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研究活動

遺族のセルフヘルプグループ、サポートグループの活動 

ユニット4
開催日時 2011年2月24日(木曜日) 午後3時~午後5時
開催場所 龍谷大学深草学舎 至心館2階至心館パドマ会議室
講師 黒川雅代子
龍谷大学短期大学部准教授 社会福祉学
論文「救急医療における遺族支援のあり方」(龍谷大学論集470号)、
「遺族のセルフヘルプグループの活動」(家族看護4巻2号)など。
遺族会「ミトラ」を設立し、大切な人をなくした分かち合う場を開いている。
ホームページ: http://www.human.ryukoku.ac.jp/~kurokawa/
参加者 共同研究者(学内外)、学内教員

レスポンス
吾勝常行(龍谷大学大学院実践真宗学研究科教授)
鍋島直樹(龍谷大学法学部教授、人間・科学・宗教ORCセンター長)
モデレーター
玉木興慈(龍谷大学短期大学部准教授)

研究目的
UNIT4.仏教と医学・心理学、人間科学を通じた死生観とビハーラ・ケアの研究
第一に、終末期医療や自殺をめぐる死への苦悩を見つめ、仏教、医学、社会福祉学、心理学などの諸科学との協力により、ビハーラ・ケアと死別後のグリーフ・ケアの理論を確立する実践学的研究を行う。第二に、現代における人間の生死の危機とその超越を、聖典や文学作品また心理療法の比喩や物語を通して解明していく。仏典などにみる人間の宗教的救いの物語や事例は、人々にとって人生の羅針盤となり、自己を省みる鑑となるだろう。

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本ワークショップでは、「遺族のセルフヘルプグループ,サポートグループの活動」というテーマのもと発表が行われた。発表者の黒川先生は“大切な家族を亡くした遺族の悲嘆反応”と“セルフヘルプグループ”と二つのセクションに分けて活動の必要性と現状を紹介された。 悲嘆は死別に対する情緒的反応であり,喪失に対する自然で正常な反応である。悲嘆のプロセスに関して、段階モデル、課題モデルと二重過程モデルなどの理論が出されている。悲嘆に伴う心理的,身体的,行動的反応の多くは、正常な反応であるが、しかし、その程度や期間が通常の範囲を超え、精神科的な治療が必要な悲嘆反応「複雑性悲嘆(complicated grief)」も見られる。複雑性悲嘆の特徴については以下の点が挙げられた。

*6ヵ月以上続く強い悲痛感と思慕

*現実と信じられない,喪失を受け止めることが出来ない

*故人に関することへの没頭

*喪失を想起させる事物や場所,状況の回避

*自責と後悔,強い怒り

*日常生活の停滞

*社会的ひきこもり

第二セクションでは、事例をあげ、悲嘆サポート活動の現状と問題を説明なさった。黒川先生は2008年に遺族会「ミトラ」という遺族会を設立し、悲嘆サポートの現場で働かれている。ご自身の経験からサポートの注意点などを説明し、如何にしてより多くの遺族に紹介するかなどの課題を指摘された。

レスポンスでは、吾勝先生と鍋島先生が西洋との比較や仏教の死生観との関係など異なる視点からコメントを述べられた。

<吾勝レスポンス>

 お寺においては伝統的な仏事の中で、例えば年忌、法事の流れの中でグリーフケアがなされてきたけれども、辛さ、痛みを分かち合う人がいなく、グリーフケアが足りない状況からみるとお寺だけではなく遺族会のようなサポートする場は非常に重要である。

 遺族会において安心して話せることが大事であるため、守秘義務の実行など運営上の措置に関心を示した。

<鍋島レスポンス>

黒川先生の研究は、救急救命の看護師時代から大学教員にいたる長い年月の中で、さまざまな死別の悲しみを見つめ、死別悲嘆に寄り添い、悲しみから立ち直る道筋を考えつづけたすばらしい研究である。

