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研究活動

浄土三部経における死生観

ユニット3
開催日時 2011年3月3日(木)15:00~16:30
開催場所 龍谷大学大宮学舎 清和館3階ホール
講師 大田利生先生(文学部教授・真宗学 ORC研究員)

人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター主催

ユニット3公開講座

入場料無料 参加申し込み不要

どなたでもご参加ください

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 本公開研究会では、「浄土三部経における死生観」というテーマのもと発表が行われた。

 浄土三部経の成立時、死をどのように解決し、いかに乗り越えていくのかということが大きなテーマであったという。『無量寿経(梵本)』第一願には、

もしも、世尊よ、かのわたくしの仏国土において、地獄や、畜生や、餓鬼の境遇や、阿修羅の群れがあるようであるならば、その間は、わたくしは無上なる正等覚をさとりません。

とあり、第二願には、

もしも、世尊よ、かしこのわたくしの仏国土に生まれるであろう生ける者たちが、再びそこから死没して(cyutvA)、地獄や、畜生や餓鬼の境遇や、阿修羅の群れにおちいるようであるならば、その間は、わたくしは無上なる正等覚をさとりません。

とある。経典成立当時、一般的に死ということが、地獄、餓鬼、畜生に堕ちていくこととして捉えられ、その恐怖を解決し、いかに乗り越えていくのかという問題が経典成立に大きく関係しているとされる。

 また、死生観を考える場合に問題としなければならないことは、臨終の時に阿弥陀仏が聖衆や菩薩を随えてその人の前に来迎するという臨終来迎の思想である。

梵本『無量寿経』三輩段

また、アーナンダよ、およそいかなる生ける者たちであっても、かの如来を形相の上からいくたびも思念し、多くの無量の善根を植え、覚りに心をさし向け、かしこの世界に生まれたいと誓願するであろうならば、かのアミターバ如来・応供・正等覚者は、かれらの臨終の時が到来したときに、多くの比丘の集団にとりまかれ、恭敬されて、〔かれらの前に〕立たれるであろう。それより、かれらはかの世尊を見て、澄浄な心になり、まさしくかしこの極楽世界に生まれるで〔あろう〕。

臨終とは、生きている最後の生の領域であり、その場面において来迎思想が説かれることは、死生観を考えていく上で重要な思想である。臨終来迎において「仏にあう」(見仏する)ことで心が澄浄となり、地獄、餓鬼、畜生のない極楽世界に生まれるという教説は、反顕すれば、生きている我々には澄浄の心がなく顛倒しているということでもある。澄浄の心がなく顛倒し、地獄、餓鬼、畜生に堕す死への恐怖を乗り越えていく契機に臨終来迎が説かれる。発表では、このような臨終来迎思想が、初期無量寿経典である『大阿弥陀経』や、『阿弥陀経』などにもはっきりとした形で説かれており、浄土経典成立の背景を考えていく上で非常に重要な意味を持ち、かつ多くの人に魅力を感じさせてきた浄土教的死生観であったと指摘された。

 

【新たに得た知見及び課題】

 本研究会において新たに得られた知見、及び今後の研究課題について以下に2点挙げておく。

 1つに、浄土経典成立時と現代社会においては、一般的な死に対する認識の相違があるのではないかということである。浄土経典成立過程においては、永遠に地獄、餓鬼、畜生に堕する契機として死が受け止められ恐怖を抱かせる。しかし、現代社会では、現存在を消失するという契機に死が受け止められ恐怖を抱かせている。時代状況における生死観の相違が今後の課題として得られた。

 2つに、浄土経典における死の表現は、「死没して」と、「臨終の時」と訳される語などがある。これらの表現の相違は、どのような意味を持っているのかということが今後の課題として挙げられた。

(RA北岑大至)

 

ブータン王国ケサン王女殿下記念講演会

各ユニット共通
開催日時 2011年2月14日(月) 10:30~12:00
開催場所 龍谷大学 大宮学舎東黌103
講師 ブータン王国 ケサン・チョゼン・ワンチュク王女殿下
 Her Royal Highness Princess Kezang Choden Wangchuk
参加者 桂 紹隆(龍谷大学アジア仏教文化研究センターセンター長・宗教部長・文学部教授)
鍋島直樹(龍谷大学人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センターセンター長・法学部教授)
【コーディネーター】 三谷真澄(国際文化学部准教授)

仏教国ブータン王国の国民総幸福度(GNH)政策

 The Program For Gross National Happiness in the Buddhist Kingdom of Bhutan

   -仏教思想の理念が国民総幸福度政策にどの様に活かされたのか-

    The Buddhist Values Expressed in the Gross National Happiness Index

 

 ブータン王国は世界有数の仏教国であり、ブータンの人々にとって仏教を信仰することは、暮らしの根本ともいえます。そして思想や社会の発展にも仏教は重要な役割を担ってきました。近年、ブータンは立憲君主制に移行し男女平等の法制化や情報政策の推進を図るとともに、仏教思想を根底とした国民の心の豊かさと幸福度を国が求める価値であるとしたGNH(Gross National Happiness: 国民総幸福度)政策を推奨し、現在、国民が最も幸せを感じている国として世界中の注目を浴びています。

 この度、龍谷大学では、ブータン王国ケサン王女殿下の京都ご来訪に際し、記念講演会と本学仏教研究者とのトークセッションを開催する機会を得ることが出来ました。

 経済発展を通し物質的豊かさを手に入れた人々が本当に幸せなのでしょうか。地球環境を破壊しつつ成長を遂げることで本当に豊かな社会は訪れるのでしょうか。今回の講演会を通し、仏教思想にもとづく精神的な豊かさを目指すブータンのGNH政策から今一度「本当の幸せ」について考えてみませんか。

 

 主催: 龍谷大学 人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター

     龍谷大学 アジア仏教文化研究センター

 共催: 京都環境文化学術フォーラム

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プログラムProgram

開幕挨拶 Opening Address

若原 道昭(龍谷大学学長Dosho Wakahara, President of Ryukoku University)

 

特別記念講演Special Address

ケサン王女殿下(H.R.H. Ashi Kezang Choden Wangchuk, The Kingdom of Bhutan

「仏教国ブータン王国の国民総幸福度(GNH)政策」

Gross National Happiness: Bhutan’s Development Philosophy,

 

トークセッションDialogue

ケサン王女殿下(ブータン王国第四代国王王女、H.R.H. Ashi Kezang Choden Wangchuk)

V. ナムゲル(ブータン王国大使・インド大使館 V. Namgyel, Ambassador of Bhutan)

カルマ・ツィティーム(GNHコミッション・王室秘書官 Karma Tshiteem, Secretary, Gross National Happiness Commission)

桂 紹隆(龍谷大学アジア仏教文化研究センターセンター長・宗教部長・文学部教授Shoryu Katsura,  Director of Research Center for Asian Buddhist Culture, Professor, Faculty of Letters, Ryukoku University )

鍋島直樹(龍谷大学人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センターセンター長・法学部教授Naoki Nabeshima, Director of Open Research Center for Humanities, Science, Religion, , Professor, Ryukoku University)

