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Research Activities

Unit 4, Special Lecture, Thinking about your own Life

Unit4
Date November 7, 2011, 11:00-12:15
Place 205, Toko Building, Omiya Campus, Ryukoku University
Presenters NAKAJIMA Shizue
(Head Nurse of Asoka Vihara Clinic)

Unit 4, Special Screening "Tannisho and Nakamura Hisako"

Academic Lecture
Date July 4, 2011, 10:45-12:00
Place Ryukoku University Avanti Kyoto Hall
Participant

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 UNIT4の研究プロジェクトでは、中村久子女史の心の軌跡から浄土教の死生観について学ぶべく、中村久子女史顕彰会の協力のもとで、女史の遺された文章や写真の研究を重ねてきた。その研究成果として、2011年春に映画「歎異抄と中村久子」を完成させた。本上映会は、この作品を上映することによって、UNIT4の研究を一般の方々に広く公開するものである。

 

 中村久子は、3歳の時に、特発性脱疽という病気にかかり、両手両足を切断された。それ以来、彼女は父母や祖母に見守られながら努力を重ね、編み物、書道、万葉集、百人一首などの素養を身につけていく。24歳の時、彼女の乗り越えてきた前半生が雑誌『婦女界』に掲載され、世界中から注目されるようになった。また、41歳の時には、ヘレンケラーとも日比谷公会堂で面談し、困難を乗り越えて自立した女性として世間の脚光をあびた。しかし、いつしか高みに上り、傲慢になっている自分に気づいて悩んでいた。そのような折、福永鵞邦という書家で熱心な仏教徒に出会い、『歎異抄』に心動かされた。『歎異抄』や、金子大栄をはじめとする先生方が彼女の心の苦悩を解き放ち、往くべき道を指し示した。

 映画「歎異抄と中村久子」は、中村久子の究極的な依りどころとなった『歎異抄』が彼女にどのような視座を与えたのかを、中村久子の残した言葉を通して明らかにしている。以下の3人による対談で、作品は構成されている。三島多聞氏(中村久子女史顕彰会代表・真蓮寺)、稲野一美氏(アナウンサー)、鍋島直樹(龍谷大学人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター長)の3人である。対談のテーマは、(1)宿業の自覚、(2)念仏について、(3)父と母について、(4)生かされて、(5)人生に絶望なし、の五つである。本上映会では、(1)と(2)の部分が上映された。

 

 中村久子は、両手両足を失ったことが有難いことだと述べた。どのようにしてこのような発言に至ったのだろうか。

 中村久子は、どんなことも宿業によらぬものはない、と述べている。宿業とは、過去生の行為とその報いのことである。それは決して運命として諦めるべきものではない。大切なことは、宿業を自分自身のこととして受けとめることによって煩悩に囚われた有限な人間であるということを自覚し、この自覚から世界を新しい視点で見つめ、本当の生き方をしていくことである。

 中村久子の場合、手足がないという事実を宿業として真正面から見つめることによって、自分自身の存在を自覚し、新たな自分を発見した。娘が犬猫のように呼ばれる様子を見つめる母の悲しい表情を見て、彼女は「自分は人間なんだ、人間になりたい」という自覚をもつに至った。この自覚によって自分の認識を、「両手両足がない」から「何でもしてくれる短い手がある」へと180度転回させることができた。このように、自らの宿業を正面から見つめることを通して、彼女は新たな自分を知り、生きることができたのである。

 

 中村久子は、どのようなことも宿業によらぬことはないので、み仏からたまわったお念仏を唱えさせていただく、と述べている。このとき、お念仏はどのような意味をもつのであろうか。

 念仏とは、我が名にかけてあなたを救うという弥陀の誓いである。阿弥陀仏の御名の背後には四十八願という仏の誓い、仏の望みがある。だから、南無阿弥陀仏は「ない」から「ある、ある、ある」へと180度転回させる力をもつのである。

 また、親鸞聖人が法然上人という良き人を通して阿弥陀仏に対して絶対的な信頼を置くことにならって、中村久子も親鸞聖人という良き人を通して阿弥陀仏に絶対的な信頼を置く。親鸞が弥陀の本願が自分一人のためにあることを悟ったように、久子もまた歎異抄の教えが自分一人のための教えだと聴きとったときに、阿弥陀仏の慈悲が久子一人に到来する。

 

 新たに得られた知見として、とりわけ興味深かった点は、中村久子が福永鵞邦の念仏に出会って『歎異抄』に出会う経緯について解説された部分であった。

 福永の念仏を聴いたとき、中村久子は直接阿弥陀仏の慈悲に触れたのではなく、祖母の念仏を思い出した。この祖母の念仏は、なぜ孫がこのような運命に生まれたのかという嘆きの念仏ではなく、手足を失って生きる孫の宿業を祖母自身が背負って唱えられた念仏であった。福永の念仏を聴いて、中村久子は、自分が既に祖母のお念仏によって育てられており、既にみ仏の方から自分の存在を願われていたこと、既に救われていたことに気づいたのである。祖母の念仏が中村久子のなかに積み重なって小さな種となり、福永の念仏を縁としてその種が実を結んだのである。

