• 新着情報
  • 研究目的・意義
  • センター長挨拶
  • 研究体制
  • 研究活動
  • 研究成果
  • 地図・お問い合わせ
  • リンク
  • 更新情報
  • 龍谷大学
  • 2002~2009年度 人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センターのサイト

研究活動

UNIT4 公開講演 いのちを考える

~救急、がん医療そして緩和ケアの現場を通じて~

ユニット4
開催日時 2011年11月24日 木曜日 10:45~12:15
開催場所 龍谷大学 大宮学舎清風館B103
講師 馬場祐康 氏
あそか第二診療所ビハーラクリニック院長
参加者 一般公開
参加無料
事前申込不要

報告を見る

報告を閉じる

 

 

 

 

 

 

 

 

ご講師の馬場氏は、ご自身の自己紹介に続き、パワーポイントを用いて、写真やグラフなどを提示しながら、会場との対話も交え以下のようにお話しいただいた。


 岩手県出身の馬場氏は、救急医療、僻地医療、がん医療への従事を通じて、「生きる」ということについて深く考えるようになり、現在は緩和ケアに従事されている。馬場氏は5年前に岩手県の病院で勤務されていて、2011年8月に岩手を訪問された。以前の職場や住んでいたアパートは、建物や鉄骨のみ残っていた。しかし、周りの物は何もなくなっていた。馬場氏は、今ここで話をしていること自体不思議だと感じている、と話された。

                      

 

1、救急医療のこと~交通事故、自殺、ゲートキーパー~

 2008年のデータは、救急車の出動件数が500万件を超え、1998年より約4割増加している。その結果、119番通報して到着するまでに約2分長くかかるようになった(約8分)。実は救急車を利用した人の半分は軽症である。

 また、交通事故による死亡者は、1970年には16000人だったが、交通違反の厳罰化が進み、2010年には4800人(約3分の1)となった。心肺蘇生は、1分遅れるごとに助かる割合が約10%低下する。脳に3分間血液がいかなければ重い後遺症が残るので、倒れている人を見たら119番通報し、息をしていなければ心臓マッサージをしてほしい。また事故の場合、たとえば友人として、そして僧侶として遺されたご家族にどんなことができるのか、皆さんも考えてほしい。

 次に自殺という問題である。特に問題なのは、20歳から39歳の死因の第1位であること。もし悩みがあるなら、友達に相談してほしい、というのが今日伝えたいメッセージである。一つのヒントが、「ゲートキーパー」である。2010年に厚生労働省が立てた、「いのちを守る自殺対策緊急プラン」にゲートキーパーの役割が示され、「気づくこと」と「話を聞く(傾聴)」(家族や仲間の変化に気づき、声をかけること)である。緩和ケアにも通じるが、自分の価値観を押しつけず、まず聞くことである。自分の対応だけで難しい場合には、専門家を勧めてほしい。

 

2、がんのこと~抗癌剤~

 2010年に亡くなった100万人ほどの死因の1位はがんである。抗がん剤の薬は年々開発され、最近では30か月(2年半)くらい頑張れる方が出てきている。月々医療費は30万円~50万円近くになるが、ほとんど保険が効く薬のため(高額療養費制度)、京都の場合、負担の上限は一般世帯で月8万円くらいである。それが3か月続くとその半分(44,400円)になり、自己負担が減る。しかし、その分他の皆さんが負担をすることになる。長生きをすると病気になる人が増え、その方々を支えるためにはお金がかかるということである。

 

3、緩和ケアのこと~ビハーラ~

 現在緩和ケア病棟が、抗がん剤や手術以外に、穏やかに過ごすための病棟として、全国の大きな病院に213の施設がある(ベッド数4200床)。しかし、がん患者が30万人いる中、1割ほどしか入れない。京都には、あそかクリニックも合わせて計120床あり、これは人口10万人に対したった4.7床だが、全国的には中ほどである。

 昨年発表されたアメリカの医学論文によると、がん患者の従来の治療に加えて、2週間に1度~月1回緩和ケア外来を行い、体や心のつらさについて相談を受けると、約2.7か月寿命が延びた。この差は抗がん剤として認められるレベルの効果であり、去年世界中で緩和ケアに対する関心が高まった。

 日本では、田宮仁先生がホスピスの代わりに「ビハーラ」という呼称を提唱されたが、この言葉の由来は、僧院・安らぎ・休息の場所である。あそか第二診療所では、「願われたいのちを共に生きるひとときに、仏の慈悲に照らされている『ぬくもり』と『おかげさま』の心で、安らぎの医療を実践します」を基本理念としている。4月に赴任してからは、患者の受け入れを増加させること、そして、緩和ケアの教育施設として、多くの医学生・看護学生などを受け入れることに積極的に取り組んでいる。また、当院では、僧侶が朝夕の勤行とお部屋回り(傾聴)、グリーフケア(遺族ケア)の「お別れ会」「遺族会」「ぬくもりの会」を行っている。

                      

 