 

コーディネーターCoordinator

三谷真澄(龍谷大学国際文化学部准教授 Masumi Mitani, Associate Professor, Faculty of intercultural Studies, Ryukoku Univerisity)

 

閉幕挨拶 Closing Remarks

赤松 徹真(龍谷大学文学部長Tesshin Akamatsu, Dean, Faculty of Letters, Ryukoku University)

 

日時 2011年2月14日(火)午前10時30分~午後12時30分

場所 龍谷大学大宮学舎 東103教室   参加者500名

主催: 龍谷大学 人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター

    龍谷大学 アジア仏教文化研究センター

共催: 京都環境文化学術フォーラム


 

特別講演 成果概要

Special Address

Summary of Results

 

アシ・ケサン・チョデン・ワンチュク王女殿下 ブータン王国

Her Royal Highness Princess Ashi Kezang Choden Wangchuk

The Kingdom of Bhutan

 

仏教国ブータン王国の国民総幸福度(GNH)政策

The Program for Gross National Happiness in the Buddhist Kingdom of Bhutan

 

ご講師紹介

 ケサン・チョデン・ワンチュク王女(HRH Ashi Kezang Choden Wangchuk)は、ブータン王国第四代国王陛下のジグメ・シンゲ・ワンチュク国王(His Majesty Jigme Singye Wangchuck)の第四女にあたる。

 地球環境の保全に貢献した人を顕彰する2011年の「KYOTO地球環境の殿堂」(The Earth Hall of Fame Kyoto in 2011)の受賞者の一人に、ブータン王国のジグメ・シンゲ・ワンチュク前国王が選ばれた。ケサン・チョデン・ワンチュク王女は、父親であるシグメ・・シンゲ・ワンチュク前国王の名代として初来日した。ケサン・チョデン・ワンチュク王女は、王家の生まれながら、高校まで公立学校に通った。大学を卒業後、父親に「開発に取り残された人々を支援するよう」に指導されて、出産間際まで、1年の大半は首都ティンプーから遠く離れた村々を巡回した。ケサン王女は、ブータン王国の国民を訪ねて、人々の声を聞き、国民総幸福の政策を実現するために中心的役割を果たしている。

 2011年2月、ケサン王女は初めて京都に訪問し、その美しい微笑で人々の心を慰めた。ケサン王女は、龍谷大学において、聡明で先見性のある講演をおこなった。彼女はその特別講演において、経済成長の開発モデルから国民総幸福度に転換する重要性を、私たち日本の人々に伝えた。

※ケサン王女のご講演の英語版と日本語版は、ブータン王国の許可をいただき、出版できる予定である。ただし、ケサン王女のご講演の英語版と日本語版については、責任ある編集を経て後に公開したい。そこで、この成果報告では、そのケサン王女の講演、ならびにトークセッションを抜粋してまとめ、ブータン王国の国民総幸福の真価を謙虚に学びたいと思う。(文責 鍋島直樹)

 

はじめに

 本日は、ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク(Jigme Khesar Namgyel Wangchuck第五代国王と、私の父であるジグメ・シンゲ・ワンチュク(Jigme Singye Wangchuck)第四代国王の命を受け、ブータン王国より皆様の幸福ためにメッセージをたずさえて訪問しました。私の家族もブータン王国の国民も、皆様のすばらしい日本、すなわち、技術革新によって最も高いレベルの経済的繁栄をもたらし、産業界の躍動と協調の精神に尊敬の念をもつものです。すばらしい文化と平和を愛する国に初めて訪問した機会に、父国王によって考えられた国民総幸福度について皆様と共有できますことを心からうれしく感じております。・・・中略・・・

 

国民総幸福度の理念

 国民総幸福度の理念は、これは国民の心からの訴えに対する父の応答でした。この世界が物質的な豊かさと一握りの世代の繁栄のためだけに略奪されていることに対する父の不満から生まれたものです。このGNHは従来型の知恵にチャレンジした父の勇気を反映するものであり、生命の意味と目的を熟考して生まれました。父は国の目標として国民の幸福を宣言したのです。父の統治機関、最も優先順位の高いものとして追及されるものとなりました。GNHは幸福度、幸福を追求するのに可能な状況を作り出すことよりも、高次のレベルの開発はありえないとしました。幸福度の理解とはこういうものです。物質的な充足と心と精神の成長のバランスが、平和的でほどよく、持続可能な環境において保たれていることそうした状態を示します。・・・中略・・・

父はよく語っていた言葉を引用します。

「GNHは人々の親切心、平等、人間性という根本的価値と経済的成長を追い求めていく必要性との橋渡しをしていくものである。」

Here I quote His Majesty the King who said,

“I believe GNH today is a bridge between fundamental values of Kindness, equality, and humanity and the necessary pursuit of economic growth”.

・・・・・・中略・・・・・・

 

GNHの4つの柱と9つの領域

 ブータン王国での幸福への追求は、最も広いレベルで、四つの柱、すなわち、四つの目標を同時に追求することであります。すべての社会・経済的プログラムは、わが国の若い民主主義の政治的発展を含めて、これらの柱の強化に従うものであります。

 その四つの柱とは、

  • 持続可能にして平等な社会・経済的発展、
  • 環境保全
  • 文化振興
  • すぐれたガバナンスの強化

であります。

The four pillars and goals o achieve of Gross National Happiness

  1. Sustainable and equitable socio economic development
  2. Environmental conservation
  3. Promotion of culture
  4. Enhancement of good governance

 

 真の富や繁栄とは、回復力のある環境の中で人間の生活を洗練し、未来を予測可能でより安全なものにし、そして地球や家族の結びつきを強くするものでなければなりません。GNHの富の継承は、協力、社会資本、安らぎを促進するものでなければなりません。決してウォール街で追求されているような幻想的ではかない富であってはならないのです。

 GNH指数を開発するにあたって、四つの柱はさらに九つの領域に分けられ、人の生活のすべての面を反映しています。すべてが個人と社会の全体的(ホーリスティック)発展に不可欠であると考えられています。

第一の柱を形成するのが、生活水準、健康、教育、

第二の柱を築いているのが、生態学的健全性、

第三の柱に含まれるのが、文化、精神的な幸福、時間の利用、地域社会の活力、

第四の柱に含まれるのが、すぐれたガバナンス、すなわち、民主主義、平等、正義であります。・・・・・・中略・・・・・・

 

ブータン王国の幸福

 今日のブータンは、ほとんど全く脅かされていない自然感興を自負することができます。それは環境問題が深刻な地球問題となる遥か前から環境保全に尽力してきたからであります。憲法では永続的に森林面積が国土の最大6%を占めることを約束され、実際、今日のブータンでは緑地面積が国土の72%以上を占めています。そのお蔭で、外の同じ地理的条件下で通常見られるよりも、はるかに豊かな生物多様性の宝庫となっています。我々の文化と伝統、ブータン人の生活の仕方の基本は、このグローバル化した地球の一員となった今も意気盛んであります。我々はさまざまな国際的フォーラムに参加することによって多くの友情と励ましに恵まれてまいりました。父の数多くの功績の中でも、最も顕著なのは、ブータン王国が2008年に民主主義に展開したことであります。父はこのように生涯の大望を成し遂げ、53歳で王位から退位いたしました。偶然にもこの退位の行われた直前の国勢調査で、王国の97%の人々が自らを幸福であることを明らかにしたのであります。このことにより、ブータンは発展モデルの代替モデルとして、関心の的となったのであります。・・・・・中略・・・・・・

