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研究活動

UNIT2 ワークショップ 開催のお知らせ

ユニット2
開催日時 2012 年7 月12 日(木)17:00~18:30
開催場所 深草学舎至心館2Fパドマ大会議室

1. 宗教的信における超越とその構造
      -諸井慶徳の宗教論-
       澤井義次(天理大学、宗教学)


2. ムカッリフ(能力者)概念をめぐる信仰告白表明と審判
       四戸潤弥(同志社大学、イスラーム学)


3.<下への超越>と<将来する浄土>
      -武内義範の「信楽の思惟」-
      高田信良(龍谷大学、宗教学)

UNIT2 ワークショップ 開催のお知らせ

ユニット2
開催日時 2012年5月17日(木) 15:00~16:30
開催場所 龍谷大学深草学舎 至心館2F パドマ大会議室
講師 1.本多 真(人間・科学・宗教ORC、RA 国際文化学)
   "仏教と環境問題"研究の推移と現状-問題の所在と今後の展望-
2.古荘匡義(人間・科学・宗教ORC、RA 宗教哲学)
   宗教と哲学の対-話-ミシェル・アンリの『キリスト教の哲学』について-


 

第2回 全体研究会のお知らせ

ユニット2
各ユニット共通
開催日時 2011年11 月10 日(木)15:00~17:20
開催場所 龍谷大学 深草学舎 至心館2 階 パドマ大会議室
参加者 CHSR共同研究者

第1部 15:00~16:00
センター長あいさつ 鍋島直樹センター長 10分

【発表】
胡 暁麗(CHSR 博士研究員) 20 分
“Religiosity and Suicide among Chinese Rural Young People”
「中国農村部における若者の宗教性と自殺―量的調査に基づいて―」

岩田 真美(龍谷大学文学部講師・CHSR ユニット2研究員) 20 分
「幕末期真宗僧のキリスト教観―超然の護法論を手がかりに―」

【レスポンス】
高田 信良(龍谷大学文学部教授・CHSR ユニット2 代表) 10 分
休憩10 分


第2部 16:10~17:20

【発表】
鍋島 直樹(龍谷大学文学部教授・CHSR センター長) 20 分
仏教死生観デジタルアーカイブ研究成果 デモンストレーション他
全体意見交換会 50分

○ 司会:第1 部 高田 信良
      第2 部 井上 善幸

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 第1部で岩田真美先生がご発表された内容について報告する。
 幕末から明治維新期にかけて、仏教界は危機的状況を迎えた。廃仏毀釈、あるいはキリスト教の流入といった現象が、当時の仏教界には大きなインパクトを与えた。
 一般に護法論には、キリスト教排斥のイメージが色濃い。しかし、先生は、「自他認識」という側面から護法論を捉えることを提案された。というのも、近代仏教についての解説の多くが、廃仏毀釈や神仏分離という言説にまとめられ、それでは、近世から近代へのプロセスを断片的にしか捉えられていないからである。仏教が近代化する過程で、護法論は「対外論争」よりも、「自他認識」に置き換えて捉えることで、近代仏教のダイナミズムが見えてくるという考えに基づく視点である。
 発表では、越然という僧侶による護法論の資料(『護法小品』『斥邪二筆』『寒更霰語』)をみてゆかれた。『護法小品』は、僧侶が儒学者に自分の護法論の批評を頼むという点で、極めて珍しい形の護法論である。『斥邪二筆』は、『斥邪漫筆』の続編で、本書には中国明末の僧侶や儒者による排耶論のみならず、中国語のキリスト教書を参照して、カトリックとプロテスタントの違いを明らかにしようとしている。『寒更霰語』は、聖書などを典拠として、カトリックとプロテスタントとの違いに言及している。
 超然に代表される護法論の特徴は、これまで排斥すべき「敵」として設定されていた他の宗教や文化現象を、「理解」するかたちで、自己内部から変革しようとした作用であったといえる。この運動は、やがて、本山組織の旧体制の解体や、仏教の革新、教団改革運動へとつながっているということが指摘できる。

【新たに得た知見】
 日本仏教が近代化する過程で、「自他認識」というかたちの護法論が存在したという興味深いご発表であった。
 「自他認識」は、極めて実現困難なアプローチであるかに思える。相手を真に理解しようとし、自らが内省の姿勢をもって、自己解体し変化してゆくというプロセスは、非常にストレスの多い作業である。なぜなら、これは自己自身の中心軸の変容をも含有するからだ。一般には、こうしたアプローチより、自己の外部に敵を設定し、それを排斥するという形で自己保全をする仕方の方が、手短な自己確認手段である。この作業は、政治的というよりも、宗教的な作業でさえあるように思える。
 ユニット2の研究課題である「諸宗教との対話」の一つの方法論的視座の現実性が、イメージとして浮かぶように感じた。(RA本多)