 最後に、馬場氏はスヌーピーの絵を見せてくださった。スヌーピーは飼われている犬だが人に媚びず、何とかなるかな、明日どうしようかなと、飼い主といつも同じ方向を向き距離を保っている。緩和ケアも同様で、寄り添うというのは、可哀そうだと同情や憐れみを持つことではなく、その人らしくどう生きるかを肯定し続けるということだと思う、と緩和ケアの姿勢を我々に教えて下さった。

 馬場氏の言葉で最も心に残ったのが、医療の場では特に終末期患者への対応に限界があり、そこには宗教の力が必要であるという、宗教者への大きな期待であった。心穏やかに最後を迎えるためには、患者を決して一人にせず、家族・医療従事者・ソーシャルワーカーと、そして宗教者等、様々な専門分野を持つものがチームとなり、かけがえのない最後の時間を共に過ごすことが大切なのであろう。そのためには、宗教者が医療や緩和ケアについて一層理解する必要がある。今回の講座を通し、特に仏教・真宗の実践に取り組もうとしている聴講者にとって、医療現場やホスピス、ビハーラ、緩和ケアの実際を知り、今後自らの実践に活かすことのできる貴重な機会となった。

(釋氏)

UNIT4 公開講義 南三陸町の真実

ユニット4
開催日時 2011年11月21日 月曜日 11:00~12:00
開催場所 龍谷大学深草学舎至心館パドマ展示室シアタールーム
講師 及川幸子 氏
(南三陸町歌津総合支所町民福祉課係長)
聞き手 鍋島直樹
   (龍谷大学人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター長)
参加者 一般聴講歓迎
事前申込不要

報告を見る

報告を閉じる

 

 

 

 

人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センターでは、東日本大震災の被災地の方々と継続的に交流し、心のケアを通して学んだことを、研究展示「宮沢 賢治の死生観-雨ニモマケズ-」にて紹介しております(http://buddhism-orc.ryukoku.ac.jp/activity /display/)。この展示の関連事業として、被災地でのボランティア活動や、被災者の方々との交流を続けるために協力をいただいた南三陸町歌津総合 支所町民福祉課係長の及川幸子さんをお迎えし、被災地の現状や、復興に向けての歩み、人々の支えあいなど、南三陸町の今を教えていただきました。

最初に5分ほど、南三陸町で撮影された津波が迫ってくる様子の映像が流されました。

次に、南三陸町の人口や歌津地区・志津川地区の説明、南三陸町の周囲の環境などを、写真を使ってわかりやすく説明していただきました。次に、及川さ んが歌津支所で被災されてから障碍者の方や学童の子どもたちと一緒に避難所に避難するときの様子をお話しいただきました。最初、町立伊里前(いさとまえ) 小学校に避難したが、この小学校にも津波が来るかもしれないということで、さらに高台の歌津中学校に避難した、という当時の緊迫した状況をお話しいただき ました。この話の中で、津波が来るまでの三、四十分の間の判断が重要であること、そして、想定外の地震が起こったときは、日常業務やマニュアル等に縛られ るのではなく、まず自分たちが逃げて助かることが大切である、と教えていただきました。

次に歌津中学校での避難生活についてお話しいただきました。食料やガソリンなどの確保に苦労された話や、津波の被害を直接受けなかった地区からの支 援、自衛隊や米軍、他県の救急隊の方々の支援、そして歌津地区のコミュニティの中での助け合い、というさまざまなつながりの中で避難生活を送られたお話を 伺いました。

さらに、遠藤未希さんについてお話しいただきました。及川さんは遠藤さんと一緒に仕事をされて、また日本舞踊を一緒に勉強されていました。10月に遠藤さんのご自宅に伺ったときのこともお話いただきました。

今回のご講演で学んだこと、それは及川さんの存在そのものであったと思います。被災者に足を運んでいない者が抱きやすい被災者のイメージは、家族を 失い、住居や仕事を失って、途方に暮れているというものではないでしょうか。もちろん、いまだ悲嘆に暮れる日々であるかとは思いますが、一つ一つの出会い を大切にされながら、復興に向けて、さまざまな取り組みをされている、そのような及川さんの姿そのものが私たちに希望をもたらすものだと思います。私たち も今回の及川さんとの出会いを大切にして、自分たちにできることに取り組んでいきたいと思います。(古荘)

UNIT4 公開講演 ヒロシマの真実

-爆心地に生まれてー

ユニット4
開催日時 2011年11月17日 木曜日 10時45分~12時15分
開催場所 龍谷大学 大宮学舎清和館3階ホール
講師 田邊雅章氏
㈱ナック映像センター代表取締役 
プロデューサー 
平和公園復元映画製作委員会代表
(協)CGファクトリー広島理事長
参加者 一般公開
入場無料
事前申し込み不要

