霰語』)をみてゆかれた。『護法小品』は、僧侶が儒学者に自分の護法論の批評を頼むという点で、極めて珍しい形の護法論である。『斥邪二筆』は、『斥邪漫筆』の続編で、本書には中国明末の僧侶や儒者による排耶論のみならず、中国語のキリスト教書を参照して、カトリックとプロテスタントの違いを明らかにしようとしている。『寒更霰語』は、聖書などを典拠として、カトリックとプロテスタントとの違いに言及している。
 超然に代表される護法論の特徴は、これまで排斥すべき「敵」として設定されていた他の宗教や文化現象を、「理解」するかたちで、自己内部から変革しようとした作用であったといえる。この運動は、やがて、本山組織の旧体制の解体や、仏教の革新、教団改革運動へとつながっているということが指摘できる。

【新たに得た知見】
 日本仏教が近代化する過程で、「自他認識」というかたちの護法論が存在したという興味深いご発表であった。
 「自他認識」は、極めて実現困難なアプローチであるかに思える。相手を真に理解しようとし、自らが内省の姿勢をもって、自己解体し変化してゆくというプロセスは、非常にストレスの多い作業である。なぜなら、これは自己自身の中心軸の変容をも含有するからだ。一般には、こうしたアプローチより、自己の外部に敵を設定し、それを排斥するという形で自己保全をする仕方の方が、手短な自己確認手段である。この作業は、政治的というよりも、宗教的な作業でさえあるように思える。
 ユニット2の研究課題である「諸宗教との対話」の一つの方法論的視座の現実性が、イメージとして浮かぶように感じた。(RA本多)

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2012年度後期展示「金子みすゞ いのちへのまなざし ―星とたんぽぽ―」

研究展示
開催日時 2012年11月19日(月)~12月21日(金);2013年1月7日(月)~1月31日(木)。土日祝日は休館。※但し、12月1日(土)および1月27日(日)の2日間は特別開館
開催場所 龍谷大学深草学舎至心館2階 パドマ館

 

金子みすゞ いのちへのまなざし展チラシ.jpg

 本展示では、金子みすゞの心の世界を紹介いたします。金子みすゞの詩と生涯を展示することを通じて、生きとし生けるもののいのちの尊さ、すべての存在のつながりの大切さを考えることを目的としています。

 

主催: 
龍谷大学 人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター

 

後援: 
金子みすゞ記念館
金子みすゞ著作保存会
金子みすゞ顕彰会
JULA出版局

 

展示協力
大阪府立中央図書館 国際児童文学館
宮城県南三陸町役場

 

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   本展示では、金子みすゞの詩と生涯を展示することを通じて、生きとし生けるもののいのちの尊さ、すべての存在のつながりの大切さを伝えた。さら に、金子みすゞの詩を愛する方々が、金子みすゞの詩を通してさまざまな活動を行っていることを紹介した。たとえば、ネパールにおける小学校建設や医療支 援、東日本大震災にて被災した小中学校に金子みすゞの詩集を贈る活動などを紹介した。みすゞの詩は、日本や世界に広がって、人びとの心を支えているのであ る。

 展示開始日である11月19日には、11時半よりオープニング・セレモニーが開催された。赤松徹真(龍谷大学学長)による挨拶のあと、鍋島直樹 (龍谷大学人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター長)による展示の趣旨説明があった。来賓として、大村祐子氏(JULA出版局代表)、草場睦弘氏 (金子みすゞ記念館 主任・企画員、金子みすゞ顕彰会 事務局長)にお越しいただいた。お二人にはセレモニー後にギャラリー・トークとして展示品を紹介していただいた。大村氏には、金子みすゞの生涯と、金子み すゞの甦りの過程をご紹介いただいた。矢崎節夫氏とともに、金子みすゞの詩を世に出すべく奮闘してきた大村氏にしか語れない逸話を数多く伺うことができ た。草場氏には、地元仙崎の氏だからこそ語れる金子みすゞの実像と、金子みすゞの詩を通してのさまざまな活動についてご紹介いただいた。とりわけ、東日本 大震災の被災地の小中学校に詩集などを贈る“こだまでしょうか”募金の活動についてお話しいただき、各種メディアからも注目された。オープニング・セレモ ニーの模様や本展示については、朝日新聞、毎日新聞、京都新聞、文化時報などで紹介され、11月19日の来場者数は116名であった。