UNIT2 公開シンポジウム開催のお知らせ

ユニット2
開催日時 2011年10月20日(木)15:00~18:15
開催場所 大宮学舎西黌2階大会議室

1. 「日本カトリックにおける死者―祈りを中心にして―」
   寺尾寿芳(南山大学、キリスト教神学)
   15:00~16:30


2. 「ユダヤ教とキリスト教の対話――死生観を語る――」
   手島勲矢(関西大学非常勤講師、ユダヤ学)
   16:45~18:15
 

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 寺尾寿芳先生は「日本カトリックにおける死者―祈りを中心にして―」というテーマで、手島勲矢先生は「ユダヤ教とキリスト教の対話―死生観を語る―」というテーマでお話いただき、それぞれ質疑応答の時間が設けられた。
 とりわけ印象深かったのは、寺尾先生のご発表のなかで、カトリックとは、実生活の中から発生する信仰がベースとなっているといった趣旨の発言をなされたことである。あくまでうる憶えの範囲であるが、先生は、マニュアルを片手に現実を俯瞰する態度ではなく、実体験に基づく言語世界の深まりと、それが実生活への即応として具現される態度を、信仰生活のうえでは重視する必要があることを述べられた。
 先生は、現代の宗教が布教の際おちいりがちな演繹論的指標を批判し、帰納論的指標を提示されたように思う。ちょうど、アメリカの知識宗教学者のピーター・バーガーが、Heretical Imperative(『異端の時代』)の中で同じようなことを述べている。無数の選択肢が可能になって、人々の生き方がいわば「異端化」した現代において、宗教は、帰納論的アプローチによってしか伝わらないと。バーガーは、帰納論的アプローチを、「実生活」や「実態度」に即した視点から始まる宗教というかたちで、その可能性を示したのであった。『異端の時代』が記されて40年ほどになるが、今でも実生活に始まる宗教の可能性は開示されていることを、改めて考えさせられた。(RA本多)

UNIT2 ワークショップ開催(2011.7.12)

伊勢神宮神職の死生観をめぐる諸問題

ユニット2
開催日時 2011年7月12日(火)15:00~16:30
開催場所 キャンパスプラザ京都6F龍谷大学院サテライト
講師 櫻井治男先生(皇學館大学教授・宗教学)

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 櫻井先生は、「伊勢神宮神職の死生観をめぐる諸問題」と題してご発表なされた。
 先生のお話は、三部構成であった。一部は「神道と死生観という問題」について、二部は「神道の死生観に関する研究」、三部は、「伊勢神宮の神職の死生観」についてである。
 神道には、死を論じるよりも実際には儀礼的な宗教という側面が強い。神葬の時、神職は、「しのびの言葉」あるいは「祭祀」といわるものを詠む。具体的には、最近では、亡くなられた方は現世を後に残して逝かれ、その御霊は目に見えない裏の世界「幽世」にいって、そちらでいろいろな事柄を進めていかれるといった内容のものが多い。
 神道の死生観については、岡田米夫の尽力によって明らかになった部分がある。岡田米夫は、神社会の連合組織である神社本庁でながらく教学の重要な立場におり、神道の中の重要な言葉を百取り上げて解説を加えている。彼の記した『神道百言』(岡田米夫著、昭和45年、神道文化会)には、神道の死生観にまつわる事柄を7つの項目にまとめらている。
 神道の死生観の研究として、安蘇谷正彦の書物で『神道の生死観』がある。神道の関係者は「死生観」よりも、「生死観」という言葉を用いる。神道における死の問題をうかがううえでは、吉川神道という儒学系の神道、伊勢神道という伊勢神宮の神道の中で生まれた説を取り上げたり、さらには垂加神道という江戸時代に発達した独特の神道説、その他にも、古学神道という本居宣長や平田篤胤などの国学者の中から生まれた神道説がある。しかしながら、いずれも安蘇谷正彦の書物に収斂されるほど、『神道の生死観』はよくまとまっている。
 神職の死生観の考察では、中西直方の死道百種という和歌が興味深い内容を持つ。中西直方については、中西正幸の『伊勢の宮人』において取り上げられている。彼の廃仏意識が強いことについては安蘇谷正彦も指摘しているが、彼の廃仏意識の裏返しとして、「仏教では死ねば極楽に行くが、神道ではどうか」ということを考えた人物であったと捉えることができる。百種の歌のいくつかは、そうした仏教の死生観を意識したうえで成立した彼独自の神道の死生観である。
 中西直方の思想について、安蘇谷正彦は「人間観および死について」「死後の世界」「死の対処法」の三点から分析している。特筆すべきは、中西は、人間を「神より付与された存在」として理解している点である。死に対する恐怖というよりは、死そのものは生死を超越したといういった側面が印象深い。死に対する淡々とした態度が彼の歌には記されており、そのあたりは、本居宣長の死後観とは懸隔するといえる。
 三つの側面から神道の死生観というものについて言及された先生は、最後に神道の死生観の教学に関連する二つの項目を掲げられた。
 一つには、神道は生死一体、つまり、神より出て神に帰るという死生観(世界観)を持つということである。これは中道直方の思想に顕著に表れている。二つには、特に神社神道のなかでは死は忌避されている。よって、神道における死道・生死観・死生観というものを捉えるときに、死を全体的に捉えきれていない印象があるということである。
 

〈新たな知見〉
 神道の死生観と聞くと、最初に「死者の忌避」ということが脳裏に浮かぶ。
 死を忌避しながらも、死生観をどのように確立するかということは教学上非常に大きな課題であるように思う。つまり、死を避けながら、生のみならず死生という表裏一体の動態をどのように説明するのか、論理的には非常に困難な課題である。
 発表で興味深かったのは、中西直方が廃仏意識を持ちながら、仏教の死生観に対立しうる神道の死生観を展開しようとしたところである。実際に発表で櫻井先生は、100首中21首は「直方の排仏教意識」と分類している。数的にもこれは相当な割合である。中西の目的は神道の世界観の弘布であったであろう。彼はその際、廃仏的な歌を詠み、なかには仏教の来世信仰を否定するようなかたちをとった。しかしそのことが、全くの裏返しとして神道の死生観という道程を切り開く機縁となったということである。わたしたちは、対比・批評という態度に出るとき、対比・批評の前提基盤に添うかたちを取らざるをえない。ここに批判や批評といった運動が、前提への収斂運動である可能性が存在する。宗教も、対話や対論を繰り返す過程で、少なからずこうした構図に含有される。宗教間の問題を取り扱うことの意義深さを知ることができた。(RA本多)