1.黒川先生の研究は、現代の日本において、死別の悲しみに沈む人々の現実を見つめている。特に家族などの絆の薄い人たち、一人ひとりの悲しみに寄り添っているところに深く学ぶべきところがある。

2.西洋のグリーフケアの姿勢は、死別悲嘆の症状を分析、評価して対応する。

仏教における慈悲の姿勢は、悲しみに沈む人を分析し、ケアするというよりも、分析を必要としない愛情である。長い年月をかけて、相手のそばにいる。仏壇に手を合わせることを通して、亡き人の思いを受けとり、自らの行くべき道を知る。仏教において、死は終わりではなく、仏になることであり、亡くなった人から受けた愛情を、死別後に深く気づいて、自らが生きていくことである。
 3.黒川先生の最後に提示した四つの点は、悲しみを理解し、それを超える道について指し示したものであり、いろんな角度から学ぶことができる。

黒川先生は、グリーフとは、単に悲嘆だけを意味するものではなく、悲嘆に伴う怒り、罪責感、感謝など言い尽くせない思いをも含んだ言葉であると紹介された。グリーフケアと呼ぶよりも、ビリーブメント・ケア(Bereavement Care 死別悲嘆ケア)と呼ぶ方が国際的であると提言した。多くの人々のさまざまな死別悲嘆に寄り添う際に、ケアする側が燃え尽きてしまわないのだろうかという質問があった。その質問に対して、黒川先生は、「私は死別悲嘆に暮れている人たちから、愛の物語をもらっている。私の力で相手を支えようとするのではない」と応えた。黒川先生は、かけがえのない一人ひとりの悲しみに、深い愛情を感じ取っていることを知り感動した。

最後に、モデレイターの玉木先生は、無縁社会と呼ばれる現代の日本において、黒川先生の研究は、日本社会から必要とされている重要な研究であり、長い歴史のある仏教との架け橋となってほしいと応援のメッセージを送った。  (RA 胡)

ビハーラ活動の独自性-浄土教における死と大悲-

ユニット4
開催日時 2010年11月26日(金)
開催場所 深草学舎至心館パドマ大会議室


第1部(15:00~15:30)

テーマ 被爆者の死生観と願いに学ぶ


第2部(15:45~17:00)

テーマ ビハーラ活動の独自性-浄土教における死と大悲

モデレイター 玉木興慈氏(龍谷大学短期大学部准教授・CHSRユニット4副代表)

発表者 鍋島直樹氏(龍谷大学法学部教授・CHSRセンター長)

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 本ワークショップでは、ホスピスとビハーラ活動の共通性と独自性の解明、あわせて浄土教を背景とする看取りの姿勢について発表が行われた。

 仏教を背景とするビハーラ・ケアには、「阿弥陀仏の大悲に相手も自己もいだかれている」という縁起思想、同朋精神に基づくところに特徴があると指摘され、親鸞における死と救いとして、1、師、自分を理解してくれる人にめぐりあうこと、2、往生浄土、具会一處、3、亡き人は仏となる、亡き人はあなたを真実に導く、4、浄土に生まれて仏となり、この世界に還って人々を導く、5、いま、ここにおける仏の救いの確立(摂取不捨)、6、死を受け入れられない人を、そのままで仏は抱きしめる、7、死に様の美醜をことさらに問題にしない、の7点が提示された。 

 これらの諸点を踏まえた上で、仏教の精神性に基づく看取りの姿勢として以下の9点が提示された。

  1.  真実を共有する
  2.  全人的な痛みを緩和する
  3.  「生の完遂」を援助する
  4.  死の縁は無量であり、死の姿の善悪を問わない
  5.  そばにいること
  6.  安心して悩める
  7.  患者の心に学ぶ
  8.  念仏を称える
  9.  死別後の遺族の悲しみに長期間寄り添う

 質疑応答では、発表を踏まえて活発な議論が行われ、諸々の論点が提出された。この論点を、新たな知見として提示する。

 第一に、ホスピスとビハーラの共通性・独自性という点から、親鸞、或いは浄土真宗における宗派性・特殊性をいかに打ち出すか、同時にその中で一般性をもたすにはどのような言葉が選ばれるべきか、といった一般と特殊という問題が指摘された。