報告を見る

報告を閉じる

 当日は一般来場者と大学院生、合計30名程集まった。
 田邊雅章先生はドキュメンタリー番組制作に携わり、プロデューサーとして活躍されている。
 一方で、これまで、自身が被爆したことは口外することはなかった。しかし、産業奨励館(「原爆ドーム」)の隣の生家で育ったことは、ある意味「もっとも近い被爆の証言者」でもあった。そこで先生は、被爆者の証言を織り交ぜたドキュメンタリー番組の制作に取り組むことを決意。2006年には「爆心地?ヒロシマの記録?」を完成させた。
 講演の中で先生は、安芸の風土について触れられた。多くの人が「南無阿弥陀仏」と念仏しながら川に身を投じていった姿を思いおこすとき、仏教とはどのような宗教か考えされられたという。また、仏教思想には多分の可能性が秘められていることに言及された。
 講演後はフロアから質問・感想が寄せられた。なかでも次世代に原爆の悲劇をどう伝えていくかということについては、先生の取り組みに賛同する意見が多く聞かれた。(RA本多)

Unit4研究会 「ニュージーランド・クライストチャーチ地震における「こころのケア」の実際」

ユニット4
開催日時 2011年11月15日(火)17:00~18:30
開催場所 龍谷大学 深草学舎 至心館パドマ大会議室
講師 河野智子 氏
(京都第一赤十字病院看護師長)
参加者 本研究会は、研究員、学内者、院生のみで開催された。

報告を見る

報告を閉じる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2011年2月24日にニュージーランドのクライストチャーチ近郊を震源とするM6.1の地震が発生し、181人の方が亡くなった。日本赤十字社で は、行方不明者のご家族などを対象に、日本語でのサポートを行うため、医師、看護師、事務職員を派遣された。河野先生は、2月27日から3週間活動され た。本講演では、地震直後のニュージーランドでの状況や、日本赤十字社の心のケアの活動についてお話しいただいた。

 在留邦人の方々やニュージーランド赤十字社のボランティアと協力しながら、活動内容を模索しつづける日々であった。行方不明者の捜索が進まないなか で、強いストレスを感じていらっしゃるご家族のための活動(赤十字カフェ、日赤ホットラインなど)を展開された。ご家族が少しでも心の緊張を解いていただ けるよう、さまざまな工夫をされていたことをご報告いただいた。

 また、身元確認後のご家族に対する支援も行われた。ご遺体との対面や葬儀への付き添いなども行い、グリーフケアを重視されていた。このような場面でかける言葉がないとしても、そばにいるというだけで支援になるということがわかった。

 本日のご講演から改めて学んだことは、継続的な支援と、語りかける言葉の大切さである。ニュージーランドを何度も訪れたご家族にとって、「日本赤十 字社心のケアチーム」の同じ人がいて、しかも日本語でのサポートが得られることが何よりの心の支えになった。ご家族は自分の悲しみを語るときに日本語で語 りたいのである。今回の地震で被害に遭われた方は、語学留学のために富山からニュージーランドに来られた方が多かったが、そのご家族に対し、富山のことば で語りかけるスタッフがいらっしゃった。日本語の中でも、日常的に話している富山の言葉で辛さを語り合うことで、心が慰められるとともに援助スタッフとの 信頼関係も強固なものとなった。このように、グリーフケアには、継続的なケアと、ご家族に親しみのある言葉で語りかけることの重要性を改めて教えられた。 「ケアをしにきました」と言ってご家族に近づいても、ご家族に受け入れられるのは難しい。看護婦である河野さんは聴診器をもって血圧を測りながらご家族に 触れ、会話をするところからケアが始まると述べられた。僧侶にとって、ケアの取っかかりが何であるのか、よく考える必要があるだろう。

(古荘)

UNIT4 公開講座 いのちに携わる看護師のお話し

ユニット4
開催日時 2011年11月7日 月曜日 10:45~12:15
開催場所 龍谷大学 大宮学舎東黌205
講師 中島 静枝
あそか第2診療所 ビハーラクリニック 看護部長 
緩和ケア認定看護師
参加者 参加無料
事前申込不要

テーマ

ちょっと覗いてみませんか?~自分のいのちを考える授業~

いのちに携わる看護師のお話し

報告を見る

報告を閉じる

 

P1040301.JPG
 
P1040306.JPG
 
P1040309.JPG
 

講師の中島静枝氏は、緩和ケア認定看護師であり、現在あそか第2診療所・ビハーラクリニックの看護部長を務めておられる。

初めに中島先生は、

 “一般病院・我が家での経験のもと、緩和ケア病棟での看取りを行ってきました。様々な患者さんやご家族との出逢いの中から、いのちとは何か、その人らしく過ごしていくことを支えるとは何かなどを今までの経験の中から学んできました。今回、私が患者さんに寄り添うことで学んできたことや、Indiaのお話も含めて皆さんと一緒に少しの時間ですが過ごしたいと思います”

と語られ、お話を始められた。まず中島先生は聴衆に、

  あなたの中にある いのちの音は どのような音ですか?