UNIT2 ワークショップ開催(2011.7.7)

ユニット2
開催日時 2011年7月7日(木)16:00~18:30
開催場所 深草学舎 至心館2Fパドマ大会議室
講師 「アメリカ浄土真宗の六波羅蜜の受容-京極逸蔵の目指した生死を超える道」
  発表者:釋氏真澄氏(CHSRユニット1RA・真宗学)

「死の準備と葬儀を巡るイスラーム法規定」
  発表者:四戸潤弥先生(同志社大学教授・イスラム学)

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 四戸先生のご発表のテーマは「死の準備と葬儀をめぐるイスラーム法規定」であった。
 参考にされた14世紀のエジプトのシャーフィー派の法学書は、ネット上で入手できるほど、イスラーム法の法学書でも比較的入手がしやすい。重ねて、この法学書は、アラビア語版と英語版があり、英語版はアズハル大学でオーサライズされていることからも、世界の中で英訳としてイスラーム法学のすべての項目を網羅している翻訳書である。つまりは、便宜性と客観性の双面においてイスラーム法規定の優れた書として知られるシャーフィー学派の法学書を参照されたわけである。
 ご発表では、火獄、来世、高壁、楽園、六信、寿命、運命などイスラーム教理のテクニカルタームについて解説なされた。「楽園と火獄」の相関図は、一般的に「天国と地獄」に置き換えられる。しかし、イスラームにおける楽園と、天国のように天にあるとは考えらず、こーランにも、それは地にあるといった記述がある。また、火獄も、地獄絵図のようにさまざまな地獄があるのではなく、それは火が取り巻く世界で、火の拷問をうける世界として教説されるという。他にも、楽園と火獄の境に高壁があり、死後、楽園への入園を待つものは高壁の上で待機することになる。
 ご発表で先生は、イスラーム教徒の「死者の見取り」についてご紹介された。死者の臨終に際して、イスラーム教徒には、さまざまな儀礼が存在する。儀礼を規定する際、参考にされるのがハディースである。ハディースは、預言者の言行録である。これはいわば、コーランの解釈書として、イスラーム教徒の言行を規定する重要な意味を持つ。ハディースによれば、例えば、お見舞いにしても、患者が治癒の可能性が低い場合は、死の準備という形式で、形式的な挨拶が交わされる。さらには周囲の人(主に身内)は、逝去する者の来世への準備を始める。具体的には、借金や仮借を清算したりである。あるいは死を待つ者においては、知らず知らずのうちに犯してきた罪を反省し、神の慈悲を祈るということをする。
 逝去の後、死者が殉教者でなければ、身体は身内によって洗浄され、祈りが捧げられ、墓場まで移送される。この過程を葬儀という。墓前での葬儀は存在しない。葬儀での祈りは死者への祈りではなく、あくまで神への祈りとなる。また、残された者は、死後涙するよりも、病気見舞いの時涙するほうがよいとされる。死後は神からの慈悲を祈るべきとされる。
 発表では、他にも葬儀に際してのトラブルや、それへの対処例、あるいは近年盛んな墓の華美化といった現象についても言及された。
 発表後は、積極的に質問が投げかけられ、ひとつひとつの質問に応答された。予定の時間は大幅に超過したが、会場の、イスラームへの関心の高さをうかがい知ることができた。


〈新たな知見〉
 山梨県に、イスラーム教徒が日本で逝去した場合の埋葬地がある。イスラーム教徒は、遺体・遺骨を母国へ戻すということをせず、神への祈りを重視するということは印象的であった。一方で、道徳と合理性をも兼ね備えているイスラーム教の世界観についても知ることができた。そのあたりは、いわゆる一般的なイスラームのイメージとは乖離していた。
 いかなる宗教団体においても非合理的なエートスは存在するものの、その解釈の段階において、現状との齟齬部分で前進的な捉え方をする場合が多い。特に大きな宗教教団になればなるほどその傾向は強くなる。イスラームという大きな宗教組織にもその要素があることを確認することができた。
 他方で、神は言葉であり、言葉は命令であるといった、神のはたらきの核心部分について、それを日本語で説明・理解することの困難さが付きまとうように感じた。例えば、仏教では教えを弘布する際に言葉を用いるが、一方で、言説を最終的に肯定する形をとらない。言葉(一般論理・通常論理)がどこまでも続いてゆく、いわば真理のようなものとして存在しないとされる。この言語観の違いは、同じ宗教であっても、大きな隔たりであるように感じた。(RA本多)

 

「死生観と超越」研究の展望

ユニット2
開催日時 2011年1月13日(木)
開催場所 大宮学舎西黌2F 大会議室

第1部(15:00~16:30)

a) アルネ・ネスの仏教観―ディープ・エコロジーの提唱者と仏教思想―
   本多真氏(人間・科学・宗教ORC、RA、国際文化学)

b) 明治期における真宗教団成立の諸相
   北岑大至氏(人間・科学・宗教ORC、RA、真宗学)

c) 近代日本における仏教青年運動の国際化―浄土真宗本願寺派の学校を中心に―
   岩田真美氏(龍谷大学非常勤講師、真宗学)

第2部(17:00~18:30)

「肉食と仏教-仏教と神祇信仰との中世的対話-」

講師 リサ・グランバック氏(IBS助教授)