 本展示において、改めて学ぶことのできたことは、金子みすゞの詩の力である。みすゞの詩は、とくに難しい言葉が用いることなく物事の本質を突く。 だからこそ、みすゞの詩は苦しみや悲しみの中にある人々の支えになり、世界中に広がっていく力をもつのである。東日本大震災の被災地の子どもたちは、寄贈 されたみすゞの詩集を読み、癒しや励ましを感じている。また、みすゞの詩は今や十数カ国語に翻訳され、中国やネパールでは小学生の学習教材として用いられ ている。もちろん、日本でも多くの教科書に採用され、日本の子どもたちはみすゞの詩に触れている。このように、日本や世界の人々の心に広がっていく力をも つみすゞの詩について、認識を新たにすることができた。(RA 古荘)

 

金子みすゞ展統計(前・後期).xlsx

展示に関する意見・感想(前期).xlsx

妙好人における死生観と超越

ユニット3
各ユニット共通
開催日時 2012年6月11日(月)~7月31日(火) 10:00~16:00(土、日、祝休館) ※但し、6月23日(土)、7月22日(日)の2日間は特別開館
開催場所 龍谷大学 深草学舎 至心館2F パドマ館
参加者 入場料/無料


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 開幕式の記念撮影
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 菊藤先生による解説
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 林先生による解説

【オープニングセレモニー報告】

 2012年06月11日、13時より研究展示「妙好人における死生観と超越」オープニングセレモニーが行われた。開館に際して、龍谷大学田中則夫副学長、鍋島センター長及びユニット3代表林智康先生の挨拶があった。挨拶には、妙好人の言葉と実践に示された真実の死生観及び苦悩の超克を学ぶことなど、今回展示会の意義が紹介された。ご来賓として、展示にご協力いただいた妙好人小川仲造の曾孫にあたる小川義雄様、道子様と京都短期大学(現成美大学)名誉教授の菊藤明道様をお迎えした。  

 引き続き、ご来賓と当センター研究員による展示品解説が行われた。小川義雄様より妙好人仲造の生涯および「ひろいせかいに、おそろしものは、わがみ心がおそろしや」などのことばの意味についてご説明いただいた。また、林先生より仰誓の『妙好人伝』や鈴木大拙の『妙好人』などの関連作品をご紹介いただいた。

 

 

妙好人展統計.xlsx

展示に関する意見・感想.xlsx

宮沢賢治の死生観

雨ニモマケズ

各ユニット共通
開催日時 2011年11月15日(火)~12月22日(木);2012年1月10日(火)~2月10日(金) <開館時間 10:00~16:00 土日祝は休館 ※但し、12月10日(土)、1月22日(日)は開館>
開催場所 龍谷大学 深草学舎 至心館2Fパドマ館(京都市伏見区深草塚本町67)
参加者 入場料/無料

 

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開催主旨

 

宮沢賢治(1896年8月27日生~1933年9月21没)はこう記しています。

    「みんなむかしからのきょうだいなのだから

    けっしてひとりをいのってはいけない。」

    (『春と修羅』「青森挽歌」)

「新たな時代は世界が一の意識になり、生物となる方向にある。正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識して、これに応じていくことである。」          

    (『農民芸術概論綱要』)

  いつも大切なことは、あらゆる人類が相互に支えあうことであり、地球全体の幸せ願うことでしょう。

 平成23年(2011)3月11日に起きた東日本大震災以降、人々の心の支えとなった詩があります。その詩は、子供から社会人にいたるまで世界中で愛されている、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』です。このたび宮沢賢治記念館に格別のご協力を賜り、宮沢賢治のいのちへのまなざしを学び、東日本大震災からの復興を願って、研究展示を開催いたします。

 本展では、第一に、『雨ニモマケズ』手帳や『永訣の朝』などの詩を通して、宮沢賢治の仏教死生観を学びます。また、本年5月に世界遺産に登録された中尊寺について、宮沢賢治が記した原稿も紹介します。