と質問され、個々人のいのちの鼓動に耳を傾けることの重要性を話された。その後、「ホスピス・緩和ケア」の基本方針を説明され、続けて「あそかビハーラクリニック」の基本理念を説明された。

【基本理念】

ぬくもりとおかげさ

  あそかビハーラクリニックは、

願われたいのちを共に生きるひとときに

仏の慈悲に照らされている

「ぬくもり」と「おかげさま」の心で

安らぎの医療を実践します

 

この基本理念の目指すところは、患者さん、ご家族、スタッフを平等に慈悲の心で包み込んでくださっている仏様の「ぬくもり」を頂くことであり、それは「ありがとう」と「おかげさま」という感謝の心が循環することであるという。このような基本理念を実現していくためには、「Hospitality」のハード面とソフト面が大切である。ハード面には、「人的環境」(看護師、医師、栄養士、僧侶など)と「建物場所」(明るさや広さ等を考慮した設計、家族部屋、キッチンなど)が挙げられ、ソフト面には、「日常生活の工夫」(スタッフの人的な温かさ。例えばティータイム、誕生日会、歌のプレゼントなど)が挙げられる。これら2つの側面が充実されることによって、「Hospitality」を通した基本理念が満足されていくとお話し下さった。

 最後に中島先生は、最後に次のようにお話しされ、まとめられた。

 

看取りとは、今を一緒に生きているということ。

  あそか2診療所では、命に関わる最後の時期を共に過ごしています。

  多職種の専門性を、お互いが生かし患者を理解する努力……

  そして、患者の心に寄り添い、見守り、共に生きる。

  言葉にしたり、文字にすることは容易なことです。これを実践することは、

  ひとりではできません。だから、チームでおこなう緩和医療が大切なんです。

  死とは、その方との別れですが、死に逝く人・残される人の意味を考える機会であり、いのちから、ありがたき教えを頂くことです。

  失うものと、得るもの、いのちが循環しているということです。

  新たな出会いに感謝し忘れない、いつまでもあそか第2診療所は見守っています。

  私たちは、与えるのではなく、与えられているのです。

  最期に出遇う者として、その人にとって、ふさわしくありたいと心掛けています。

 

今回、新たに得た知見は主に以下の二点である。

一つ目は、「Hospitality」には、ハード面である人的環境と建物場所と、ソフト面である日常生活の工夫という二つ側面があるということである。これらの充実は、人として、人間としていかに最期を迎えていくのかということにも通じているものであると考える。

二つ目は、患者、家族、スタッフの間に「ありがとう」と「おかげさま」という感謝の心が循環する環境づくりを目指すというあそかビハーラクリニックの基本理念である。「感謝の心」が安らぎある最期をもたらすということが新たに学ばされたことであった。(胡)

 

龍谷大学大学院実践真宗学研究科・公開シンポジウム「葬儀の今を考える -あなたはどう見送り、どう見送られますか-」

ユニット4
開催日時 2011年10月13日(木) 15:00~17:50
開催場所 龍谷大学アバンティ響都ホール(京都駅八条口・アバンティ9階)

パネリスト
・イオンリテール株式会社 イオンライフ事業部長
   広原 章隆(ひろはら・ふみたか)氏
・長野県松本市 臨済宗・神宮寺住職 龍谷大学客員教授
   高橋 卓志(たかはし・たくし)氏
・龍谷大学(大学院実践真宗学研究科)教授 大阪府吹田市 浄土真宗・大光寺住職
   清岡 隆文(きよおか・たかふみ)氏

 

主 催:龍谷大学大学院実践真宗学研究科
協 力:龍谷大学人間・科学・宗教 オープン・リサーチ・センター

報告を見る

報告を閉じる

  

 

 

 

 

 

 

 

  龍谷大学 大学院実践真宗学研究科主催、龍谷大学人間・科学・宗教ORC協力によるシンポジウム、「葬儀の今を考える――あなたはどう見送り、どう見送られますか――」が龍谷大学アバンティ響都ホールで開催された。最初にパネリスト3氏からの提言があった。

 イオンリテール株式会社イオンライフ事業部長、広原章隆氏の提言からは、現代社会の変化を正確に捉え、お客さまのニーズに的確に応えようとする真摯さが感じ取られた。菩提寺をもたず、宗教との関わりの薄い人々が増えるとともに、直葬などの小規模な葬儀形態が増加し、お布施などの葬儀に関することをどうしてよいかわからない人が増えている。そのような現状を踏まえて、納得できる価格と明朗会計で、個々のお客さまに合わせた品質の高い葬儀を提供し、さまざまな情報提供を行っている。仏教界と対立しているのではなく、日本の葬儀における仏教の役割を重視されていた。仏教・葬儀業界・企業が協力して新しい葬儀の形を考えることが必要ではないか、と提言された。

 

 神宮寺住職であり、龍谷大学客員教授でもある高橋卓志氏の提言で最も印象に残ったのは、ひとつひとつの葬儀に真剣に向き合う姿勢である。東日本大震災以後、葬式が要るか要らないかといった議論が表層的なものに過ぎないことが露呈した。今、改めて「誰のために葬儀をするのか」を問わなければならない。葬儀を葬儀社に任せるのではなく、公益法人である寺院が葬儀を運営し、僧が遺族に歩み寄り、遺族と協力して葬儀を作っていくことによって、故人のため、そして遺族のための費用のかからない葬儀が可能になるのではないか。葬儀こそ、仏法を伝える格好な場であり、遺族に対するグリーフケアの場でもある。僧は説明責任を果たさなければならない。葬送のさまざまな儀式の意味を説明することも、寺院の会計や布施の額の目安について説明することも必要である。高橋氏は何十年もかけて、神宮寺で葬儀を執り行うための仕組みを構築されてきた。葬儀を変えていくには、僧が葬儀にしっかりと向き合い、僧が変わっていくことが必要である、と提言された。