コメンテータ 釋徹宗氏(相愛大学教授)

 


龍谷大学仏教文化研究所・共同研究「<仏教>思想の対話的研究」グループ
人間・科学・宗教 ORC「死生観と超越 ─仏教と諸科学の学際的研究」共催

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 グランバック先生のご発表は、仏教においてそもそも肉食を禁じる「教え」はなく、むしろそれぞれの地域にある土着の考えとの総和や権力者の判断によって、仏教における「肉食」のイメージが出来上がったものだということを、教義と現象の双方の側面をおさえながら文化的・歴史的背景をこぼすことなく見ていかれるという壮大かつ緻密なご発表であった。

 

 1980年代以前の研究では、仏教の教えの中に仏教の肉食に関する「原理」があると考えた。そこで特にテーマ化されたのが「アヒンサ(不殺生)」についてであった。しかし、仏教の教えにそのような「原理」があるとして探求しても、仏教の教えが原理的に肉食を否定するということは判明しなかった。こうした研究はとかく、「原理」に着目した視点であったということであるが、その「原理」というイメージは、現象的な側面への視野を失っていた。また日本では肉食は、「殺す」と「食べる」ことが問題化するようになっていた。こうした基礎研究の中で、グランバック先生の視点は、農耕、狩猟の中から、肉食を考えるという、文化的で歴史的なものであった。


 広く仏教では、「肉食」「性」「酒」は、当然のように「否定の対象」としてそれなりの根拠が与えられている。しかし先生は、文化的、歴史的にみれば、それら三つの否定材料は、教義的根拠とは異なる理由によって生起してきたという。そこで先生は宗教儀礼と宗教的価値に注目された。農耕儀礼において、「肉」の供物、さらに竹などを使った「性(繁殖力)」の儀式、さらにはそれらが終了したあとの「酒」の宴が、三つセットになっているという事例を、ヴェトナムやインドネシアなど東南アジアに現存する農耕文化として写真などを使って紹介された。また日本の諏訪大社での儀礼も、それとの親密性が窺える。日本でも例外なく東南アジアでの儀礼との類似性があるということである。


 また歴史資料にも目を向けられた。もともとは仏教は肉食は否定することがないと仰る先生は、たとえば、上座部仏教では、僧侶も信者も肉を食べるし、中国に入った大乗仏教は、一見すると肉に対する見方が異なったものであるが、実際には中国では、道教や儒教の影響から、基本的に儀礼での肉は否定視されてきた。それが中国の仏教の肉食否定へ影響を及ぼしたことは否めないであろう。
 

 また、多くの学者は『日本書紀』の記述をもとに675年から以来日本ではずっと肉食を否定してきたと考えてきた。つまり、狩猟も魚も禁止されている旨の記述、あるいは期間限定の狩猟禁止が記されているという限定的な記述を『日本書記』を「原理」として、日本の食文化像を構築してきた。しかし、 この説は1990年代以降にはそれなりの反論を受け、現在では歴史的な肉食の実態は多様であったと考えられている。


 他にも、6世紀での中国で行なわれた肉食禁止の例、これは政治的判断として権力者が肉食を反対したことでった。この事例は、宗教の原理的な根拠にまで遡って肉食否定を考えることができないとうことや、日本でも政治的な支配の形として、あたかも仏教では肉食を原理的に否定するという根拠を持ち上げ、肉食否定を一般論として合理化してきたという歴史的資料を紹介された。
 このように肉食と仏教の関係は、異なった角度から見てみると、仏教の教義に原理的な根拠を見出すというアプローチよりも、地域に存在した生活様式が、仏教と融合して規則化したということが明らかになるという、グランバック先生のご発表の内容であった。

 


 新たに得られた知見としては、仏教における肉食について、一般的な考えしか持ち合わせていたなかった私にとって、お聞きすることが新しいことばかりであった。肉食の原理的な探求を宗教教義に求めるということが当然だと思いながらも、他方でその土地、風土に存在した慣習を見落としてはならないことを思い知らされた。単純に考えても、仏教が大乗と上座部に分裂し、双方が多様な文化として世界各国に根付いていることを考えれば、それぞれの地域において宗教が原理的に果たした役割に着目すると同時に、それぞれの地域に従来から現存した文化基盤に着目せざるをえないということになるのは当然だといえる。広い振り幅をもったご発表に、勉強になることが多かった。(RA 本多真)

「死生観と超越」研究の展望

ユニット2
開催日時 2010年12月9日(木)17:00~19:00
開催場所 深草学舎至心館パドマ大会議室
講師 四戸潤弥氏(同志社大学教授、イスラム学)「1939年の宗教団体法成立前後に見る日本における破邪論の系譜としてのイスラーム認識-原正男『日本精神と回教』を手掛かりとしてー」
中村信博氏(同志社女子大学、キリスト教神学)「キリスト教における死・生・復活-葬送儀礼から考える-」

龍谷大学仏教文化研究所・共同研究「<仏教>思想の対話的研究」グループ
人間・科学・宗教 ORC「死生観と超越 ─仏教と諸科学の学際的研究」共催

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*四戸潤弥氏「1939年の宗教団体法成立前後に見る日本における破邪論の系譜としてのイスラーム認識-原正男『日本精神と回教』を手掛かりとしてー」

 

 日本におけるイスラームは現在、混乱した状況に陥っているため、研究者の中からそういった状況を整理する必要性があるとと叫ばれている。そこで、分類の基準が必要となってくるわけであるが、この発表で四戸潤先生は、1939年の宗教団体法成立前後に見られる日本におけるキリスト教系譜の中の破邪論としてイスラームが認識されているという考えを紹介され、日本における今後のイスラム研究の分類法を提案された。