 第二に、宮沢賢治記念館の特別企画展「童話『フランドンの農学校の豚」を開催します。宮沢賢治は『よだかの星』で、小さな虫などの生命を奪って生きなければならないよだかの切なさを描きました。この『フランドンの農学校の豚』では、人間に食べられる宿命を生きる豚の辛さを表現しています。『注文の多い料理店』をはじめ、人間の傲慢さを反省させるまなざしを、賢治は飾らずに示してくれます。多くのいのちをいただいて生きているからこそ、動物への思いやりと感謝の心を培いたいと思います。

 第三には、東日本大震災において、被災地の方々と継続的と交流し、心のケアを通して学んだことをパネルにして展示いたします。林風舎代表取締役の宮澤和樹氏(賢治の弟、清六の孫)とのコラボレートにより、賢治直筆『雨ニモマケズ』の額を、当センターから南三陸町の歌津中学校、伊里前小学校、役場などに贈り届けることができました。その額は子供たちの目にする校舎に飾られています。東北の方々、宮城県南三陸町の方々に教えていただいた真実を伝えます。

 『雨ニモマケズ』の詩は、昭和6年(1931)「11月3日」に書かれたとされ、それは昭和8年(1933)9月21日に賢治が亡くなる二年ほど前の詩です。からだが思うようにならない賢治が強く願っていたことがその詩に表れています。病気の賢治は、逞しいからだを持ち、病気の子どものところへ、疲れた母のところへ、死にそうな人のところへ、けんかや訴訟があるところへ、「行ッテ」あげたいという志願をもっていました。無常の自覚から、悲しみに寄り添い、支えあうこころが生まれてきます。困難のつづく世界であるからこそ、世界が一つになり、互いに敬い助けあい、夢をもって生き抜いていけることを願っています。

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開幕式の記念撮影
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佐藤館長による解説
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宮澤和樹氏による解説
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鍋島先生による震災ボランティア解説

【オープニングセレモニー報告】

 20111115日、13時より研究展示「宮沢賢治の死生観-雨ニモマケズ-」オープニングセレモニーが行われた。開館に際して、龍谷大学田中則夫副学長および鍋島センター長の挨拶があった。ご来賓として、特別企画展「童話『フランドン農学校の豚』」にご協力いただいた宮沢賢治記念館館長の佐藤勝様と株式会社林風舎代表取締役で賢治の弟、清六の孫にあたる宮澤和樹様をお迎えした。  

 引き続き、ご来賓と当センター研究員による展示品解説が行われた。宮沢賢治記念館館長の佐藤勝様より、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩や特別企画展についてご説明いただいた。「絆や支えあいなど人のありようが詩に打ち込められており、人の心を打つのでは」と佐藤館長が話された。また、宮澤和樹様より「雨ニモマケズ」などの作品をご紹介いただき、「何度も登場する『行ッテ』の言葉が賢治を最もよく表している。自分には何かできることはないか、ボランティアの活動を代弁していると思う」とのお言葉をいただいた。

 

コーナー別の風景

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宮沢賢治作品関連

 

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 宮沢賢治記念館特別企画展 童話『フランドン農学校の豚』

 

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南三陸町の真実

生死を超える物語 

仏教死生観デジタルアーカイブ研究閲覧システム

開催日時 2011年6月7日(火)~7月22日(金) <開館時間 10:00~16:00 土日祝は休館 ※但し、6月18日(土)、7月3日(日)は開館>
開催場所 龍谷大学深草学舎至心館2階パドマ館(京都市伏見区深草塚本町67)
参加者 入場料/無料

開催趣旨

 本展示では、新開発の「仏教死生観デジタルアーカイブ研究閲覧システム」を初公開いたします。報恩列聖図画(二河白道から始まる全巻物 初公開)、一休骸骨絵巻(全解読 初公開)、ガンダーラ仏、釈迦涅槃図、地獄草紙(精密複製)、六道絵 人道不浄相図<九相図>(完全復元版)、国宝山越阿弥陀図(精密複製)、無常院ミニチュア、二河白道図、解体新書、親鸞聖人の御影、九条武子典籍、中村久子典籍、浅原才市典籍などを通して、仏教・浄土教の死生観を学びます。宗教的救いの物語や事例は、私たちにとって人生の羅針盤となり、自分を省みる鏡となることでしょう。