 

 龍谷大学教授・大光寺住職・本願寺派布教使の清岡隆文氏は、近年の葬儀の変遷を踏まえながら、今あるべき葬儀について提言された。核家族化、超高齢化、血縁・地縁の崩壊など、最近の社会の急激な変化により、葬儀のあり方が簡略化され、寺院と門徒との関係が薄まり、地域共同体で葬儀を支えることもできない。しかし、遺族に対するグリーフケアという観点からも、仏教、そして葬儀は必要なものである。仏教離れや葬儀の簡略化が進む中で、仏教者が遺族に対するグリーフケアを十分に行うには、葬儀の際や葬儀後に遺族と寺との関係を構築するような工夫を試みる必要があるのではないか、と提言された。

 

 提言の後、質問紙を回収し、パネリスト3氏が各自に投げかけられた質問に回答した。質問に回答するだけでなく、パネリストの間でも議論が生まれ、有意義な質疑応答であった。

 

 今回のシンポジウムで改めて認識を深めたことは、「死を憶え」ということ、そして死の「憶い方」の多様性である。死ぬ前から自らの死を受けとめ、死の準備をしなければならない、という点でパネリストのご意見は一致していたように思われる。この準備が自分の葬儀について事前に取り決めておくことなのか、寺や仏法との関係を築いておくことなのか、意見はさまざまである。いずれにせよ、最後にコーディネーターの深川宣暢氏がまとめられたように、われわれは、生老病死の問題から目をそらしてはならないだろう。自分の死を経験することはできないが、愛する人の死を通して自分の死を知っていく。だからこそ、死について考え続けていくことが大切なのである。

(古荘)

「歎異抄と中村久子」特別上映会

中村久子女史顕彰会

学術講演
開催日時 7月4日(月)10:45-12:00
開催場所 龍谷大学 アバンティ響都ホール
参加者 どなたでもご参加ください。
入場料無料、参加申し込み不要です。

 本上映会は、6月7日(火)から7月22日(金)まで、龍谷大学深草学舎至心館2階パドマ館にて開催される研究展示「生死を超える物語―仏教死生観デジタルアーカイブ研究閲覧システム」の関連事業です。中村久子女史については研究展示でも紹介いたしますが、さらに中村久子女史に関する映画を上映いたします。

 

(龍谷大学 人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センターUnit4主催事業)
 

報告を見る

報告を閉じる

 UNIT4の研究プロジェクトでは、中村久子女史の心の軌跡から浄土教の死生観について学ぶべく、中村久子女史顕彰会の協力のもとで、女史の遺された文章や写真の研究を重ねてきた。その研究成果として、2011年春に映画「歎異抄と中村久子」を完成させた。本上映会は、この作品を上映することによって、UNIT4の研究を一般の方々に広く公開するものである。

 

 中村久子は、3歳の時に、特発性脱疽という病気にかかり、両手両足を切断された。それ以来、彼女は父母や祖母に見守られながら努力を重ね、編み物、書道、万葉集、百人一首などの素養を身につけていく。24歳の時、彼女の乗り越えてきた前半生が雑誌『婦女界』に掲載され、世界中から注目されるようになった。また、41歳の時には、ヘレンケラーとも日比谷公会堂で面談し、困難を乗り越えて自立した女性として世間の脚光をあびた。しかし、いつしか高みに上り、傲慢になっている自分に気づいて悩んでいた。そのような折、福永鵞邦という書家で熱心な仏教徒に出会い、『歎異抄』に心動かされた。『歎異抄』や、金子大栄をはじめとする先生方が彼女の心の苦悩を解き放ち、往くべき道を指し示した。

 映画「歎異抄と中村久子」は、中村久子の究極的な依りどころとなった『歎異抄』が彼女にどのような視座を与えたのかを、中村久子の残した言葉を通して明らかにしている。以下の3人による対談で、作品は構成されている。三島多聞氏(中村久子女史顕彰会代表・真蓮寺)、稲野一美氏(アナウンサー)、鍋島直樹(龍谷大学人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター長)の3人である。対談のテーマは、(1)宿業の自覚、(2)念仏について、(3)父と母について、(4)生かされて、(5)人生に絶望なし、の五つである。本上映会では、(1)と(2)の部分が上映された。

 

 中村久子は、両手両足を失ったことが有難いことだと述べた。どのようにしてこのような発言に至ったのだろうか。

 中村久子は、どんなことも宿業によらぬものはない、と述べている。宿業とは、過去生の行為とその報いのことである。それは決して運命として諦めるべきものではない。大切なことは、宿業を自分自身のこととして受けとめることによって煩悩に囚われた有限な人間であるということを自覚し、この自覚から世界を新しい視点で見つめ、本当の生き方をしていくことである。