 

 まず、日本のイスラーム研究状況の現状について言及された。日本のイスラーム研究は、「信徒たちの中から学者が育って研究されたことがない」という極めて特異な状況がある。たとえばキリスト教では、学者が育ち、つまりは「学」というものが存在して、その周辺に人が集まるという状況が既に存在した。しかし、イスラームは、信者ではない人の中に信者が入ろうとすると、はじき出されるという形が続いている状況が今なお残っている。ここにはイスラーム教学の翻訳の問題が背景にある。イスラームの字義どおりの日本語訳は極めて少ない。それに増して、預言者の言行録が言葉の学問的位置づけがなされないままに、翻訳がなされているなどの理由があげられる。
 また、日本のイスラームへの関心は、アメリカ絡みになっている。アメリカにおけるイスラムということが基礎にあって、そこから派生した問題を日本で取り扱っている。すなわち、基準なきイスラーム論の状況をここから窺うことができるのである。

 

 続いて発表では、破邪論についての話題へと移行した。破邪論とは、仏教とキリスト教の比較ではなく、極めて政治的なものであるという認識のもと、破邪論の本質は、撲滅論ではなく、防衛的なもの、方便的ななものであり、つまりは、当時開国を迫られたときに出てきた、国の政治的立場であり、教義論とは異なったものであるといえる。江戸末期、回教は破邪論という分野では、まったく論じられてこなかった。その背景には破邪論は儒家が中心であり、儒教の破邪論は、回教ではなく、キリスト教対抗を打ち出されてもので、そこで語られたキリスト教への対抗姿勢は、教義論とはかけ離れた、いわば一種の「恐怖」から出た論じかたの一つであった。そのため、破邪論とは、決してキリスト教を廃絶する動きではなかった。たとえば、安積艮斎はそのような論じかたをしている。
 また、当時、イスラームについては、宗教団体法の前後に、イスラームを公的宗教に認めて欲しいという動きがあった。国会議員にも働きかけがあり、また当時のアジア主義者の間で「大日本回教協会」を作るという話があったが、結果的にイスラームが公的宗教に入ることはなく、「その他」の宗教に入ることとなった。ただ、それが、日本においてイスラームが初めて認知された歴史上の押さえになる。だから、いつ日本がイスラームを知ったかといえば、それはこの時になるといえる。研究者の方向性として、ここをおさえておくと一つの手掛かりとなる。


 

 

 新たに得た知見は、イスラーム研究に造詣のない者としては、日本におけるイスラームの現状がアメリカ中心に推移していることなどは、理解することができた。また、日本でのイスラームの基礎認識が、とかくステレオタイプとしてインプットされているという印象を受けた。というのも、現在のイスラーム文化圏の状況がメディアなどの一方的な情報だけを頼りに知識化しているからである。そこには、イスラームそのものが抱える歴史性や、民俗性、国際性、あるいは教義的な議論は存在せず、よってイスラーム認識そのものが、非常に希薄なものとなっている現状がある。他にも、1939年の宗教団体法でイスラームが「その他」であれ、宗教として宗教団体に入ったことなど、新しく知ることばかりであった。

 

 

 

*中村信博氏(同志社女子大学、キリスト教神学)「キリスト教における死・生・復活-葬送儀礼から考える-」

 

 本ワークショップで中村先生は、日本においてキリスト教がどのように理解されているかということを、葬儀儀礼から捉えなおし、さらには、現場との折り合いのなかで、日本人がどのように宗教を理解しているか、というテーマを掲げられた。どこまでがキリスト教の葬儀なのか、そしてどこまでが日本社会に受け入れられるキリスト教なのか、ということも含めた、問題提起そのものが全体的なテーマとなった。以下、発表の論点をまとめたい。


・キリスト教の実践の現場では葬儀は通過儀礼として理解されてきた。神学的議論と現場で、一般の方が捉える死生観の径庭に注目したとき、キリスト教の死生観は、現場からそう遠くない所にあるのではないかということがいえる。


・キリスト教とはどういう宗教か、その問いによって「限定されるキリスト教」から離れた、臨床的、実践的な側面から、キリスト教の死生観を探ってみたい。特に、現代の日本社会におけるキリスト教というところに本発表での問題意識がある。


・「葬式無用論」、これは消費者の立場からのインパクトの強さを伺い知ることができる。これまで比較的タブー視されてきたことが、表出し、社会的に議論されるようになってきた、ということがいえる。葬儀の形骸化への疑問、世間体のために高すぎる葬儀は必要ないといった議論がある。一方で「葬儀は必要」という立場もある。「葬式無用論」に対して、具体的には、御布施価格の設定には、日本仏教会が反対意見を出した。キリスト教教会における御礼は、教会によって異なるが、日本仏教の影響か、現在はキリスト教でも聖職者に対する御礼は高騰しているという話もあるようである。


・日本人の死生観では、新聞の社会調査で36%の人が、葬儀は「しなくてよい」と答えている。また、多くの方が葬儀は「家族に任せる」と答えている。この連続性を読み取ってみると、日本人の死生観は現在、「親しい家族に迷惑を掛けずに死んでいきたい」というところに移行しつつある。そうなれば、「葬儀は親しい家族に迷惑を掛けると認識されているならば、葬儀とはいったい何だったのか」ということがそれぞれの宗教の現場で考えていくことが必要になってくる。もうひとつ、何らか特定の宗教的形式にしてほしいという質問にしては、結果は半分半分になっている。宗教色が何を意味しているのかわからないが、宗教が遠ざけられているわけではないということが窺える。「あなたには葬儀に際して相談できる聖職者がいますか」という人は、全体の39%。宗教者の存在が社会に浸透してきているということだということも窺える。