 

日本への提言

 最後に、一つの考えを皆様にあずけたいと思います。多くの国同様、日本は経済的繁栄の頂点を経験し、これからは低い経済成長、そして高齢化社会に立ち向かわなければなりません。そのような時は困難な課題が山積し、創意工夫と勇気が求められています。しかし一方で、往々にして、慣れ親しんだ道を選び、従来と同じ対策を講じるという誘惑にかられます。たとえそれがよくても一時的な効果しかなく、長期的により危険であるとわかっていてもです。ただ私は信じています。世界全体も変革することが求められていますが、日本は必ずや変化するでありましょう。独自のやり方で変わっていくと信じています。その中でも恐れ多くもGNHを提案させていただきたいと思います。GNHパラダイムによって、有用なアイディアが生まれ、新しい日本の再生、真に繁栄した日本の再生につなげることができるのではないでしょうか。日本は世界をリードし、より幸せで持続可能な生活に導く勇気と才能を持ち合わせていることを確信しています。

 ご清聴いただきどうもありがとうございました。

 

対談 トークセッション

コーディネーター 三谷真澄(龍谷大学国際文化学部准教授)

 ブータンは、GNHという幸福の新しい指標を提言したことで欧米から注目され、資本主義社会の閉塞感、経済的豊かさでは満たされない人間の幸福のあり方、森林保護や環境施策の観点からも注目を集めています。

 タイム誌で毎年発表される「世界で最も影響力のある100人」の2006年リスト(Leaders & Revolutionariesの中)には、第4代国王のジクメ・シンゲ・ワンチュク(1955-、1974戴冠)が入っています。今回、「KYOTO地球環境の殿堂」入りの表彰によって、世界的な知名度は非常に高まっています。

 これから、アシ・ケサン・チョデン・ワンチュック王女殿下のご講演を受けて、アジア仏教文化研究センターの桂紹隆所長、人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センターの鍋島直樹所長から、ケサン王女のご講演に対するレスポンスをいただき、それを受けて、ヴェツォプ・ナムギャル駐日ブータン大使(インド常駐)、カルマ・ツェテームGNH委員会次官への質疑応答を行いたいと思います。

 

レスポンス紹隆(龍谷大学アジア仏教文化研究センターセンター長・文学部教授)

 ブータン王国では、仏教に基づく宗教教育をどのように教育に反映させているでしょうか。(※桂先生のご質問のみをここに収録しました。)

 

ナムゲル(ブータン王国大使・インド大使館)

 仏教は国の宗教です。ブータンの教育では、仏教を教義として伝えるというよりも、人生生活のあり方として教えます。ブータンの人々は仏教徒として生まれ、家庭の中で両親家族から仏教を学び、学校教育の中で、国語の教科書などを通じて、仏教の考え方に触れていきます。これをこれからも続けてつづけていきたいと思います。また、僧侶やその特別な機関も仏教の考え方が人としてとるべき道であることを人々に伝えています。重要なのは、正しい態度、正しい行動をとるということであると思います。

 

カルマ氏(GNHコミッション・王室秘書官)

 学校の集会は仏教の礼拝から始まります。GNHを政治や政策に反映させる際、それはただちに宗教ではないかもしれませんが、仏教の影響があるといえます。学校では礼拝のほかに、仏教から普遍的な価値、すなわち、親切さ、他人への思いやりなどを学びます。先生は模範になります。相互の関係が大切ですので、子どもたちは先生に尊敬をもって話をします。また、瞑想も学校教育で取り入れられています。大人になれば、どうしてもストレスや競争にさらされます。ですから、瞑想によって、自己を穏やかにし、ストレスを緩和することを学ぶわけです。仏教はブータンの精神的な依りどころであり、単に教育だけでなく、生活全般にわたって尊重されているといえるでしょう。

 

 

レスポンス 鍋島直樹(龍谷大学人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター長)

 

ロイヤルハイネスプリンセス ケサン チョデン ワンチュック王女様

 王女のお父様、ブータン王国第四代の国王陛下、ジグメ・シンゲ・ワンチュク前国王におかれましては、キョウト地球環境の殿堂を受賞されましたこと、誠におめでとうございます。ブータン王国の皆様が、地球環境の保護、生物多様性の保全に今まで貢献してきたことを心から尊敬いたします。また本日は、龍谷大学において、ケサン王女より、ブータン王国の国民総幸福度に関する特別記念講演を賜り、心から感謝いたします。王女の講演を聞いて深く感動しました。

 ロイヤルハイネス プリンセス ケサン王女のご講演にレスポンスするご縁をいただきありがとうございます。自己紹介をすることをお許しください。私は鍋島直樹と申します。龍谷大学教授、人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター長として、本学で仏教の思想、特に、平和と非暴力、あらゆるいのちへの慈悲と寛容さについて講義しています。龍谷大学は仏教、特に日本浄土教の親鸞聖人の精神に基づいて建てられた大学です。「苦悩を超えた真実を求め、真実に生き、真実を顕かにする」、それが親鸞聖人による建学の精神です。他との関係性なくして存在するものはない。そういう縁起の真理に照らしてみると、自己中心的な生き方、排他的なあり方を反省し、他によって生かされているという自覚と感謝と謙虚さをもって生きることが大切であることに気づかされます。

 

  Your Royal Highness Princess Kezang Choden Wangchuk,

   Congratulations on the induction for your father, the 4th king of Bhutan, High Majesty Jigme Singye Wangchuck into The Earth Hall of Fame Kyotoin 2011. We Japanese all deeply appreciate that the kingdom of Bhutan hascontributed to conservation of the global environmentand biodiversity. I wish to thank you for the special lecture on Gross National Happiness in the Buddhist Kingdom of Bhutanthat you gave today at Ryukoku University. I was deeply moved by your lecture.

              It gives me great pleasure to have the opportunity to respond to your lecture. First, allowme to introduce myself. I am Naoki Nabeshima.I have been teaching Buddhism, especially topics on nonviolence, compassionand tolerance, which, of course, is inclusive of the natural environment, as professor and director of the Open Research Center for Humanities, Science and Religion, at Ryukoku University in Kyoto, Japan. The University is a Buddhist based institution, of the Shin Buddhist School, founded by Shinran (1173–1262) in Japan.“Seek for the truth transcending sufferings, live in the truth and clarify the truth“. This is the Spirit of Ryukoku University. There is nothing that exists independently, in itself alone. From thistruth of interdependence, we learn that we must reflect on our egocentric, divisive tendencies and, with deepening awareness that we live dependent on others, grow in gratitude and humility.

