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研究活動

UNIT3ワークショップ「世界に広がる妙好人」の開催

ユニット3
開催日時 7月10日(火)15:00~17:00
開催場所 大宮学舎 清和館3階ホール
講師 佐々木 恵精 (浄土真宗本願寺派総合研究所所長)
菊藤明道 (京都短期大学(現 成美大学短期大学部)名誉教授、文学博士)
参加者 一般聴講歓迎・事前申込不要

本ワークショップは、研究展示「妙好人における死生観と超越」の関連講義として開催いたします。
 

UNIT3ワークショップ「妙好人伝の世界」の開催

ユニット3
開催日時 7月5日(木)15:00~16:30
開催場所 大宮学舎 西黌2階大会議室
講師 龍口明生(龍谷大学名誉教授)
万波寿子(龍谷大学非常勤講師)
参加者 一般聴講歓迎・事前申込不要

本ワークショップは、研究展示「妙好人における死生観と超越」の関連講義として開催いたします。
 

UNIT3 研究会(第6回)開催のお知らせ

親鸞の死生観理解をめぐって

ユニット3
開催日時 2011年7月14日(木)16時45分~
開催場所 龍谷大学 西黌2階大会議室
講師 井上善幸(龍谷大学法学部准教授・CHSR副センター長)
参加者 ※共同研究者対象。

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 本発表では、「親鸞の死生観理解をめぐって」と題し、親鸞思想の根幹である大悲の働きとしての「還相」に注目しながら、先行研究の類型化が行われ、さらには「死生観と超越」という主題のもとで、死者と共に生きるという観点から考察が進められた。

 まず「還相」の教理史的背景が述べられた。天親の著した『浄土論』では、この世で仏道を歩む行者が、礼拝・讃嘆・作願・観察・回向の五念門により五功徳門を得ることで浄土に往生していくという実践行のうち、最初の四つが自利の働き、最後の回向が利他の働きとして振り分けていく。それを受けた曇鸞の『往生論註』では、自利・利他を此土・彼土に振り分けながら、利他に配当された回向のうちに、自分の功徳を他に振り向けていくという往相回向と、浄土に往生した後に再度迷いの世界に帰ってきて迷える一切の衆生を化し、共に仏道に向うという還相回向の二相として捉えていく。この二相は、往生人が自ら仏果を得るための因としての利他行として語られていく。それに対して親鸞は、浄土に往生して仏となって起こす大悲の行を還相回向として捉え、往相も還相も阿弥陀如来の回向によって成立すると理解する。つまり、仏果と仏になるまでが往相であり、仏になった後に働く慈悲の働きを還相として捉えていく。そして浄土の菩薩は仏果を得た後の姿として理解し、浄土の菩薩の姿を示すことも還相であると捉えていく。

 以上を踏まえながら、「還相」に関する先行研究を類型化し、考察を加えられた。ここでは、その分類のみ紹介する。

(1)日本古来の他界観との関連において理解する立場

(2)還相の主体を自己として理解する立場

①社会実践の原理として理解する立場

②還相行を究極の仏教的生活として理解する立場

③還相回向と常行大悲を関連づける理解

④還相を現実の再肯定とする理解

⑤還相回向を現実の宗教生活の中に見出そうとする理解

⑥還相を教人信の実践と関連づける理解

(3)還相の主体を他者として理解する立場

  ①還相の主体を阿弥陀仏とする理解

  ②還相を如来の恩徳として強調する理解

  ③還相の主体を釈迦・諸仏・祖師などに拡大する理解

  ④聖道門をも還相の表現とみる理解

  ⑤化身と還相とを区別する理解

  ⑥還相の主体を往生人に限定する理解

(4)死者との交わりとしての還相

 最後に先生は、親鸞自身が著述の中で「還相」についてあまり多くを語ってこなかったことを指摘された。その理由として、90年の生涯の中で多くの死別を経験した親鸞は、その人たちを常に仏になった人として身近に感じていたわけであり、あえてわざわざ「還相」ということを言う必要がなかったのではないかと述べられた。亡くなった個人を縁として、折に触れて思い出すとか、折に触れていろんな機縁で浄土に想いを馳せる、仏の願いに想いを馳せるといったようなところで還相のリアリティが語られるのではなかろうかと締めくくられた。