・キリスト教の葬儀は本来、教会が主体になって取りおこなわれる。しかし、日本では「葬儀が教会において個人の事柄である」という、極めて日本的な考えに基づいた執行がなされている。また、日本では、前夜式というものがあるが、仏教に習って、お通夜と呼んでいる。他にも、法事やお焼香といったものもある。こうした日本的葬儀の傾向は、プロテスタントよりもカトリックの方が受け入れ体制にあるように思われる。

 

 最後に先生が述べられたのは、グリーフ・ワークとしての葬儀の再構築についてであった。

 

 葬儀がわたしにとっての死生観を考える機会を与えてくれた。悲しみに包まれた人に、わたしがどのように接することができるのか、ということを考えてきた。わたしは、グリーフ・ワーク、グリーフ・ケアから、キリスト教の葬儀を組み立てなおすという試みがあってもよいのではないかと考えている。
 福音書の文学類型を決定づけているのが「復活」というキーテーマ。近代では歴史的イエスばかりに注目が注がれてきたが、最近では「復活」という視点から聖書を読みなおす試みが盛んになっている。そこから読み解くと、人生をもう一度やりなす、イエスの歩みに従って、意識を改めてやりなおすという意味が見えてくる。あくまで意識の問題、内的な問題だといえる。キリスト教の葬儀とは、まさにそのようにあるべきもので、「復活したイエスに愛する家族をゆだねることを通して、近親者は復活したイエスとともに自覚して歩んでいく」ということを大事にしていく仕組み、教育的なプロセスである。

 

 そのうえで先生は実際のケースを紹介された。三十数年間、お世話になっていた教会の牧師が亡くなられた折に、任された葬儀の事例を紹介された。自分がすべきか思い悩んで引き受けた葬儀の儀礼の事例紹介であった。

 


 新たに得た知見としては、新聞調査によって明らかになった「葬儀は親しい家族に迷惑を掛ける」という危惧を持つ人の多さについてである。「迷惑を掛けずに死んでいきたい」とはどういうことか。「私は一人で生きている」と「錯覚」させ、さらには人生の最期、さらにはその先まで一人で「決定」できるという、いわば「想定の範囲に全てを纏めこむ」、そのような文明の威力に、思わず考え込まざるをえなかった。というのも、冷静に考えてば、わたしたちは生まれてからこの方、一人で歩めんできたことなどないのに、あたかもそのように「錯覚」させる原因とは、一体何であるのか。よくよく考えてみれば、わたしたちは、一方ではそのように望んでいるという自分の本心にたどりつくことができる。しかし、それが表出する背後に潜むものに、考えが及ばざるをえない。(RA 本多真)

「死生観と超越」研究の展望

ユニット2
開催日時 2010年11月1日(月)17:00~18:30
開催場所 龍谷大学 大宮学舎 清風館B102教室
講師 奥山直司氏(高野山大学教授、仏教学)「南方熊楠と仏教者の交流」
岡崎秀麿氏(人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センターPD、真宗学)「須弥山論争とその後-浄土真宗本願寺派に注目して-」

龍谷大学仏教文化研究所・共同研究「<仏教>思想の対話的研究」グループ
人間・科学・宗教 ORC「死生観と超越 ──仏教と諸科学の学際的研究」共催

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 本ワークショップは、奥山直司先生による、南方熊楠と仏教者の交流についてのご発表であった。熊楠の思想に影響を与えた仏教者、あるいは、熊楠が仏教をどのように捉え、仏教思想を自らの思想へどのように取り入れたのか、資料を追いながらご紹介された。

 ご発表の冒頭で、2010年に出版された『南方熊楠土宜法龍往復書簡』について言及された。高山寺で43通の書簡が発見された。これは、この寺の住職であった土宜法龍へ熊楠が当てた書簡である。従来の数が29通であったことを考えれば、これは相当な数だといえる。

 熊楠と接点のあった仏教者として先生は、白貫勧善、土宜法龍、渡辺龍聖、妻木直良(本派の学僧・真宗全書の編集主任)、水原尭栄(高野山の僧侶)を紹介された。まず、幼少期の熊楠の脳裏に刻まれた人物として、白貫勧善(真言僧)がいる。南方家はここの檀家で、熊楠の父はこの寺の世話をしていた。

 また、熊楠は生涯、出家することはなかったが、科学主義的な立場から仏教をみていた。それは維摩居士のようでもあった。アメリカでは、渡辺龍聖(アナーバー時代の友人。高田派の寺の息子・帰国後は教育畑で活躍)と出会い、熊楠は「与龍聖法印書」を記し、その中で彼から学んだ仏教論を記している。また、この書物で熊楠は大乗仏教起源論について触れている。他にも、ネパールの旧法や、熊楠が英文を介して仏教をまず学んだということがここで記されている。他にも、先生によれば、意外に熊楠はサンスクリットを知っていたということが、この資料から窺えるという。ただ、訳語が明晰でない部分も多い、という印象を受けるとも仰った。「与龍聖法印書」では、Handbook of Chinese Buddhism(語彙集・サンスクリットと漢文の)をかなり綿密に使い込んでいるということが窺え、本書の後半で熊楠は、「大乗も非仏説だけれども、小乗も非仏説だ」と述べており、当時の日本では新しい主張であったかもしれないが、一方でMonier WilliamのBuddhismなどにはそうした指摘は既にみられると述べられた。