 

 私はブータン王国が大好きです。ブータン王国は、ダルシン(Dhar Shing)という経文が印刷された薄い布地が風にはためいています。どこまでも美しい田園風景と山々がつづいています。素晴しい光景です。とはいえ、まだ行ったことはないのですが、ぜひ行ってみたいです。

 私はケサン王女のブータン国の法律に深い感銘を受けました。なぜなら、2008年に制定されたブータン王国の憲法が仏教の真理に基づいているからです。精神的財産について、ブータン王国の憲法第三条には、こう明記されています。

「仏教はブータンの精神的財産であり、なかでも平和、非暴力、慈悲と寛容の原則と価値を推し進めるものである。」

さらに、GNHの理想は、2008年に制定されたブータン王国の憲法の第九条にもこう明記されている。

「ブータン国は、国民総幸福の追求ができるように必要条件を推進することに尽くす。国は、虐待、差別、暴力から自由になる市民社会をつくり、この法律に基づいて、人間の権利と尊厳の保護、そして人々の基本的権利と自由を確保するように努めなければならない。」

 

  I love your happy country of the King of Bhutan. In the kingdom of Bhutan, So many Dhar Shing, which is a small flag with printing Buddhist Sutra, are fluttering in the wind. There are beautiful fields, rivers and mountains. Your great country has wonderful sceneries. Although I have not visited the Kingdom of Bhutan yet, I love your great country. I would like to visit your great country someday so much.

I am very impressed by the constitution of your country, which is based on Buddhist truth. Spiritual Heritage is spelled out in the Constitution of the Kingdom of Bhutan, Article 3.

“Buddhism is the spiritual heritage of Bhutan, which promotesthe principles and values of peace, non-violence, compassionand tolerance.”

Further, the pursuit of GNH is manifested in the Constitution of the Kingdom of Bhutan, Article 9.

“The State shall strive to promote those conditions that will enable the pursuit of Gross National Happiness. 3. The State shall endeavor to create a civil society free of oppression, discrimination and violence, based on the rule of law, protection of human rights and dignity, and to ensure the fundamental rights and freedoms of the people.”

 

 世界中の人々は、ブータン王国の国民総幸福度に高い関心を寄せています。ブータン第四代国王 ジグメ・シンゲ・ワンチュク国王陛下は「国民総幸福は、国民総生産よりも重要である」と宣言しました。また、国王は次のように発表なさいました。「従来の開発モデルは、究極の目標として経済成長を強調している。GNH(国民総幸福度)の概念は、物質的発展と精神的発展が互いに補完しあい強化するように並んで行なわれる時に、人間社会の真の開発がうみだされることを礎にしている。"The four pillars of GNH are the promotion of equitable and sustainable socio-economic development, preservation and promotion of cultural values, conservation of the natural environment, and establishment of good governance."GNHの4つの柱は、「持続可能で公平な社会経済開発」、「文化的価値の保護と推進」、「自然環境の保全」、そして「良い統治の確立」である」。そのようにジグメ・シンゲ・ワンチュク前国王はおっしゃいました。

  People around the world are very interested in Bhutan's concept of Gross National Happiness. The 4th King of Bhutan, High Majesty Jigme Singye Wangchuck, promulgated GNH since the beginning of his reign in 1972. Happiness of the people was made the guiding goal of development. The 4th King of Bhutan has stated, "Gross National Happiness [GNH] is more important than Gross National Product [GNP]." He also said, "While conventional development models stress economic growth as the ultimate objective, the concept of GNH is based on the premise that true development of human society takes place when material and spiritual development occur side by side to complement and reinforce each other. The four pillars of GNH are the promotion of equitable and sustainable socio-economic development, preservation and promotion of cultural values, conservation of the natural environment, and establishment of good governance."

GNH is centered on 9 domains consisting of time use, living standards, good governance, psychological well-being, community vitality, cultural vitality, health, education, and environmental conservation. GNH is brought by a balance between material and spiritual development. Holistic, people-centered, participatory and balanced development is the very essence of the GNH philosophy.

  

 私は、仏教は、縁起の真理に基づいていると理解しています。縁起とはあらゆるものが相互に依存し、関係しあっていることです。一つひとつの存在が相互に支えあう世界においてはかけがえのない意味をもっています。ブータン王国では、この縁起の教えを尊重し、自己と他の一切の生命との関係性を尊重しています。自分の生命を尊重するとともに、他人の生命を尊重しています。輪廻転生の見方は、生きとし生けるものが生まれ変わり死に変わりながら、家族であることを教えるものでしょう。だからこそ、他人を思いやり、森林を保護し、動物などのあらゆる生命を慈しんで生きることが、ブータンの人々にとって、功徳を積むことになると考えられていると思います。親鸞聖人も、「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」と語っています。自分ひとりだけの幸せを祈るのではない。相手の幸せを願うことが、ついには自己の幸せにつながることになるのではないかと思います。

 そこで、これに関連してお尋ねしたいと思います。ブータン王国の人々は、どのようなことが幸せだと感じるのでしょうか。縁起の真理、輪廻転生からの解脱という仏教思想と、GNH(国民総幸福度)とはどのように関連しているでしょうか。 

  I believe that Buddhism is based on the truth of dependent origination. That means that all beings and things are mutually dependent. Each individual existence has an integral meaning in an interdependent world. In the Kingdom of Bhutan, this teaching of dependent origination is respected, and the relationships between oneself and all other living beings are also respected. Just as one respects one’s own life, one likewise respects the lives of others. From the perspective of rebirth and transmigration, all living things that live, perish, and are reborn, are our family. For this reason, I believe, the people of Bhutan think that such things as being considerate toward others, preserving forests, and compassionately regarding all living beings including animals are themselves the creation of merit. Shinran also said, “In the past, all beings have been our mothers and fathers, sisters and brothers.” One cannot wish only for one’s own happiness. Hoping for the happiness of others is itself what leads to one’s own happiness.

              In this regard, Royal Highness Princess Kezang, I wonder if you would be able to tell us. For the people of Bhutan, what kinds of things are considered to be happiness?How is the relationship between Buddhist thoughts and Gross National Happiness?

 

 私はケサン王女の記念講演を聞いて、伝統的な仏教文化を保護し、経済的な発展と心の豊かさとのバランスをとることが重要であることを学びました。その精神は、仏教の中道の精神に基づいていると感じます。中道とは、両極端に偏らず、バランスをとりながら、心穏やかな道を歩むことでしょう。

 歴史をふりかえってみると、日本の社会は、欧米に学び、勝れた科学技術を開発し、大きな経済的成長を遂げてきました。しかし一方で、日本は人類の経済的利潤を追求するあまり、生命の尊重を忘れ、地球環境も壊す結果を生み出しました。自殺者もとても多いのです。21世紀の日本は経済的にも、精神的にも安らぎがなくて苦しんでいます。一握りの人々の幸福のために、国民多くの人々の生活が犠牲になってはなりません。

ロイヤル ハイネス ケサン王女が提唱してくださったように、日本は、経済的発展のみをめざすのではなく、国民総幸福度の考え方を導入していくべきであると思います。一人ひとりのいのちが生き生きと輝き、人と人の絆を育み、心に幸せを感じることのできる世界を構築していくことが強く願われます。心の幸福と先端技術の平和的利用との両方が実現してこそ、日本は世界に愛される国となるでしょう。

 阿弥陀仏の大悲の光にいだかれて、煩悩を離れることのできない自己を知ります。人は弱く、ひとりでは生きていけないからこそ、互いに許しあい、助け合って、世の安穏のために生きていくことができればと私は願っています。

  When looking back on the history, Japanese society, following the lead of European and American countries, has developed advanced scientific technologies and has achieved great economic growth. However, unfortunately, Japan has sought only on economic profit that benefits human beings, and the result has been that we have forgotten about respect for life and have destroyed the natural environment. There are also a great number of people who commit suicide. Currently, in Japan, both economically and spiritually, we have no peace of mind and greatly suffer.

