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Research Activities

親鸞聖人750大遠忌 記念講演

Unit3
Date 2011年5月24日(火)13:15~16:30
Place 龍谷大学 大宮学舎 清和館 3階大ホール

テーマ:親鸞と元暁-悪人正機について
講 師:康東均 氏(韓国東亜大学校人文科学大学教授)  
テーマ:親鸞聖人の教法表現
講 師:矢田了章 氏 (龍谷大学名誉教授)
 

主催:龍谷学会


 問い合わせ先
 龍谷大学真宗学合同研究室 (龍谷大学大宮学舎内)
 TEL(075)343-3311 内線5302 
 E-mail gakkai@ad.ryukoku.ac.jp
 

浄土三部経における死生観

Unit3
Date 2011年3月3日(木)15:00~16:30
Place 龍谷大学大宮学舎 清和館3階ホール
Presenters 大田利生先生(文学部教授・真宗学 ORC研究員)

人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター主催

ユニット3公開講座

入場料無料 参加申し込み不要

どなたでもご参加ください

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 本公開研究会では、「浄土三部経における死生観」というテーマのもと発表が行われた。

 浄土三部経の成立時、死をどのように解決し、いかに乗り越えていくのかということが大きなテーマであったという。『無量寿経(梵本)』第一願には、

もしも、世尊よ、かのわたくしの仏国土において、地獄や、畜生や、餓鬼の境遇や、阿修羅の群れがあるようであるならば、その間は、わたくしは無上なる正等覚をさとりません。

とあり、第二願には、

もしも、世尊よ、かしこのわたくしの仏国土に生まれるであろう生ける者たちが、再びそこから死没して(cyutvA)、地獄や、畜生や餓鬼の境遇や、阿修羅の群れにおちいるようであるならば、その間は、わたくしは無上なる正等覚をさとりません。

とある。経典成立当時、一般的に死ということが、地獄、餓鬼、畜生に堕ちていくこととして捉えられ、その恐怖を解決し、いかに乗り越えていくのかという問題が経典成立に大きく関係しているとされる。

 また、死生観を考える場合に問題としなければならないことは、臨終の時に阿弥陀仏が聖衆や菩薩を随えてその人の前に来迎するという臨終来迎の思想である。

梵本『無量寿経』三輩段

また、アーナンダよ、およそいかなる生ける者たちであっても、かの如来を形相の上からいくたびも思念し、多くの無量の善根を植え、覚りに心をさし向け、かしこの世界に生まれたいと誓願するであろうならば、かのアミターバ如来・応供・正等覚者は、かれらの臨終の時が到来したときに、多くの比丘の集団にとりまかれ、恭敬されて、〔かれらの前に〕立たれるであろう。それより、かれらはかの世尊を見て、澄浄な心になり、まさしくかしこの極楽世界に生まれるで〔あろう〕。

臨終とは、生きている最後の生の領域であり、その場面において来迎思想が説かれることは、死生観を考えていく上で重要な思想である。臨終来迎において「仏にあう」(見仏する)ことで心が澄浄となり、地獄、餓鬼、畜生のない極楽世界に生まれるという教説は、反顕すれば、生きている我々には澄浄の心がなく顛倒しているということでもある。澄浄の心がなく顛倒し、地獄、餓鬼、畜生に堕す死への恐怖を乗り越えていく契機に臨終来迎が説かれる。発表では、このような臨終来迎思想が、初期無量寿経典である『大阿弥陀経』や、『阿弥陀経』などにもはっきりとした形で説かれており、浄土経典成立の背景を考えていく上で非常に重要な意味を持ち、かつ多くの人に魅力を感じさせてきた浄土教的死生観であったと指摘された。

 

【新たに得た知見及び課題】

 本研究会において新たに得られた知見、及び今後の研究課題について以下に2点挙げておく。

 1つに、浄土経典成立時と現代社会においては、一般的な死に対する認識の相違があるのではないかということである。浄土経典成立過程においては、永遠に地獄、餓鬼、畜生に堕する契機として死が受け止められ恐怖を抱かせる。しかし、現代社会では、現存在を消失するという契機に死が受け止められ恐怖を抱かせている。時代状況における生死観の相違が今後の課題として得られた。

 2つに、浄土経典における死の表現は、「死没して」と、「臨終の時」と訳される語などがある。これらの表現の相違は、どのような意味を持っているのかということが今後の課題として挙げられた。

(RA北岑大至)

 

浄土経典を学んで

定年退職記念最終講義

Unit3
Date 2011年1月18日(火)13:15~14:45
Place 龍谷大学大宮学舎 清和館3階ホール
Presenters 大田利生先生(文学部教授・真宗学)

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