 ご発表の中で特に強調されたのが、熊楠と土宜法龍との接触についてである。この接触が熊楠にとって大きな思想展開であった。1893年10月30日、ロンドンで熊楠は法龍と出会い、意気投合した。法龍はパリに移動したのち、二人の書簡のやりとりが始まった。29年間、およそ250通ほどの書簡のやりとりがあったと思われる。法龍宛熊楠書簡は約70通、熊楠宛法龍書簡は80通が確認されている。熊楠は法龍に思想を対峙させ、時には罵ったりしていたことからも、法龍が熊楠の思想に大きな影響を与えたことが窺える。また、熊楠は法龍との書簡のやり取りで、再び、大乗非仏説について論じている。熊楠は最初、「与龍聖法印書」の同じ主張を論じていた。しかし、法龍との接触でじょじょに考えが変わってきたという。熊楠は、大乗仏教を個人(釈尊や竜樹)を超えた存在として捉えようとするようになる。大乗の流れを複雑なレースのようにとらえ、その結び目の一つに釈尊を位置づけ、釈迦の位置づけがじょじょに低くなってくるようすが彼の思想を追うごとに強まるようになる。逆にいえば、熊楠は、大乗仏教を一つの「流れ」として理解し、その流れの中に、釈迦や著名な僧侶を位置づけているということ、すなわち、釈尊を徹底的に相対化した「ハイパー大乗」というものを構想しているのではないかと先生は仰った。

 他にも、熊楠は基本的には科学主義の立場にたっていたが、では、そのうえで仏教をどのように捉えたのかということが疑問である。ここで熊楠は、仏教は積極的に科学を取り入れるべきだと主張した。その裏にはキリスト教に対する反発がある。科学的発見、エネルギー不滅の法則や、進化論、万有引力の法則は、既に仏教にあると熊楠はいう。なぜ、仏教を高く評価するといえば、それは「因果」「輪廻」という立場を取るからであり、これは科学的に論理的な説得性を持つという裏打ちによる。ただ、科学の中に仏教を包摂するのではなく、仏教の中に科学が包摂されると熊楠は考えている。また、熊楠は標本をでもって、合理的に理解できるもの(科学)を自由に仏説から取ろうという演繹的な視点を展開した。標本でもって、因果の法則に裏打ちされた業の発動が具体的に見れるか、ということに彼は関心があった。彼の生物学の実態調査には、背後に合理性の限界を超越した因果の法則が想起されていたといえる。


 しかし先生はキリスト教に対して、厳しかった熊楠が、決して仏教に甘かったわけではないということもおさえられた。仏教の因果論に関心を示した熊楠は、バラモン教的世界観に興味を持っており、自らを「梵教(バラモン教)」と論じることがあったが、これは法龍に出会った頃の熊楠像からも確認することができるものである。熊楠は、一大理体から精神と物質が流出する、という彼独自のブラフマン理解を展開し、因果の法則を図式化したものを書き記した入りしている。他にも、彼は仏教に傾聴しつつも、日本界、特に僧侶に対する批判意識は旺盛であった。

 最後に先生は、「南方マンダラ」には、多年にわたる熊楠の科学的、哲学的なアイデアが統合されていると述べられた。真言密教のマンダラに、西洋近代科学の限界を超える広大で奥深い世界を熊楠はみていたという。さらに、これを現代の実用公益に役立てることが彼の望みであったと思われる。このような思想的な頂点を極める「南方マンダラ」も、法龍とのやりとりの中で生み出されたものだといえる。

 

 

<新たに得られた知見>
 科学者としての熊楠の背景にあるものが、「因果の法則に裏打ちされた業の発動が具体的に見る」ことというのは、これまでの熊楠像ではあまり強調されてこなかったことであったように思う。逆に、もし熊楠の生物学的実態調査がそのような主張を背景にするものであったとすれば、彼は常に大きな大乗の「流れ」の中の布石として、森羅万象を理解していたということになる。その土俵で考えれば、仏教者を罵り、釈尊の存在さえも相対化する彼の態度には、一種の一貫性があるように思われる。それは「「法」の真ん中ではすべてが絶対的ではない」「ただ、具体化された事象の中に「法」は顕現する」というものであろう。時に彼が破天荒と呼ばれる理由の一端を、窺い知ることができた。(RA本多真)

「死生観と超越」研究の展望

ユニット2
開催日時 2010年10月14日(木) 16:30~19:00
開催場所 龍谷大学 深草学舎 至心館2階大会議室
講師 澤井義次氏(天理大学教授、宗教学)「天理教の死生観と仏教」
手島勲矢氏(大阪産業大学、ユダヤ学)「ヒゼキアの祈り-死生観のことば-」

龍谷大学仏教文化研究所・共同研究「<仏教>思想の対話的研究」グループ
人間・科学・宗教 ORC「死生観と超越 ──仏教と諸科学の学際的研究」共催

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 天理教の意味世界が仏教の意味世界といかに接点をもつのかに注目しながら、天理教のコスモロジーにおける死生観についてのご考察であった。ハーバード大学でのご研究を経られた先生は、ハーバード大学の宗教学研究の特徴は、生きた信仰に着目するということで、それは言語の共感的世界を重視するものだと仰った。そういった視点を本発表でも大切に、バランス感覚を保ちながら天理教と仏教の意味世界を捉えてみたいということで発表は始まった。