  As your Royal Highness Princess Kezang Chodenhas proposed, we should not only seek for economic development. We should also introduce philosophy and polity of Gross National Happiness. If it was realized, Japanese can fill with happiness both economically and spiritually.

I know that I am embraced by Amida Buddha’s light of compassion that I cannot escape from blind passions. But it is my hope that, although human beings are weak and cannot live each individually, we can forgive each other, help each other, and work together for the peace and tranquility of the world.

 

カルマ氏(GNHコミッション・王室秘書官)

 鍋島先生より深遠なお話をいただきありがとうございます。先生と私たちはいろいろな考えを分かち合うことができました。私たちはGNHに基づく公共政策づくりに取り組んでいます。ダルマキング(Dharma King)と呼ばれている第四代前国王陛下がGNHを提唱した際には、仏教をベースに立案しました。ブータン王国では、すべての分野において仏教からの影響を受けています。すべての人々の生活に仏教からの影響を受けています。文化と伝統はつねに仏教と結びついています。すこし例をあげてお話したいと思います。現在の第五代国王陛下は、ブータン王国の全国各地を視察して、多くの子どもや学生たちと交流します。子どもたちがブータンの未来を担うからです。国王陛下がGNHについて子どもたちと話しをする時、「あなたは英雄になりたいか、それとも悪徳になりたいか」と尋ねます。すると多くの子どもたちは英雄になりたいと応えます。人生においては常に選択をしないといけない場面に出くわします。その際には、善につながる選択でなくてはならないことを国王陛下は子供たちに考えさせるのです。これは仏教思想の八正道に基づいています。(1)正見(正しい見解、真実の信知)、(2)正思惟(正しい内的態度、決意)、(3)正語(正しい言語)、(4)正業(正しい行為)、(5)正命(正しい生活法、職業倫理)、(六)正精進(正しい努力、勇気)、(7)正念(正しい注意)、(8)正定(正しい瞑想、精神統一)です。またこのような例もあります。大きな企業は、GNHをビジネスにおいても反映させています。利益だけでなくそれ以外の要素も重んじます。その際、バランスが重要になります。利益のためには、ある程度の犠牲を払わなければなりません。しかしボトムラインにおいては、優しさ、寛容さ、誠実さなど基本的なものが重んじられます。我々ブータン王国の発展がGNH政策の影響を受けているということは、仏教思想の恩恵を受けているということと等しいことです。どうもありがとうございました。

 

ナムゲル氏(ブータン王国大使・インド大使館)

 ありがとうございます。鍋島先生よりブータン王国の人々にとって、何が幸せであるかという質問をいただきました。それは、ブータンの人々が人生生活の中で何を重要視しているかということでしょう。私たちの国で、2008年に国民総幸福度に関する国勢調査を行いました。人生に対して重要なものは何かを国民一人ひとりに尋ねました。まず一番目に、幸せのために「家族との生活」が大切であると98%の国民が応えました。二番目に、「責任感」が重要であると91%の国民が答えました。三番目に、「キャリアにおける成功」が重要であると90.3%の国民が答えました。そして四番目に、精神的な信仰が大切であると89%の国民が答えました。財政的な安定が重要であると87.5%の国民が答えました。そして友情(81.1%)、物質的な豊かさ(79.2%)です。そして、GNHには、この物質的豊かさと精神的な幸せとのバランスが必要であります。また次に、仏教思想とGNHとがどのように関係しているかということについてもご質問いただきました。仏教とは中道の精神です。悲しみを取り除き、欲望を抑制しなければならない。それが中道ということであり、バランスを維持するということであります。中道とは、精神的な欲望、文化的な欲望、物質的な欲望の調和、融和であります。さまざまな欲望の融和を実現することができれば、地域社会の調和を維持することができ、国の調和を維持することができ、ついには世界の調和につながることができるでしょう。それが実際の仏教思想とGNHとの関わりであると思います。また、私たちは礼拝、祈りをささげます。その祈りは個人のための祈りではありません。寺院に行って仏に礼拝する時には、私たちはすべての祈る人々の幸せを祈ります。すべてのもののために祈るという時には、もちろん自分も含まれていますけれども、すべての生きとし生けるものの幸せを祈るのです。このように仏教思想とGNHとが融合しています。どうもありがとうございました。

 ケサン・チョデン・ワンチュク王女殿下の美しい微笑みと明晰で穏やかな講演は、会場を包み込み、それは余韻となって今も心に響いている。(文責 鍋島直樹)

浄土経典を学んで

定年退職記念最終講義

ユニット3
開催日時 2011年1月18日(火)13:15~14:45
開催場所 龍谷大学大宮学舎 清和館3階ホール
講師 大田利生先生(文学部教授・真宗学)

中村久子女史と歎異抄―生死観と超越

CHSR新春学術講演

ユニット4
開催日時 2011年1月13日(木)10:45~12:15
開催場所 龍谷大学深草学舎1号館111教室
講師 鍋島直樹(龍谷大学法学部教授)

[開催主旨] 私はいったい何のためにここに存在しているのだろう。人は大事にしていたものを失って、未来が見えなくなった時、自己の存在基盤がすべて壊れてしまうことを体験する。そして解決の糸口さえ見出せない苦しさの中で、人は本当に大切なものが何であるかに気づき、真実の生き方を強く希求する。この講義では、人が、苦しい現実の中で、どのように生きていけばよいのかについて、中村久子女史の生涯と思想に学び、彼女を支えた親鸞の思想に聞く。

 

<中村久子女史の紹介> 中村久子女史(1897-1968)は、三歳で突発性脱疽がもとで両手両足を失い、一時は失明の苦しみまで経験した。やがて生活のために見世物小屋で働き、逆境の中でひたむきに読書、裁縫、書道等に打ち込むことによって、少しずつ自立していった。両親を亡くし、弟とも死別する悲しみの中で、彼女は天理教、無我愛、キリスト教などさまざまな宗教に出あったが、最終的には、歎異抄に震えるような感動を覚えた。ヘレンケラー女史は、中村久子女史を「私よりも不幸な、そして私より尊い人」と称えた。その苦しみの中で見出した救いについて、中村久子女史は次のように表現している。「手はなくも足はなくとも みほとけの袖にくるまる 身は安きかな」「人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はない。」「どんなところにも生かされていく道はございます。」このような中村久子女史の言葉は、逆境に追い詰められた人々を力強く支え、生かされている尊さを示しているだろう。