 中村久子の場合、手足がないという事実を宿業として真正面から見つめることによって、自分自身の存在を自覚し、新たな自分を発見した。娘が犬猫のように呼ばれる様子を見つめる母の悲しい表情を見て、彼女は「自分は人間なんだ、人間になりたい」という自覚をもつに至った。この自覚によって自分の認識を、「両手両足がない」から「何でもしてくれる短い手がある」へと180度転回させることができた。このように、自らの宿業を正面から見つめることを通して、彼女は新たな自分を知り、生きることができたのである。

 

 中村久子は、どのようなことも宿業によらぬことはないので、み仏からたまわったお念仏を唱えさせていただく、と述べている。このとき、お念仏はどのような意味をもつのであろうか。

 念仏とは、我が名にかけてあなたを救うという弥陀の誓いである。阿弥陀仏の御名の背後には四十八願という仏の誓い、仏の望みがある。だから、南無阿弥陀仏は「ない」から「ある、ある、ある」へと180度転回させる力をもつのである。

 また、親鸞聖人が法然上人という良き人を通して阿弥陀仏に対して絶対的な信頼を置くことにならって、中村久子も親鸞聖人という良き人を通して阿弥陀仏に絶対的な信頼を置く。親鸞が弥陀の本願が自分一人のためにあることを悟ったように、久子もまた歎異抄の教えが自分一人のための教えだと聴きとったときに、阿弥陀仏の慈悲が久子一人に到来する。

 

 新たに得られた知見として、とりわけ興味深かった点は、中村久子が福永鵞邦の念仏に出会って『歎異抄』に出会う経緯について解説された部分であった。

 福永の念仏を聴いたとき、中村久子は直接阿弥陀仏の慈悲に触れたのではなく、祖母の念仏を思い出した。この祖母の念仏は、なぜ孫がこのような運命に生まれたのかという嘆きの念仏ではなく、手足を失って生きる孫の宿業を祖母自身が背負って唱えられた念仏であった。福永の念仏を聴いて、中村久子は、自分が既に祖母のお念仏によって育てられており、既にみ仏の方から自分の存在を願われていたこと、既に救われていたことに気づいたのである。祖母の念仏が中村久子のなかに積み重なって小さな種となり、福永の念仏を縁としてその種が実を結んだのである。

 南無阿弥陀仏に絶対的な信頼をおくことは、念仏を唱えたから救ってくれ、というように南無阿弥陀仏を手段として用いているのでも、阿弥陀仏と取引をしているのでもない。苦しみに苛まれる状態から南無阿弥陀仏と言えるようになったことに対する感謝こそが南無阿弥陀仏であり、既に救われていることに対する感謝が南無阿弥陀仏なのである。このエピソードは、回心の興味深い例となっているように思われる。

現代日本の医療文化と仏教文化

ユニット4
開催日時 2011年6月29日(水) 10:45~12:15
開催場所 龍谷大学大宮学舎 本館講堂
講師 田畑正久(龍谷大学文学部教授)

報告を見る

報告を閉じる

  

 

 

 

 

 

 田畑正久氏は、大分にて病院の院長を務めつつ、龍谷大学大学院実践真宗学研究科の教授として学生の指導に尽力されている。この度は、「現代日本の医療文化と仏教文化」と題して、医療と仏教両方の視点から日本の医療を見つめ直し、医療と仏教とのあるべき関係についてご講演いただいた。概要は以下の通りである。

 

 現代日本の医療の文化について、二つの特徴を挙げることができる。

 第一に、老病死をあってはならないことと考え、余命をのばすことに専心してきた。

 日本人の8割が病院や施設で亡くなる現在、病院は病気を治すところであるだけでなく、死ぬところでもある。しかし、医療現場では、いざ臨終というときに、ベッドサイドから家族を追い出して、人工呼吸や心マッサージなどをする。このように老病死を嫌う医療は、死を家族が受容することを妨げているように思われる。

 

 第二に、医療の現場から宗教性が排除されている。

 欧米では、キリスト教をはじめとした宗教者が医療現場に深く関わっており、医療をキリスト教文化が下支えしている。以前、田畑氏が訪れた、シカゴの病院では、宗教者はどこでもフリーパスで入れたそうである。欧米では、老病死の問題は医療だけでは解決できないということが理解されている。しかし、日本では、私立の病院を除き、医療から宗教性が排除されている。しかし、生老病死の問題を宗教抜きで扱うことはできないように思われる。

 このような医療文化の背景には、人間を有用性によって評価する現代文明の病理があるのではないだろうか。

 

 このような医療文化に対し、仏教文化は、生きていることの意味、死に行くことの物語を提示することができる。

 仏教の「縁起」の考え方によるならば、死の原因はまさに人間に生まれたことなのである。仏教では、死は自然なことであり、あってはならないことではない。このように、生は死に裏打ちされているのだが、医療文化はそのことを忘れている。死への生を生きていることを、浄土教で言えば、浄土への生を生きていることを忘れているのである。