 あわせて、2011年2月にハーバード大学世界宗教研究所にて開催された国際シンポジウム・ワークショップ”Religion and the World of Lived Experience”の成果をパネルにて紹介いたします。

 また、東日本大震災の被災地である岩手県、宮城県、福島県を訪ねた学生と教員の復興支援ボランティア活動を紹介いたします。被災地の方々の悲しみに寄り添い、被災地の方々から大切なことを学びます。

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テープカット
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ご来賓による展示品解説
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デジタルアーカイブ研究閲覧システムの説明

【オープニングセレモニー報告】

 2011年6月7日、13時より研究展示「生死を超える物語―仏教死生観デジタルアーカイブ研究閲覧システム―」オープニングセレモニーが行われた。開館に際して、龍谷大学田中則夫副学長および鍋島センター長の挨拶があった。ご来賓として、デジタルアーカイブ研究閲覧システムに収蔵されている史料をご提供いただいた浄土真宗本願寺派善興寺の若院飛鳥寛静様、妙好人石見の才市顕彰会安楽寺の御住職梅田敦敬様をお迎えした。また初公開となるデジタルアーカイブ研究閲覧システムの紹介と操作説明のデモンストレーションが行われた。  

 引き続き、ご来賓の方と当センター研究員による展示品解説が行われた。善興寺若院飛鳥寛静様より、棟方志功画「御二河白道図」についてご解説をいただき、棟方がこの絵を描いた由来等を紹介された。また、石見の才市顕彰会安楽寺御住職梅田敦敬様より、才市さんと安楽寺とのご縁や、角の生えた才市さんの肖像画についてご解説をいただいた。

 

ヒロシマの原爆に学ぶ -被爆者の死生観と願い-

開催日時 2010年11月15日(月)~12月17日(金)<開館時間 10:00~16:00(土日祝は休館 ※ただし、11月20日(土)、21日(日)、12月11日(土)、12日(日)は開館)>
開催場所 龍谷大学 深草学舎 至心館2Fパドマ館(京都市伏見区深草塚本町67)

【開催趣旨】
 当センターの「死生観と超越」の研究目的は、人々がそれぞれの死を見つめ、互いに愛情をもって接するというところにあります。生死の苦しみに耳を傾け、その悲しみを超えていく道を探求するものです。
 この「ヒロシマの原爆に学ぶ-被爆者の死生観と願い-」展では、ヒロシマ原爆の現実を学び、あわせて、被爆者の証言と平和への取り組みを聞き学ぶことを通して、いのちの尊さを知り、戦争の悲しみから思いやりや慈しみを育んでいきたいと思います。


 「かぞえきれない程の人が なんにも言えないで
  なんにも知らないで 死んでしまったのです」

(被爆証言 高蔵 信子)

 怨みに怨みを返すのではなく、戦争による憎しみを超えて、平和な世界を常に願ってきたヒロシマの被爆者の証言を聞き学びます。あわせて、広島・長崎の原爆のパネルなども展示して、核兵器をなくす道を考えます。ヒロシマの証言と平和への取り組みを聞いて、私たち自身が少しでも未来に語り継ぐことができるようになりたいと思います。

 


【関連イベント】
◆11月24日(水)13:15~14:45 被爆体験記朗読会 場所:深草学舎顕真館
朗読ボランティアによる被爆体験記・原爆詩の朗読
◆12月2日(木)10:45~12:15 被爆体験講話
場所:深草学舎顕真館
原爆被害の実相と被爆体験を中心とした被爆者による講話

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【オープニングセレモニー報告】

 11月15日、13時より研究展示「ヒロシマの原爆に学ぶ-被爆者の死生観と願い-」オープニングセレモニーが行われた。セレモニーには、龍谷大学若原道昭学長、広島平和記念資料館前田耕一郎館長が出席され、展示開館に際してご挨拶頂いた。展示開館に際して、若原学長と前田館長にはテープカット後、「龍谷 平和の鐘」を鳴らして頂き、その後記念写真撮影、前田館長による展示品解説が行われた。