 

※この公開講座は、「歎異抄の思想Ⅱ」(木・2)の特別授業として開催します。

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本講演は、中村久子女史と『歎異抄』―生死観と超越というテーマを設定し、『歎異抄』によって影響された中村久子の一生を三つの時期に分けて紹介した。

 突発性脱疽により3歳で両手足を失った久子が、生死苦悩を超える道を模索していく中で、数多くの宗教の中から仏教に出遇っていった。そして、講演の中では、特に『歎異抄』の教えによって苦悩を引き受け、力強く一生を歩んでいった久子の生き様が紹介された。

 生死の苦悩を越える道の第一期は、脱疽により両手足を失った久子が頼りとしていた実父との死別を経験し、両目失明という苦しみを経験した子供時代から、自立するために見世物小屋で働き始めた20歳頃までの間である。この時期の久子は、ひたむきな努力により、肉体的・精神的な苦痛を乗り越えて自らの力で生き抜く術を身に付けていった。また、書道家沖六鳳氏や座古愛子氏との出遇いもこの時期のことである。

 第二期は、ヘレンケラー女史と出会った翌42歳の時、福永鷲邦氏の勧めにより『歎異抄』と出遇うことで、念仏者として生きる道を確立していく時期である。自らの力で生きる道を切り開いてきた久子の自信は、いつしか傲慢へと変わり、新たな苦しみを生み出していった。そのような中で出遇った『歎異抄』は、久子に多くの事を気づかせていく。現実をすべて引き受けたとき、み仏の慈悲に抱かれ、逆境の中でこそ「いのち」は煌めいていくのである。

 第三期は、親鸞の説く他力の教えに導かれながら、執筆活動・講演活動などを積極的に行っていった時期である。ここでいう他力とは、あることへの感謝である。久子は、自分にはない手足を嘆くのではなく、自分にあるものを見つめ、感謝するようになった。そこで感じた幸せを『ある ある ある』という詩で表している。

 

ある ある ある

 

さわやかな

秋の朝

 

“タオル取ってちょうだい”

“おーい”と答える良人がある

“ハーイ”とゆう娘がおる

 

歯をみがく

義歯の取り外し

かおを洗う

 

短いけれど

指のない

まるい

つよい手が

何でもしてくれる

断端に骨のない

やわらかい腕もある

何でもしてくれる

短い手もある

 

ある ある ある

みんなある

さわやかな

秋の朝

(RA胡)

悲嘆と再生-がんに妻を奪われた専門医-

ユニット4
開催日時 2010年12月12日(日)14:00~16:00 参加費用500円
開催場所 龍谷大学大阪梅田キャンパス (JR「大阪駅」桜橋出口徒歩4分)
講師 垣添忠生さん(国立がんセンター名誉総長)

土徳ー焼跡地に生かされてー

研究展示「ヒロシマの原爆に学ぶ-被爆者の死生観と願い」関連事業・映画上映会

各ユニット共通
開催日時 2010年12月6日(月) 10:45より(上映時間118分)
開催場所 龍谷大学 深草学舎 顕真館

【作品紹介】

広島は古くから安芸門徒と呼ばれ、浄土真宗のお寺が多い地域である。映像作家・青原さとしは、真宗のお寺・真光寺に生まれ、少年時代からお寺社会に抵抗を感じていた。一方、戦後45年住職を勤めてきた父・淳信は、お寺の古い因習にこだわり続ける。戦前生まれと戦後生まれの親子の衝突。さとしは、ついに家を出る。数年後、父が病に臥したことをきっかけに、さとしは、カメラを回し始めた。ふるさとの映像による探索である。市井の人たちを訪ねながら、明らかにされていく父が育った時代のふるさと、原爆以前の広島。それは毛利氏以来、城郭都市として築かれた町だった。それとともに明らかになる真光寺の戦前の姿。そして父・淳信は、そこをどのように生きてきたのか?物語は、家族5人を失った淳信の壮絶な原爆体験と戦後の復興へと展開する。父への問いかけの果てに答えてくれた土徳・地域の恩恵とは?父の死と相前後し撮影された11年分のビデオ記録をもとに個・家族・町の関係を問いつつ、現在から過去、ヒロシマから廣島、縦横無尽に飛翔する極私的歴史ドキュメンタリー

(土徳公式HP http://dotoku.net/ より)

 

被爆体験記朗読会・被爆体験講話

研究展示「ヒロシマの原爆に学ぶ-被爆者の死生観と願い-」関連講義

被爆体験記朗読会

日時:2010年11月24日(水) 13:15~14:45

場所:深草学舎 顕真館

内容:朗読ボランティアおよび参加者による被爆体験記・原爆詩の朗読

主催:龍谷大学 人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター

協力:国立広島原爆死没者追悼平和記念館

入場無料・事前申し込み不要

 

被爆体験講和

講師:阿部靜子さん

日時:2010年12月2日(木) 10:45~12:15

場所:深草学舎 顕真館

内容:原爆被害の実相と被爆体験を中心とした被爆者による講話

主催:龍谷大学 人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター

協力:広島平和記念資料館

入場無料・事前申し込み不要

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「被爆体験朗読会―被爆者の死生観と願い」報告

協力 国立広島原爆死没者追悼平和祈念資料館

日時 2010年11月24日水曜日13:15~14:45

場所 龍谷大学深草学舎顕真館

参加者 約600名 (「仏教の思想」特別授業として)

成果概要

 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の森山さんらのご協力により、初めて、広島県外での被爆体験朗読会を開催することができた。開催目的は、当センター研究プロジェクト「死生観と超越」に鑑み、ヒロシマの被爆者の悲しみのありのままとその願いに学び、京都の龍谷大学において、被爆者のその悲しみの真実と平和への悲願を学生や教員、市民が聞き、私たち自身がその悲願を継承し、伝えていきたいというところにあった。

 龍谷大学の会場は、仏教の思想の受講生をはじめ一般市民まで、約600名の聴衆が集まった。総合司会をセンター長が行い、初めに、追悼平和祈念館による「ヒロシマの原爆の現状と平和への取り組み」についてのDVDを上映した。次に、被爆体験朗読会の久保さん、中村さん、梅原さんの3人によって原爆詩や被爆体験の朗読が行われた。三人の朗読する原爆詩を、学生たちは静かに視線を話し手にくぎづけにして聞き入った。学生たちにとっても初めての経験であった。また、本学法学部の学生4名(若原めぐみ、森口ゆう、星沢さよ、谷川ゆきこ)によって原爆詩が朗読されると、会場からは自然に拍手がわきおこった。学生たちの心のこもった朗読が聴衆の琴線に響いた。学生たちは何度も繰り返し読んで練習してくれていた。群読も行われた。それら原爆詩のいくつかを紹介したい。

(1) げんしばくだん(坂本はつみ) 

「げんしばくだんがおちると ひるがよるになって 人はおばけになる」(『小さな祈り』汐文社)

(2)おとうちゃん(柿田佳子)