 人間は、人間に生まれて仏法に出会いたいという思いによって、人間に生まれる。人間が生まれるということの背景には、これまでの多くの生命によって生かされ、その結果今生において人間として生まれることができたという物語がある。

 釈迦は、死後については何も記さない。死後についてはわからないのであって、あると書くのもないと書くのも間違いなのである。このように、死後の世界は分からないのだが、何も心配する必要はない。人間は、仏法に照らされて自分の無知、煩悩に気づかされる。自分の愚かさに気づいて、自分が救われないことに気づいて、南無阿弥陀仏を称える。そして、南無阿弥陀仏が私に来たる。だから、今生かされていることをお念仏で受け取って、今の生を精一杯生ききればよい。そのあとは阿弥陀仏にお任せしておけばよいのである。

 

 それでは、医療と宗教はどのように関係を取り結べるだろうか。

 死ぬということの物語は、いのちの全体像をみることのできない科学的合理主義の医療文化から出てこない。そこで、老病死をも受けとめる仏教文化を基礎に据えて、医療文化を仏教文化という基盤の上で展開する必要がある。そのとき、患者や家族、医療関係者が生老病死のすべてを受けとめて、よく生きよく死ぬことになるのではないか。今生を生き切って、人間に生まれてよかったと思えるのではないだろうか。

 このように、医療文化と仏教文化は並列的なものではなく、仏教文化を基礎にして、医療と仏教とが協力することが現代の日本で求められている、という提言で講演は結論づけられた。

 

 田畑氏の病院では、無理な延命をせず、亡くなっていく患者さんを「見守る」ことを重視されている、というお話が特に印象に残った。インフォームド・コンセントの一環で、延命治療を希望するかどうかを本人や家族に聞く、という病院は近年多く見られる。しかし、病院が主体的に無理な延命をしないと語り、それを実行に移しているということはあまり見られないように思われる。このような医療を受け入れられない家族も少なくないであろうが、ともかく、仏教文化に根差した医療の、興味深い実践例であるように思われた。

(古荘)

第10回国際家族看護学会(10th International Family Nursing Conference)

テーマ「家族看護の可視化:知の構築から実践へ」                          Making Family Nursing Visible: From Knowledge to Knowledge Translation

ユニット4
開催日時 2011年6月25日~6月27日
開催場所 国立京都国際会館(〒606-0001 京都市左京区宝ヶ池)

主なプログラム

 

国際家族看護学会 会長講演
 

「遺伝子学を家族看護学研究と教育に統合する」
Marcia Van Riper, RN, Ph.D
(ノースカロライナ大学チャペルヒル校、教授、アメリカ)

「苦悩する家族を支援する:プログラム開発と臨床試験」
森山美知子(広島大学大学院教授、第18回日本家族看護学会 大会長)

 「日本の家族」
前原澄子(京都橘大学)

「Return of "Intimate Outsider"
-家族看護研究における最新トレンドと論点」
Lawrence H. Ganong, Ph.D(ミズーリ大学、教授、アメリカ)
 

 

基調講演

 

「WHO ヨーロッパ・ファミリー・ヘルス・ナース・プロジェクト: 立案,実行,評価」
Bente Sivertsen, RN, MsN
(元WHOヨーロッパ看護・助産術プログラム政策アドバイザー、デンマーク看護婦協会会長)

 

特別講演
 

 「患者と家族の絆:仏教にみる死と慈愛」
鍋島直樹(龍谷大学文学部教授、人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター長)

 

主催:国際家族看護学会

協力:龍谷大学人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センターUNIT4

HP:http://www.ifnc2011.org/japan/index.html

顕真アワー 「東日本大震災 岩手・宮城・福島を訪ねてー雨ニモマケズ」

ユニット4
開催日時 2011年6月1日(水)15:00~16:30
開催場所 龍谷大学大宮学舎 本館講堂
講師 鍋島直樹(龍谷大学文学部教授、人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター長)

報告を見る

報告を閉じる

東日本大震災の岩手・宮城・福島を訪ねて――雨ニモマケズ

 

  生死の苦海ほとりなし

    ひさしくしづめるわれらをば

    弥陀弘誓のふねのみぞ (弥陀悲願のふねのみぞ)

    のせてかならずわたしける

     (『高僧和讃』龍樹讃(7)浄土真宗聖典註釈版579頁)

 

http://buddhism-orc.ryukoku.ac.jp/activity/assets_c/2011/06/DSCN1686-thumb-300xauto-396.jpg

 

 

 この災害支援活動の話は、すべて活動者の思索と悩みの中から生まれた記録である。できるだけ被災地の現実のありのままを伝え、被災地の方々の気持ちをそばで聞き、被災地の方々から大切なことを学びたい。

 最も大切なことは、あらゆる支援活動を相互に認め合い、尊重しあうことである。各宗派本山での追悼法要も、義損金活動も、被災者の受け入れも、被災地現地でのボランティア活動も、すべてが価値ある支援である。

 皆様と共に、東日本の復興のためにそれぞれができることを努力し、深い悲しみを縁として、日本、そして世界が支えあい、一つになっていくことを願って生きたい。

 