 第二に、日本における活動である限り、西洋の理論を持ち込み日本で応用するには限界があるのではないかという問題提起から、日本独自の理論の必要性、及び、これまで仏教の実践活動の一つであった法事や葬儀といった儀礼を再度捉えなおす必要があるのではないか、と指摘された。これはグリーフケアと関わる問題として議論された。

 第三に、インドから日本に展開してきた大乗仏教はそもそも「利他」を説く仏教である、ということを前提にして、では、いかなる行が「利他」であるといいうるのか、本当に「利他」するとはいかなることか、という問題が指摘された。これは、「利他」が六波羅密の第一の行とされることと関連した、教義と実践の問題として議論された。

 第四に、仏教における「共生」、或いは、浄土真宗で語る「不請之友」とは、阿弥陀如来を介在させた中で論じられるべきものだと指摘された。「私」と「あなた」と「阿弥陀如来」という関係性を指摘するものであった。(PD岡崎)

ビハーラ活動のいまとこれからを考える

ユニット4
開催日時 2010年10月30日(土)
開催場所 本願寺宮崎別院
講師 市原美穂(NPO法人 ホームホスピス宮崎理事長)
藤澤克己(安楽寺住職、自殺対策に取り組む僧侶の会)
栗田正弘(医師)
鍋島直樹(龍谷大学教授・CHSRセンター長)

【開催趣旨】
仏教は老病死という人間の抱える根本的苦悩を解決するところにその出発点があ
ります。ビハーラ活動とは、老病死に直面して、不安を抱き苦しむ人々に向き合い、その関わり合いの中で、いのちの尊さを見つめ、守りつづけていくところにその意義があります。しかも、現代社会を生きる人々の苦しみには、老病死だけでなく、無縁社会、無縁死、孤独死という言葉に示されるように、孤立する寂しさもあります。さらに、自死という現実もつづいています。そこで、このシンポジウムでは、ホームホスピスや病院における看取りに携わる医師と医療関係者、自死問題にとりくむ僧侶の臨床実践に学び、ビハーラ活動の未来を考えます。

主催:ビハーラ宮崎  
協力:龍谷大学 人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター

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【成果報告】
「ビハーラ活動のいまとこれからを考える」というテーマのもと、宮崎市でシンポジウムが開催された。参加者は、九州各地から集まり、135名であった。このシンポジウムの企画推進は、紫雲氏(ビハーラ宮崎代表、担当教区)、水谷氏(第五連区ビハーラ代表)、弘中氏(ビハーラ宮崎元代表、橘保育園園長、橘デイサービスセンター所長)らによる。長年ビハーラ活動に取り組む医師、看護師、僧侶との連携によって実現した。10月29日に打ち合わせを行い、30日午前中にシンポジウム、午後に基調講演を鍋島が行った。主催:ビハーラ宮崎、協力:人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センターであった。
シンポジウムは、次の3名により発表が行われた。


10:00-12:30(1名25分発表。会場との意見交換)
市原美穂(NPO法人ホームホスピス宮崎理事長)
「高齢者を介護すること、看取ること」、
藤澤克己(東京安楽寺住職・自殺対策に取り組む僧侶の会代表)
「自死の問題にどう取り組むか」、
栗田正弘(医師・称専寺副住職)
「スピリチュアルケア―医師と僧侶のかかわり」
鍋島直樹(龍谷大学教授)コーディネーター&レスポンス