「にぎやかな広しまの町 そこでしんだ、おとうちゃん げんばくの雲にのっていたおとうちゃん おしろのとこでしんだ、おとうちゃん わたしの小さいときわかれたおとうちゃん かおもしらないおとうちゃん 一どでもいい、ゆみにでもあってみたいおとうちゃん おとうちゃんとよんでみたい、さばってみたい せんそうがなかったら、おとうちゃんはしななかったろう もとのお家にいるだろう にいちゃんのほしがるじてんしゃもかってあるだろう」(『小さな祈り』汐文社)

(3)弟(栗栖英雄)

「いたといたの中にはさまっている弟、うなっている。弟は、僕に水 水といった。ぼくは、くずれている家の中に、はいるのはいやだった。弟は、だまってそのまま死んでいった。あの時、僕は水をくんでやればよかった」(『原子雲の下より』青木書店)

(4)しづかに歩いてつかあさい(水野潤一)

「今は 新しげな建物のえっと見える この川辺りの町全部が 昔は 大けい一つの墓場でしたけえ 今は車のえっと走っとる この道の下で うじ虫の湧いて死んで行った 母を焼いた思い出につき刺されて 息子がひていじゅう つくなんで おりますけえ ほいじゃけえ 今 広島を歩く人々よ どうぞ いついきしづかァに こころして歩いて つかァさい それにまだ病院にゃあ えっと火傷を負うた人も 寝とってじゃし 今も急にどこかで 指のいがんだ ふうのわりい人や 黒髪で いなげな頬のひきつりを かくしとった人が 死んで行きよるかもしれんのじゃけえ ほうじゃけえ 広島を訪れる人々よ この町を歩くときにァ どうぞ いついきしづかァに こころして 歩いて行ってつかァさいや・・・ のう・・・(『日本の原子文学⑬詩歌』ほるぷ出版)

 新たに得た視点は次の通りである。被爆者の悲しみや無念さは消えることはない。しかし、被爆者の真実の体験を、原爆を知らない私たち自身が朗読することによって、その亡き方々の切なる願いが今に生きつづけると深く感じた。想像力をもって、人の痛みを感じることが重要であり、悲しみからこそ、真の慈しみが生まれてくるのだろう。武田晋教授は、夜のイルミネーションに光る街に目が奪われがちになるが、イルミネーションの全くついていない広島平和公園を静かにゆっくり歩きたいと思ったと話してくれた。被爆体験朗読会は実に意義のあることであった。

 反省点は、お借りした貴重なヒロシマの原爆に関するDVDの音声がとぎれ、幾度も中断しながらしか上映できなかったことである。マイクの調子もよくなかった。ひとえに私を初め、本学に準備不足があったことをお詫び申し上げたい。にもかかわらず、朗読会終了後、久保さん、中村さん、梅原さんは、ほほえんで、「かえってよかった。会場の学生たちが原爆詩を黙って聞き、まるごと受けとめてくださった」と言葉をかけてくださった。広島の方々の温情にふれて感謝の気持ちで一杯である。これからもできれば、このような被爆体験朗読会を龍谷大学で教員、学生、地域住民と共に開催していきたい。それがきっと被爆者の悲願を生かすことになるにちがいない。(鍋島)

  被爆体験朗読会の方々より、次のようなお礼のメッセージが届いた。

「私たちは朗読会を終えたその夜、感動して眠れませんでした。六百名をこえる学生たちが、ただ静かにヒロシマの原爆詩や被爆体験に耳を傾けてくださったからです。若い方たちが、詩を朗読する私たちをじっと見つめて聴いてくださったことは、何にもまして大きな力となりました。その学生や先生方皆様の熱心な視線を感じながら、朗読できたことは幸せでした。また、朗読してくださった四名の学生さんの声は、私たちの心に深く届きました。心を込めて読んでくださってありがとうございます。皆さんが読んでくだされば、亡くなった被爆者の平和への悲願が今も生きつづけると感じました。私たちは、今まで広島県内において、被爆体験を次の世代に継承していくことを願って、子どもたちや県民の皆様の前で朗読をしてきました。被爆者が高齢化するに伴い、その貴重な経験を語り継ぐことがだんだんむずかしくなっています。そこで、原爆詩や被爆体験を朗読するという方法によって、誰でも被爆者の悲しい体験を語り、伝えられるように切望したのです。普段は数十人の前で話すことが多かったと思います。龍谷大学の大勢の皆様の前でお話することは初めてのことで不安がありましたが、皆様は私たちのヒロシマの被爆体験をそのまま黙って受けとめてくださいました。そのことに今も感動しています。皆様の感想を送っていただけるとのこと、とても楽しみにしています。今回、龍谷大学の六百名以上の学生や市民に伝わったという喜びを、広島平和記念資料館の前田館長に報告いたします。まだ開催したことのない地元の広島の大学などでも実現できるように努力してみたいと思っております。諸先生方、学生の皆様、心から御礼申し上げます。」

仏教の生死:パラダイム論的省察

ユニット4
開催日時 2010年10月26日(火)10:45~12:15
開催場所 龍谷大学 大宮学舎南黌203教室
講師 ロナルド・Y・ナカソネ氏(GTU, Professor, Buddhist Ethics / Stanford Geriatric Education Center,Stanford University Medical School)

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今回の特別講義は『仏教の生死:パラダイム論的省察』をテーマにし、長年アメリカで死生観に関わる問題に取り込んでおられるロナルド・Y.ナカソネ教授によってご発表いただいた。戦争被害者の話を紹介されながら仏教死生観について問題を投げかけられた。仏法の再考と思索のパラダイムについて弁証的に論じられた。

 数多くの原爆被爆者とのインタビューを行った心理学者のロバート・ジェイ・リフトンは、死を超越することを説くさまざまな宗教的思想を含め、いかなる思想も、被害者が自分の被爆体験を理解するための力とはなり得なかったという恐ろしい結果を見出した。ナカソネ先生も元「従軍慰安婦」のセオ-ウーン・ジェオン氏にインタビューし、他の人間たちが彼女に対して行った残酷な行為は、彼女から人間存在の合理性と人間的意味に対する信仰を奪い去ったと指摘した。何世紀もかかって築き上げられた仏教と儒教にもとづく文化や教育が、たった数年間の軍国主義によって、なし崩しにされてしまったという事実に気付いた。そこで、ナカソネ先生は「どのような仏法の教えの中に、被害者は、生きる力と心の癒しを得ることが出来るのでしょうか」と問いかけられた。

 ナカソネ先生は、仏法が今後も引き続いて、現実に関与し続けられるかどうかは、科学や技術の発展と、進化しつつある出来事に対応しながら変化していく人間性のヴィジョンについて、仏教者が再考しつづける力量を有しているかどうかにかかっていると述べた。

また、仏教的思考のパラダイムに関しては、「曖昧性」と「不確実性」が提示された。具体的には、十玄門とそれを支える仮定(継続的流動性と複合的中心)が、決定的な判断と意味のある比較を確立する事ができるための時間的または空間的固定性を回避するのである。