 質疑応答を踏まえながら、二点の新たな知見を示す。

1.自利・利他、往相・還相の主体というものを考える場合、さまざまな議論を踏襲しながら再吟味する必要がある。

2.これまで「還相」ということが語られる場合、私と救済者、私と浄土という関係の中で考察されることがほとんどであった。「還相」を論じる場合、ともに浄土往生を願って亡くなっていった人々と私、ともに願いを受ける者と私、ともに念仏を喜ぶ者と私という視点も必要ではないか。

 (RA 北岑)

UNIT3 研究会(第5回)開催のお知らせ

真宗先哲の地獄論―近世・近代を中心に―

ユニット3
開催日時 2011年5月26日(木)
開催場所 龍谷大学大宮学舎 清風館共同研究室301・302共同研究室
講師 高田文英(龍谷大学文学部専任講師・CHSRユニット3共同研究員)
参加者 ※共同研究者対象

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 今回の発表は、近世・近代の真宗教学のなかで、地獄がいかに論じられているのかを検討し、主にその関心・目的が科学的な世界観に生きている現代の我々がいかに地獄の思想を受けとめていくべきかということに向けられるものであった。発表は、近世・近代において源信『往生要集』講義録などを中心に散見する地獄、須弥山説に関する議論を収集して、各人の論点を整理し、立場の相違などを明らかにしていった。

 近世、『往生要集』に説かれる地獄について註釈される場合の特徴は、具体的な地獄の表象が大事にされながら、因果の道理という理論的側面を中心に議論が行われていくという。

近世においては、なぜ阿弥陀仏の本願が発されたのかという真宗の救済論が論じられる文脈の中で、その理由が地獄に堕ちる私たち衆生がいるからであり、そのことを明らかにするために具体的表象をもって説明されていくのだと理解する。それは、阿弥陀仏救済の道理を明かしつつ、機の深信のところで地獄を押さえていくという立場である。そして、機の深信と連関しつつ、地獄の存在が念仏者の生活において倫理的規範を醸成させていくという理解も見られる。また、地獄の表象の相違は、業因の異なりによってその実感も異なるという「感見不同(業の感見の相違)」という理解も見られる。その中で、近代に接近していくと、地獄の苦相が人間世界(閻浮提)に準じて説かれた「近諭」(仏大悲)であるというように、地獄の苦相の相対化という視点が生まれ、後代に通じていく考えが出てくると指摘された。

 近代に入ると、科学的世界観や地動説等の流入に伴い、地獄だけでなく仏教世界観を示す須弥山説も議論の俎上に挙げられるが、地獄や須弥山説の具体的な表象は捨象されていく。地獄や須弥山の存在は、「感見不同により我々は地獄を見ることができない、仏・聖者のみ六道に出入して知ることができる」というように「感見不同」の立場から論じられ、人間の知識能力の限定性を指摘しつつ、因果の道理から演繹的に実在が認められていくという。しかし、時代が下がるにつれて、須弥山説は「経典中から須弥山説を削除しても、仏教教理の上には何らの痛痒も感じない」(前田慧雲)と客観的現象界の問題として切り離されていき、地獄の存在のみ主観的宗教的な問題として論じられ、それは「唯信的世界」であると理解されていったと指摘された。

 そして最後に、宗教的観念に基づく世界と現実世界、つまり須弥山説や地獄という世界と現実世界というのは、近世において一つに統一された世界だったが、近代になるとそれが現実世界に即応しないものであり、宗教的観念に基づくものはそこから分離したところでその意義を論じていこうという流れになってきたと述べられた。近代では、科学的な世界観を全面的に受け入れ、地獄の思想を救い出すために、須弥山説からの切り離しを行ったといえると指摘された。