 前田館長は、原子爆弾投下の被害や広島が行っている核廃絶運動、平和運動についてお話をいただいた。展示品に対しては、それぞれ異なる被害状況をあらわしているということをお教え頂いた。具体的には、原子爆弾投下による被害は熱風、爆風、火災など多岐にわたっているため、陶器や瓦といった同じ物でも被害状況によって特徴が異なるということである。

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前田館長によるご挨拶
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若原学長、前田館長らとの記念撮影
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前田館長による展示品解説

【展示報告】

 なぜ被爆者は、憎しみ返さなかったのだろう。ひと滴の水が湖面に落ちると、波紋が静かに広がるように、真実の言葉は、人々の心に響きわたる。ヒロシマ原爆被爆者の死生観は、深い悲しみからうまれた真実の言葉である。

「かぞえきれない程の人が なんにも言えないで なんにも知らないで 死んでしまったのです」(高蔵信子)

「核戦争には勝者も敗者もあり得ません」(高橋昭博)

 新たに得た知見は、被爆者すべてが、怨みに怨みを返さずに、絶望と無念さから、家族への愛情、世界平和を強く願っていることである。そして、平和を願う基底に、怨親平等という親鸞の視座があった。敵も味方も、固定観念を離れてみれば同朋であるという教えである。パドマでの展示品は、原爆で亡くなった子供のズボン、シャツ、シュミーズ、腕時計、熱線を浴びた瓦、市民が描いた原爆の絵、原爆被害のパネル、ヒロシマ・ナガサキの映画などである。

 展示開幕式には、広島平和記念資料館の前田館長が初めて来学し、「被爆者は、はじめは恨んでいたが、苦しみを知ったからこそ、他の誰にもこんな思いをさせたくないと願っています」と大事なメッセージを伝えた。真宗学科の岩田さん、大賀さんは多くの学生の寄せ書きを館長にプレゼントし、「ヒロシマの原爆は過去の出来事ではない。今も苦しんでいる方々がいる。私たちは忘れないで伝えます」と話しかけると、館長は微笑んだ。それから、広島平和公園にある平和の鐘をモデルにして造った小さな龍谷平和の鐘を披露すると、前田館長は「平和の鐘ですね」と喜んでくださった。井上善幸副センター長によると、この広島平和の鐘には、『無量寿経』重誓偈がサンスクリット語で刻まれ、「悲願の鐘」と呼ばれているという。若原道昭学長が開幕式の後も、ずっとパドマで展示を見てくださり、館長も感動していた。

 また、全国で初めて、広島県外において被爆体験朗読会を開催し、700名もの学生と市民が参加した。国立追悼平和祈念館の代表が原爆詩や体験を朗読し、次に、学生代表の森口さん、星澤さん、若原さん、谷川さんによって原爆詩が朗読されると、会場から自然に拍手がわきおこった。学生たちは何度も朗読の練習をしてくれていた。マイク不具合など、私たち主催者の失敗にも拘らず、朗読会の代表者は、「こんなに多くの学生たちが黙って原爆詩を聞き、まるごと受けとめてくださった。初めての経験です。私たちは感動して眠れなかった」と手紙を下さった。広島の方々の温情にふれて感謝の気持ちで一杯である。被爆者の悲しみや無念さは消えることはない。しかし、被爆者の真実の体験を、原爆を知らない私たち自身が朗読することによって、その亡き方々の切なる願いが今に生きつづけると感じた。

 さらに、阿部靜子さんによる被爆体験講話を開催し、260名の学生と市民が集った。彼女は全身ヤケドで目も閉じられず、ケロイドで手が変形し、生きているのさえ苦しかった。それでも家族がずっと看病し、幾度も整形手術を重ねた。今は被爆体験を語ることが自分の使命であるという。阿部さんの恨みすらない優しさ、家族を思う気持ちを知って涙があふれた。