市原氏からは、ホスピスにも入れない、一人暮らしが困難になった高齢者、認知症の人たちを「かあさんの家」施設であたたかく受け入れ、家族のように地域の中で安心して暮らせる取り組みが紹介された。「かあさんの家」は、口腔ケアに力を入れ、口から食べられるように援助し、ケアカンファレンスを施設利用者のそばで行い、本人の気持ちに寄り添い、日々の気づきを互いに伝えることが尊重されている。母さんの家は、甘えられる、許し許される、地域に帰って地域の中で安心して暮らせるという願いがこもっている。藤澤氏からは、自殺念慮者と自死遺族を支えるために、温かい見守りと伴走が必要であることが提言された。温かい見守りとは、否定せずにありのままに気持ちを受け入れることである。安易に大丈夫ですと答えたりはしない。伴走とは、相手のペースに合わせて寄り添うことであり、いっしょに悩み考えることである。安心して悩み、安心して悲しめる社会づくりを作っていくところに深い願いがある。安心して悩める場がある時、ひとは少しずつ自身の回復力によって生きていくことができるのだろう。栗田氏からは、医師と僧侶という二つの立場をもって、身の病と心の病に寄り添い、身心一如の道を歩んできたことが紹介された。現実には、医師になってから、白血病や肝臓癌の患者とであい、亡くなっていく人々をみてつらかったという。そんな時に、駒沢勝氏と出会い、医学による対治(病気と対決して治療する)と仏教による同治(否定せずにすべてをひきうける)の両輪が必要であることに気づいたという。仏には否定がない。すべてを引き受けてくれる。あたかも釈尊がアジャセに月愛三昧を示したように、何かをすることではなくてそばにいること(Not being but being)がビハーラの基本姿勢であるとも感じたという。最後に、元看護師長の最期を看取った症例が紹介された。その女性は人生の終末において、主人と一緒に成長し、主人にほめられて死を迎えた。亡くなる前に彼女が作った押し花は、月愛三昧を髣髴とさせ、栗田氏や看取った看護師たちを感動させた。死に直面していのちを見つめた時、そのいのちは輝いてくるという。


次に、午後には、基調講演が次のように行われた。


13:30-15:00
鍋島直樹「仏教における死と大悲―ブッダ最後の旅」

基調講演では、3人の成果を受けとめながら、ビハーラ活動が生の完遂を支え見守るものであり、仏の月愛三昧のようにすべてをまるごとうけいれる時、死をも超えた深い絆が生まれてくることを話した。ひとは誰しも死に近づくと、動けなくなり、見えなくなり、言えなくなり、聞こえなくなっていく。自分が自分でなくなっていくという自己喪失は、すべての人間に共通する姿である。しかし人はただ自己喪失していくだけなのだろうか。決してそうではない。自己喪失の中でこそ、一人ひとりのいのちはその姿を通して一番大切なものを伝え、そのいのちは輝きを放っている。それに深く気づき、人生のすべての行程をまるごとうけとめるのが看取るものの使命であり、スピリチュアルケアである。ビハーラ活動の特色は、患者とその家族を医師、看護師、僧侶、縁者などが全人的に支援するだけなく、支援する自分たち自身が、患者に深く支えられていることに気づかされるところにある。世俗社会では、議論や比較、評論や批判ばかりが盛んであるが、死を通して気づく大切な愛情を忘れがちである。限りある命の人たちが放っている、真実のいのちの尊さをうけとっていくことが願われる。会場の参加者の中には、自然に涙を流す人々や、胸襟を開いて、自らのつらい死別体験を語る人もあった。会場からの質問の中に、世間では自死をうつ病のせいにされがちであるという意見があった。自殺が起きた時、その自殺の原因探しや犯人探しをするのではなく、その亡くなった人の無念さや深い悲しみを忘れずに、自分たちが一緒にかかえていくことこそが大切であると藤澤氏が訴えていたのが印象に残った。また、市原氏は、ターミナルは終着ではなく、境界を意味し、死をこえてつづくいのちがきっとあるという発表も心に残った。シンポジストと会場の人々の心の琴線がふれあい、余韻の残るシンポジウムとなった。人々は去ってもぬくもりは消えない大会となった。シンポジスト、参加者ならびに大会実行委員会の皆様に感謝の気持ちで一杯である。(鍋島)

 

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