 最後に質疑応答を参考に新たな知見をいくつか記しておく。

1.近世においては国学者からの仏教批判が激しかったが、地獄、須弥山説を論じる際に、その国学者の議論が影響を及ぼしている可能性が指摘された。

2.地動説が流入した近代において解釈された、時代に相応しないから須弥山説を取らないという態度はその本義を失ってしまうのではないか。科学的世界観の中で地獄や須弥山説がどのような意味を担いうるのかという再解釈が必要である。

3.親鸞『浄土和讃』には、「曾婆羅頻陀羅地獄」が記されているが、どのような地獄であるのかあまり論じられてこなかった。親鸞思想に見られる地獄の位置づけと、近世、近代の議論がいかに関わりを持つのかということが再度吟味されなければならない。

4.近世後期から近代にかけて倫理的側面から五悪段説法が流行するが、その中で堕地獄という考え方がどのように関わってきたのか。

5.明治33(1900)年の新仏教運動において迷心の排除が主張されていくが、そのような時代の見解と地獄、須弥山説がどのように交渉していったのか。

以上のようなことが今後の課題として挙げられた。

(RA 北岑)

華厳における死生観ー華厳諸師の往生を通してー

ユニット3
開催日時 2011年1月14日(金) 17:00~19:00
開催場所 大宮学舎清風館301共同研究室
講師 龍谷大学 経済学部教授 藤丸要先生

本ワークショップは、研究員のみで行います。一般・学生の方は参加できません。

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本ワークショップでは、「華厳における死生観―華厳諸師の往生を通して―」というテーマのもと発表が行われた。華厳教学の特徴は、教学の中心思想である事事無礙法界の法界縁起思想を「一心(唯心)」の上に説くところにある。このことは一心法界(一真法界)と呼ばれる理由ともなるが、その「一心」において語られる「死生観」が如何なるものであるかを本発表では探っていった。発表では、まず一心(唯心)についての基本的な華厳の教学的立場を考察し、その上で華厳諸師の往生を概観しながら、華厳における死生観を窺っていった。

 『華厳経(六十華厳)』巻十「夜摩天宮菩薩説偈品」説示の「唯心偈(如心偈)」(T9・465c-466a)や、『華厳経(六十華厳)』巻二十五「十地品」第六現前地に説示される「三界虚妄 但是一心作」(T9・558c)のように、『華厳経』には諸処に唯心的思想が散説されている。そして、

  統ぶれば唯だ一真法界なり。総じて万有を該ねるは、謂く是れ一心なり。(T45・684b 宗密『注華厳法界観門』)

とあるように、一真法界が全体を貫くテーマとして述べられ、具体的には事法界・理法界・事理無礙法界・事事無礙法界の四種法界として説かれていく。この一真法界―四種法界が華厳教学の中心となる。

 唯心思想を端的に示すものとして諸観法が挙げられるが、その中、最も大事なものとして「三聖円融観」や「十重唯識観」がある。三聖円融観とは、文殊の信仰と智慧、普賢の真理と修行の両者が一体となったところを毘盧遮那と名づけ、これらが互いに円融する道理を一念の心の中に観じていく法である。また、心に約して万教を尽くすとされる十重唯識観とは、すべての法が心(唯識)の現れであるということを十重の次第で説いたもので、一念の心が起こるならば、十重の唯識を具足し、十玄門を具足すると説かれる。どちらの観法もつまるところは、一切存在が一心(唯識)の現れに他ならないことを明かすものでる。