災害支援活動

第一回 2011年4月7日~4月10日

 私自身が個人の意思で行く際に、本学の有志の教職員が応援してくださり、貴重な支援物資を提供いただいた。タオルハンカチ、腕輪念珠、風呂敷、ボールペン、花ろうそくを、避難所の子どもやお年寄りに届けると、喜んでくださった。心より御礼申し上げたい。

 4月7日夜、マイカーで出発し、北陸・新潟を経由して、福島、宮城へ約900キロ、13時間。最大余震6強のあった日だった。私たらが現地に赴くと、すでに、本学大学院実践真宗学研究科の院生や浄土真宗本願寺派北海道教区の僧侶たちが、3月中旬から現地入りしていた。現地拠点となる仙台の東北教区災害ボランティアセンターは、3月17日に設立され、西本願寺の北本さんが、ボランティアコーディネーターとして、災害地域の最新情報の提供や連絡調整、記録、日々の報告会開催をしてくださった。

 私は院生と共に、警察や町役場の許可を得て、「遺体安置所でのお勤め」(4月8日)、「南三陸町等の避難所への物資支援・追悼法要」(4月8・9日)、「陸上自衛隊・西本願寺ボランティアとの協力による炊き出し」(4月10日)をさせていただいた。警察の理解を得て、グリーフケアとして、拙著『死別の悲しみと生きる』を遺体安置所などに置かせていただいた。宮城県南三陸町や仙台市宮城野区をはじめ、見渡すかぎり瓦礫のつづく町に、涙も声もでなかった。避難所で、お念珠、ボールペン、おもちゃを受け取った時の、子供たちの笑顔が救いだった。支援したい私たちが、被災した方々に支えられていた。

 

第二回 2011年5月4日~5月8日

 私は、大学院生と共に、被災地への継続的な支援をつづけるために、再び東日本大震災の被災地・岩手県、宮城県を訪れた。「岩手県花巻市の宮沢賢治記念館と宮澤家との連携プロジェクト」(5月5日)、「宮城県南三陸町への物資支援、歌津中学校などに『雨ニモマケズ』の額提供、海と大地への追悼法要」(5月6日)、「東北大学片平さくらホールにて東日本大震災の心のケアを考える公開講演会に参加」(5月7日)、「南三陸町役場の要請による故遠藤末希さんたちの追悼法要、仙台市宮城野区避難所への再訪問」(5月8日)などをさせていただいた。

 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の精神が東北を支えている。その詩の中にある「行ッテ」という言葉は、賢治が最も大切にしていた言葉である。「行ッテ」とは、からだがおもむく時に、心も寄り添うことを意味している。「行ッテ」は、一方的な自己犠牲ではない。相手の所におもむく時には、相手も待っていてくれている。自己と相手との想いが重なってくる。それが「行ッテ」の心である。相手の幸せを自己の幸せとして感得する、自利利他の精神をそこにみることができる。この賢治の「行ッテ」という言葉が私をつき動かした。

 

 3月11日東日本大震災以降、東北や東京を中心に、大きな学術的連携のうねりがある。

 5月7日、東北大学片平さくらホールにおいて、東北大学心の相談室の主催で、「祈りの心―東日本大震災に宗教はどう向き合うか―」というテーマのもと、東日本大震災における弔いの意義と心のケアを考えるシンポジウムが開催された。関東や東北の医師やカウンセラーや僧侶たちが230名ほど集まった。この公開講演会開催に際して、東北大学の鈴木岩弓教授からご依頼があり、私も講演させていただくことになった。

 講師には東京大学教授・島薗進氏、龍谷大学教授・鍋島直樹、上智大学グリーフケア研究所所長・教授・高木慶子氏を迎え、震災の現地で、避難所で、日々被災者と向きあっている、気仙沼キングスタウン(プロテスタント)施設長の森正義氏、石巻・曹洞宗洞原院住職の小野崎秀通氏を交えて討論を行なった。新たに得た知見は次の通りである。

 深い悲しみから真実の絆と思いやりが生まれる。そこに弔いと心のケアの意義がある。人の悲しみを理解するためのマニュアルは必要ない。相手を理解しようとする気持があればいい。読経、法要を継続してつづけながら、被災地の家族の話を互いに聞きあうことが、少しずつ心を開き、慰めることになる。また、ボランティア活動に際しては、しばしば世間や、同じ組織から誤解や攻撃を受けることがある。そうであってはならない。すべての支援活動を相互に認め合い、尊重しあうことが大切であることを提言した。

 このシンポジウムでは、島薗教授の提言に象徴されるように、「悲しみから生まれる力」の意義を学んだ。そして、伝統的な日本人の死生観、弔いの文化の継承と再創造が大切である。この深い悲しみを縁として、世界や日本が学術的にも、宗教的にも、医療的にも、一つに団結して、困難を乗り越えようとしている。

 この大震災の死の現実を見つめ、乗北の方々との心の交流を遺して学んだことは多い。

 東北の方々は、深い悲しみを通して、絆の深まることを私に教えてくださった。

(鍋島直樹)

研究活動トップへ