例として、1997年に制定された臓器移植法にある複数の死の概念が挙げられる。例えば、脳死の判定は臓器提供者とその家族の間の合意によるものなど。この法律は、日本人が、脳死と臓器移植という最近現れた概念に対して持つ相矛盾する感情と、それを何とか受け入れようとする気持ちを反映しているのではないかと推測された。さらに、「パイの物語」という例をあげて宗教には絶対性ではなく相対性が求められるのではないかと推論された。

 全く新しい状況に直面した時、また古い思考法や行動の仕方が、もはや満足できる答えを与えてくれない時、私たちは解釈学的想像力を拡大し、古い概念のパラダイムから、さらなる知見を絞り出す努力をする必要があると述べ、“think outside the box”が必要になってくると結論された。(RA胡)

 

日本の終末期医療におけるスピリチュアルケアと宗教的ケア──ビハーラ僧とチャプレンの宗教間対話より

「死生観と超越 ─仏教と諸科学の学際的研究」 公開講座

ユニット4
開催日時 2010年7月22日(木)9:00~10:30
開催場所 龍谷大学 深草学舎 顕真館
講師 浜本京子(日本バプテスト病院チャプレン)
森田敬史(長岡西病院ビハーラ棟 ビハーラ僧)
参加者 コーディネーター: 打本未来(龍谷大学非常勤講師 愛染橋病院チャプレン)

【開催主旨】
 日本バプテスト病院チャプレン浜本京子先生と長岡西病院ビハーラ病棟でビハーラ僧の森田敬史先生をお招きし、終末期の患者様へのスピリチュアルケアと宗教的ケアについて実践を交えてお話いただきます。
 スピリチュアルケアと宗教的ケアはいまだ混同されることが多く、その違いや共通点も
まだ理解されているとは言いがたい現状です。
 キリスト教を基盤とする病院、仏教を基盤とする病院という違いが、それぞれの終末期
医療の現場でどのように活かされているのかについてお話いただきたいと思います。死にゆく人のために今、日本で何ができるのか、仏教とキリスト教が宗教の違いを超えて、ご対談いただきたいと思います。

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 講演会では、日本バプテスト病院チャプレンの浜本京子先生、長岡西病院ビハーラ棟 ビハーラ僧の森田敬史先生によって具体的な活動内容や経験を提示されながら、スピリチュアルケアと宗教的ケアに関する対論が行われた。

 両先生は実際に病院内で活動されていることもあり、医師、看護師、そしてチャプレン、ビハーラ僧が「生」や「死」の場面に直面し、また、身体的にも精神的にも多様な悩み、苦しみと向き合われているのかがよく理解できた。その中で、両先生が共に主張されたことに「関係」の構築というものがあった。これは、患者さんとの「関係」だけでなく、病院内での「関係」の構築といった広い意味を持つが、そうした「関係」の中で、スピリチュアルケアが行われているということは、「縁起」を説く仏教に対してもその活動が重要な提言となりうると思われる。

 そうした中で、「宗教的ケア」では、そのような「関係」の中に神や仏が入ってくるということであったが、病院内では宗派の違いや、特定の宗教をもたれない方とも接していくが、そこに何ら不利益も問題もないと言われた。これは、コーディネーターの打本先生が指摘された、「宗教」と「スピリチュアリティ」の関係や捉え方と関わる事柄であるだろう。

 最後に、3名の先生方はそれぞれに「宗教的ケア」の必要性を述べられていたが、その理由として「死」を直接経験していない人が、「死」に直面する方の話を聞く、という行為を挙げられていたことを新たな知見として提示したい。打本先生は、宗教は「死や死後の世界に対する答え」を持っていると指摘されたが、これまで宗教で問題とされていた事柄が、現代の医療現場において必要性を訴えられていること、現に実践をされている先生方から提示されたことは、今後さらなる研究が進められるべき論点の提示だと受け止められる。(PD岡崎)

臓器移植をめぐる死生観と生命倫理

「死生観と超越 ──仏教と諸科学の学際的研究」UNIT4・特別講演

ユニット4
開催日時 2010年6月29日(火)10:45am~12:15pm
開催場所 龍谷大学大宮学舎 南黌203( 京都市下京区七条通大宮東入大工町125-1)
講師 中西健二(元・社団法人日本臓器移植ネットワーク 臓器移植コーディネーター 人間科学博士)
参加者 レスポンス: 黒川雅代子(龍谷大学短期大学部准教授)
モデレーター: 鍋島直樹(龍谷大学教授)

【開催主旨】
 臓器移植とは一つの医療技術ですが、臓器移植という技術が広く社会に受け入れられるには、医学だけではなく、法律学、哲学、社会学、宗教学、心理学など様々な学際的アプローチが必要不可欠です。当日は日本における臓器移植の現状を報告するとともに、臓器を提供する人、移植を受ける人、そこに関わる医療従事者や移植コーディネーターの声を紹介し、臓器移植が抱える課題について皆さんと一緒に考えたいと思います。

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 本講演では、臓器移植に関する基礎知識や歴史、海外と日本国内の現状比較などについて紹介された。また、日本国内の現状に関しては、臓器移植法の改正法における誤解されやすいところや最近の調査での新たにわかった結果をメインとして紹介された。
 世界初の心臓移植が行われた一年後の1968年に、日本初の心臓移植が行われたが、法律の不整備などによって一時期医療界でタブー視された。1997年に脳死での臓器移植を認める臓器移植法が成立し、去年、改正法が通過した。しかし、法整備がされた現在でも臓器移植のケースが海外と比べてまだまだ低い数字のままである。
  その理由を調査の結果からいくつか説明された。まず普及啓発の問題、及びコーディネーターの不足が指摘された。海外ではコーディネーターの数も多く、役割分担も細かくされているのに対して、日本においてはまだまだ足りないところがたくさん残っている。例えば、日本全国の臓器移植コーディネーターは28人に留まり、2人で9県の仕事を担当する場合も生じている。そのため、人々への臓器移植に関する知識の普及啓発は低い水準に留まり、臓器提供希望率はまだ高くない。次に移植システムの問題が説明された。臓器提供を行うことのできる4類型施設を中心とした1,634施設へのアンケート調査によって、脳死下臓器提供が進まない理由が3つ浮かび上がった。一番目の「家族の申し出がない」は上記に述べた普及啓発につながるが、二番目の「脳死判定をしない」と三番目の「院内体制が整備されていない」ともシステムに関連する問題となっている。
  また、ドナー家族への調査から見ると、「体の一部分をどこかで生きてほしい」と願って提供を決めた家族が日本では最も多かった。それは国民の仏教信仰にも関連するのではないかと推測された。
  最後にドナー家族の死別悲願への対応について紹介された。ドナー家族の精神的健康は臓器提供をしていない突然死遺族とほぼ同じ(黒川,2009)とする調査結果や、臓器提供に対する満足度は精神的健康と有意な相関関係にあるなどの調査結果が出ていることから、ドナー家族へのアフター支援も大事であることが説明された。
  講演会を聞いた方々からもらったアンケートを見ると、「これをきっかけに臓器提供や移植などについて始めて真剣に考えた」といった意見がたくさんあった。(RA胡)

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