 以上のような華厳教学の基本的立場を押さえつつ、華厳諸師における往生の様子を窺っていった。取り上げられた諸師は、中国から至相大師智厳(602-668)、見真大師法蔵(643-712)、日本から明恵上人高弁(1173-1232)、実相坊円照(1221-1277)、示観房凝然(1240-1321)である。往生の様子については、華厳諸師でありながらも西方浄土を願生し蓮華蔵世界を目指す者、臨終間際に弥勒の文を誦す者、身は律・宗は三論・証は真言・後生は西方浄土の立場を示す者などさまざまで、華厳諸師における臨終の様子が一様ではないことが明かされた。一様でない理由について藤丸先生は次のように指摘される。華厳思想が究極的な世界のあり方を一心(唯心)の面から探求して「生死一如」を明確にしていく営みであったため、真実と衆生との関係性が追及の対象とはされなくなってしまった。そのため迷いの現実に目覚めて悟りへの道を歩むという仏教本来の姿が不明瞭になってしまったのではないか。結果、密教・禅・真言・浄土思想などと結びつきながら実践的側面を補強していくことになったと指摘された。

 発表の最後に藤丸先生は、華厳経における死生観について、華厳経が「一心法界」を明かす教えであるため、死と生という相対的概念に関する明確な態度を見て取ることができないと述べられた。その上で、今後この問題に関しては、新たなアプローチの仕方で研究を進めなければならないと指摘された。

 

【新たに得られた知見】

本研究会において得られた新たな知見として以下の3つを挙げておく。

①華厳経における生死観を探求する場合のアプローチの仕方について、新たな方法論を模索する必要がある。例えば、華厳教学そのものに死生観の回答を求めるのではなく、華厳思想が受用されていく当時の一般的死生観からのアプローチ、また華厳思想とそれにまつわる密教・禅・浄土思想などとの比較研究などが考えられる。

②華厳における生死観について諸師の伝記類を用いる場合、死の様相が飾り立てられて記されているそれら資料を如何に取り扱うべきかが問題となる。

③実践面を補強するために華厳諸師は真言、禅、浄土思想などを取り入れていく。個人個人がそれぞれの信仰で行っていった華厳密教、華厳禅、華厳浄土教などはいかなる思想内容を持っているのかが再確認されなければならない。「一心法界」という縁起の世界観を学びながらも個人的信仰において往生実践行を行っていった、その華厳の立場と個人的信仰との比較考が必要である。

 以上のような研究を通して、華厳思想が生死の苦悩を超える道をどのように明らかにしたのかについて、さらに学びを深めていかなければならない。(RA北岑大至)

道教の死生観-仏教との関わりから-

ユニット3
開催日時 2010年11月4日(木) 17:00~19:00
開催場所 大宮学舎清風館301共同研究室
講師 龍谷大学 文学部教授 都築晶子先生

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本ワークショップでは、「道教の死生観―仏教徒の関わりから―」というテーマのもと発表が行われた。発表では、中国への仏教流入に伴い付随してきた輪廻転生、因果応報説を主題としながら、それらの説が道教の死生観の中でどのように受容されていったのかが解明された。

 まず初めに、道教に関する基本的な説明が行われた。4世紀頃の東晋時代にまとめられた神仙術のテキストである『抱朴子』に関係する人々の間で、上清派道教と霊宝派道教が誕生していったという。今日我々が道教という場合にはこの二派を指している。上清派も仏教思想に影響されながら諸経典を成立させていくが、特に霊宝派の扱う諸経典は「仏教と道教の混淆物」と呼ばれるように密接な関係が指摘されている。

 初期道教においては、死を経過して仙人へと生まれ変わっていく「尸解」という思想の中で、さらに死後の世界観の変化に伴い人間界と仙界の間に設定された魂を浄化(錬成)する世界(太陰、南宮等)に関わる中で、すなわち救済(「度人」)の道筋が語られていく過程において「死」の概念や業報輪廻説が取り扱われてくるという。仏教と道教における業報輪廻の相違は、仏教においては、あくまでも個人に関わる問題として業報輪廻思想が取り扱われるのに対して、道教においては、中国的な家単位の思想の上で、祖先の救済(「家単位の救済」)ということも含意しながら受容されていったと説明された。