 また、映画『土徳』上映会には、160名が集った。悲しみの現実のありのままを知り、想像力をもって、人の痛みを感じることが重要である。悲しみからこそ、真の慈しみが生まれてくる。夜の街には美しいイルミネーションが点灯し、その輝きに目が奪われる。それでも広島平和公園にはイルミネーションはない。そこで数え切れないほどたくさんの人たちが、ピカドンによって何にも知らずに死んでいった。真っ暗な広島平和公園を思い浮かべると、今度ヒロシマを訪ねるときには静かにゆっくり歩きたい。そんな気持ちを武田晋先生が話してくれた。高田信良先生や杉岡孝紀先生は、宗教と平和に関する講義を通して、ヒロシマ・ナガサキの平和への願いを伝えつづけている。

 この展示に際して、広島平和記念資料館に格別のご支援をいただいた。各新聞社、仏教の思想の先生方と学生、研究部や学長室広報の総合力によって実現した。新聞掲載6社10回。来館者数は1437名。近郊の福祉施設から高齢者の方々が杖をつき車椅子に乗って見に来てくださった。被爆者は亡くなっても、被爆者の願いは、私たちが涙し、伝えるところに生きつづける。(文責 鍋島直樹)

展示に関する意見・感想.xls

統計(来館者が興味を持たれた展示品).xlsx

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特別一日講座『宮沢賢治の銀河世界~本当の「さいわい」を探しに』開催

開催日時 2013年4月20日(土) 13時半~15時
開催場所 コープこうべ 生活文化センター(神戸市東灘区田中町5-3-18 JR住吉駅下車東へ8分)
講師 鍋島 直樹(龍谷大学文学部教授、人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター長)
参加者 事前申し込み。
コープこうべ 生活文化センター
TEL: 078-431-5273(受付:9時~19時、日曜は9時~16時)

公開シンポジウム「人生の終わり方-死に至る生ということ-」開催

関連講義
開催日時 2012年11月1日(木) 15:00~18:00
開催場所 龍谷大学アバンティ響都ホール(京都駅八条口・アバンティ9階)
参加者 ※一般来聴歓迎(無料・申込不要)

龍谷大学大学院実践真宗学研究科・公開シンポジウムを以下のとおり、開催いたします。

 

人生の終わり方

-死に至る生ということ-

 

 パネリスト
 ・中村 仁一(なかむら じんいち)氏
   社会福祉法人老人ホーム「同和園」付診療所所長、医師
   主な著書:『大往生したけりゃ医療とかかわるな』、『老いと死から逃げない生き方』
         『幸せなご臨終―「医者」の手にかかって 死なない死に方』など

 ・小谷 みどり(こたに みどり)氏
   第一生命経済研究所主任研究員
   主な著書:『お葬式のお値段』、『おとむらい新世紀』、『こんな風に逝きたい』など

 ・早島 理(はやしま おさむ)氏
   龍谷大学(大学院実践真宗学研究科)教授
 

主催:龍谷大学大学院ん実践真宗学研究科

協力:龍谷大学人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター
 

2012龍谷大学宗教部公開講演会開催

第135回顕真館公開講演会

龍谷講座
開催日時 2012年10月4日(木) 15:00~16:30
開催場所 龍谷大学 深草学舎顕真館
講師 武田 龍精 (龍谷大学名誉教授、当CHSRセンター前センター長)

大悲、心に熏じて法界に遊ぶ

―宗教と科学のあいだを考える―

韓国の東国大学校にて講義「浄土教における死生観と超越」

開催日時 2012年9月10日~12日
開催場所 東国大学校
講師 鍋島直樹(龍谷大学文学部教授、人間・科学・宗教ORCセンター長)

 

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南三陸町で講演会「町民に寄り添う姿勢ー地域に明るさを取り戻そう」の開催

開催日時 2012年7月2日午後1時30分~3時
開催場所 南三陸町役場 二階大会議室 宮城県本吉郡南三陸町志津川
講師 鍋島直樹(龍谷大学文学部教授、人間・科学・宗教ORCセンター長)
主催 南三陸町保健福祉課
    「社会を明るくする運動」推進委員会
 

 

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