 ご発表は主に天理教の意味世界のご紹介であった。「おふでさき」「みかぐらうた」「おさしづ」の三原点を基礎とした、人間世界が創造された神人和楽の「陽気ぐらし」の世界の実現に向かうことを天理教は掲げる。天理教のコスモロジーの構造は二重になっており、人間にとって親神は「親」であり、人間は「子」になる。人間は一列兄弟であり、意味のある他者(meaning for others)という考えがそこに居住する人間観として存在する。また、人間の本来的在り方を「いんねん」という。「いんねん」は「元のいんねん」と「個人のいんねん」の二つに分けられ、人類が存在する普遍的根拠である「元のいんねん」が基礎となって、個人の因縁を形成する。

 ご発表で特に注目されたのは、天理教の生活に密接に関係する「陽気ぐらし」ということについてである。「陽気ぐらし」とは、「皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めんめん楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん。」ともいえ、まわりの人を助け、助けあうという信条をもって生きるということである。人間の本来的存在根拠を基本として「個人のいんねん」が開かれることになる。

 「陽気ぐらし」に収斂される人間存在の本来的あり方と親神の関係としては、親神の守護の世界は、守護の世界であり、親神の守護は「人間身の内」と「世界」において照応し合っている。親神の守護は十の神名によって説き分けられるが、それらは人格神ではなく、本質的に人間の身の内と世界において、同じ物で照応し合っている。そこから「二つ一つ」といった天理教教学の基礎ができあがる。また、「陽気ぐらし」のために心を澄み切らせれば、「元のいんねん」が出現するため、その脈絡でこの世での「ごくらく」が現出するという。

 他にも、天理教の死生観ということで「死」について言及された。天理教では「死」を「出直し」といい、人間の身体は神様からの「かりもの」である。人間の心は個人の所有であるが、一方でたった一つの心から様々な理が出てくると天理教では理解し、心の地平を深化させ、自己中心的な心遣いを心の「ほこり」として清くすることが勧められる。「ほこり」は積もれば、過ちも犯すことになる。心の「ほこり」を清らかにすることは、「生きている」という視点から「生かされている」という心の地平へ心を開く指標を向ける。

 人間は出直しを通して「陽気ぐらし」へ向けての世界の実現に近づくことになる。出直しを繰り返すことによって、第一段階から第四段階のプロセスへと踏み込むことになる。成長するにしたがって、この世界は混沌とした泥水だった状態から、じょじょに形成されてゆくことになる。

 天理教では、生まれ変わりを繰り返して何度もこの世界に戻ってくると考える。仏教では輪廻転生を説き、それは循環的な思想であることから天理教の死生観と類似しているように思われるが、一方で「陽気ぐらし」の実現という考え方は、循環的でありながらこの世での「ごくらく」の実現という意味で、直線的な方向性を把持しているといえる。実際に先生のご尊父は「出直し」を前に控えて、それに向けた準備をなさった。「出直し」が積極的に捉えられているという天理教の死生観の一端をご発表いただいた。

 

 

 手島先生のご発表は、次のような言葉で始まった。「ユダヤ教は死を語らない、死んだら淡白。生まれてから死ぬまでを必死に生きるのがユダヤ教。」この言葉に象徴されるように、ユダヤ教では死よりも生を重視する。というか、死との比較で生を捉えるということをユダヤ教はしないという。一方でユダヤ教には、血なまぐさい歴史がある。多くの人が血を流してきた。先生の基本的な立場は、組織化の原理になる、theorogiaに関心を持ち、テキストの中からリアリティを見いだすというスタンスである。そのため、本研究プロジェクトの「死生観」という言葉を取り上げる際に、ユダヤ教のテキストの中から「死生観らしきものを抽出する」という試みを本ワークショップでご発表いただいた。その際、殉教者をキーワードにヒゼキヤ王の記述に関するテキストをご紹介された。

 ヒゼキヤ王は紀元前700年頃のユダ王国の王で、病に臥し、死を恐れながらも、神の癒しによって15年の寿命を長らえた。この出来事についてのテキストは、イザヤ書と列王紀に詳しく、特にイザヤ書に多い分量がさかれている。これらテキストを読む際に、古いところから新しいところへ行くものか、新しいところから古いところへ下がっていくか、二つの観点がある。後者の視点に立つならば、第二神殿時代の目でヒデキアのテキストを読みこむことで、テキスト誕生の背景が明確になる。第二神殿時代で特徴的なのは、当時の自然観が直接死生観に影響したというものである。これは、自由意志を否定もせず肯定せず、また否定もし肯定もしたパリサイに多数が偏ったことからも伺い知ることができる。パリサイは、運命についても同様に否定と肯定を尊重した一派である。

 先生のお考えは、個々の自然観が死や生を規定するというもので、ヒゼキヤ王をめぐる二つのテキストでは、イザヤ書が難解な内容でありながらも、それはひとつのリアリティをもって発信されうるものということであろうというものであった。

 

 


 新たに得られた知見としては、ご発表後の質疑応答で、テキストに関する各種の宗教ではずいぶんスタンスが異なるということが判明した。手島先生は、「言語とリアリティを同一視することには懐疑的。テキストに特化して考えていくのが、わたしの客観主義」とおっしゃったのに対し、中村信博先生は、テキストにリアリティを見ようとすることに難色を示された。また、釈撤宗先生は、仏教にはカノン、つまりは基準のようなものはなく、仏教には言葉に対する懐疑は常に付きまとうというと述べられた。この違いは、単に机上の議論として説明される以上に、それぞれの宗教者や宗教教団の戒律や規律、生活態度にまで敷衍して考えてゆくこのできる差異であると感じた。(RA本多真)

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