 質疑応答では、発表を踏まえながら活発な議論が行われ、いくつかの論点が明らかとなった。以下に新たな知見としてまとめておく。

第一に、仏教の輪廻思想を受容しながらも道教経典では、「輪廻」、「転生」という言葉があまり登場せず「更生」、「生死」などの言葉で表現される。中国の翻訳・訳語研究の中で「輪廻」という言葉がどのように変遷しているのか問題となった。

第二に、道教が成立していった4世紀頃、仏教界においても『大阿弥陀経』などの諸経典が成立している。「輪廻」「業報」など以外に、道教と仏教がどのように関係していったのか問題とされた。

第三に、人界と仙界の間に設けられた世界において塵や垢を落とし清浄化させることで、仙人への道筋をつけるという「錬成」という考え方がついて問題になった。もし塵や垢を落として清浄になれるのであれば、本来的に人間は清いものとして考えられているのか。人間の本来浄不浄が議論された。

第四に、道教などにみられる「回向」という概念は、自らの善行功徳を個人および祖先に振り向けていくという内容として説かれている。仏教の「回向」の概念とどのように異なるのか問題としてあげられた。

(RA北岑大至)

 

漢代の祖先祭祀

ユニット3
開催日時 2010年9月30日(木) 17:00~19:00
開催場所 大宮学舎清風館B101教室
講師 龍谷大学 文学部教授 小南一郎先生

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UNIT3研究会(小南一郎先生)
UNIT3(小南一郎先生)2

 本ワークショップでは、「漢代の祖先祭祀」というテーマのもと発表が行われた。発表では、①仏教が中国へと伝来する直前の漢代(前漢・後漢)において、人々が祖先の霊をどのように考え祀っていたのか、②祖先の霊と罪の観念を論じて、祖先の罪がいかなる方法で解消されていくのか、③漢代より三国時代において仏教を受け入れていく中で、人々の中にいかなる思想的基盤があったのか、ということをポイントにしながら漢代における死生観の解明が行われた。

 祖霊祭祀は、中国最古層の文献である殷代甲骨文にも見ることができる。古くより儒教の中で行われ、シャーマニズム的民間信仰などを取り込みながら行われてきた祖霊祭祀は、祖霊が「怒」・「罪」を伴っており、生きている者が「慰」をすることで現世の「禍」を回避していこうという行為であった。そこには、祖霊に対する「恐怖」という形で死の観念が見て取れるという。祖霊の「怒」や「罪」を解除する方法として、前漢時代においては、供物などによる祭祀が中心であったが、後漢時代になると神仙思想などの影響からシャーマニズム的・呪術的儀礼による祭祀が行われるようになっていった。その代表的な祭祀方法としては、宗廟に設置された中心柱を旋回する儀礼があげられる。中心柱を用いた旋回儀礼は、死者の霊魂を地獄から天へと導くための儀礼であったと考えられている。

 しかしながら、次第にこのような祖霊救済の方法が上手くいかないということから、呪術的な方法を超えた宗教的信仰に近い死者の救済というものが求められていく。それがやがて、東晋時代になると一方では道教へとつながり、一方では仏教を受け入れていくということにつながっていったのではないかと考えられると述べられた。

 質疑応答では、発表を踏まえながら活発な議論が行われ、いくつかの論点が明らかとなった。以下に新たな知見としてまとめておく。

 第一に、死者儀礼の契機ともなる死者の怒や罪という概念は、具体的にどのようなものが想定されているのか。生前の怒や罪が死後にまで持ち越されているのか、それとも死というもの自体に対する怒や罪であるのか、死と生にまつわるところの怒や罪が問題とされた。

 第二に、生者に恐怖を惹起する死とはいかなる世界として考えられていたのか。漢代から仏教受容がなされていく過程において、死後の世界観ということが問題とされた。

 第三に、死者の救済と生者の救済ということは密接な関係にある。祭祀儀礼によって罪を解除することで死者が救済されることと、残された生者の救済とはどのような関係であるのかが問題とされた。

 第四に、そもそも民間信仰と神仙術と道教の相違はどこにあるのかということが議論された。(RA北岑大至)

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