 南無阿弥陀仏に絶対的な信頼をおくことは、念仏を唱えたから救ってくれ、というように南無阿弥陀仏を手段として用いているのでも、阿弥陀仏と取引をしているのでもない。苦しみに苛まれる状態から南無阿弥陀仏と言えるようになったことに対する感謝こそが南無阿弥陀仏であり、既に救われていることに対する感謝が南無阿弥陀仏なのである。このエピソードは、回心の興味深い例となっているように思われる。

Unit 4, Special Lecture: Medical culture and Buddhist culture in Japan

Unit4
Date June 29, 2011, 10:45-12:15
Place Lecture Hall, Main Building, Omiya Campus, Ryukoku University
Presenters TABATA Masahisa (Professor at the Faculty of Letters, Ryukoku University)

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 田畑正久氏は、大分にて病院の院長を務めつつ、龍谷大学大学院実践真宗学研究科の教授として学生の指導に尽力されている。この度は、「現代日本の医療文化と仏教文化」と題して、医療と仏教両方の視点から日本の医療を見つめ直し、医療と仏教とのあるべき関係についてご講演いただいた。概要は以下の通りである。

 

 現代日本の医療の文化について、二つの特徴を挙げることができる。

 第一に、老病死をあってはならないことと考え、余命をのばすことに専心してきた。

 日本人の8割が病院や施設で亡くなる現在、病院は病気を治すところであるだけでなく、死ぬところでもある。しかし、医療現場では、いざ臨終というときに、ベッドサイドから家族を追い出して、人工呼吸や心マッサージなどをする。このように老病死を嫌う医療は、死を家族が受容することを妨げているように思われる。

 

 第二に、医療の現場から宗教性が排除されている。

 欧米では、キリスト教をはじめとした宗教者が医療現場に深く関わっており、医療をキリスト教文化が下支えしている。以前、田畑氏が訪れた、シカゴの病院では、宗教者はどこでもフリーパスで入れたそうである。欧米では、老病死の問題は医療だけでは解決できないということが理解されている。しかし、日本では、私立の病院を除き、医療から宗教性が排除されている。しかし、生老病死の問題を宗教抜きで扱うことはできないように思われる。

 このような医療文化の背景には、人間を有用性によって評価する現代文明の病理があるのではないだろうか。

 

 このような医療文化に対し、仏教文化は、生きていることの意味、死に行くことの物語を提示することができる。

 仏教の「縁起」の考え方によるならば、死の原因はまさに人間に生まれたことなのである。仏教では、死は自然なことであり、あってはならないことではない。このように、生は死に裏打ちされているのだが、医療文化はそのことを忘れている。死への生を生きていることを、浄土教で言えば、浄土への生を生きていることを忘れているのである。

 人間は、人間に生まれて仏法に出会いたいという思いによって、人間に生まれる。人間が生まれるということの背景には、これまでの多くの生命によって生かされ、その結果今生において人間として生まれることができたという物語がある。

 釈迦は、死後については何も記さない。死後についてはわからないのであって、あると書くのもないと書くのも間違いなのである。このように、死後の世界は分からないのだが、何も心配する必要はない。人間は、仏法に照らされて自分の無知、煩悩に気づかされる。自分の愚かさに気づいて、自分が救われないことに気づいて、南無阿弥陀仏を称える。そして、南無阿弥陀仏が私に来たる。だから、今生かされていることをお念仏で受け取って、今の生を精一杯生ききればよい。そのあとは阿弥陀仏にお任せしておけばよいのである。

 

 それでは、医療と宗教はどのように関係を取り結べるだろうか。

 死ぬということの物語は、いのちの全体像をみることのできない科学的合理主義の医療文化から出てこない。そこで、老病死をも受けとめる仏教文化を基礎に据えて、医療文化を仏教文化という基盤の上で展開する必要がある。そのとき、患者や家族、医療関係者が生老病死のすべてを受けとめて、よく生きよく死ぬことになるのではないか。今生を生き切って、人間に生まれてよかったと思えるのではないだろうか。

 このように、医療文化と仏教文化は並列的なものではなく、仏教文化を基礎にして、医療と仏教とが協力することが現代の日本で求められている、という提言で講演は結論づけられた。

 

 田畑氏の病院では、無理な延命をせず、亡くなっていく患者さんを「見守る」ことを重視されている、というお話が特に印象に残った。インフォームド・コンセントの一環で、延命治療を希望するかどうかを本人や家族に聞く、という病院は近年多く見られる。しかし、病院が主体的に無理な延命をしないと語り、それを実行に移しているということはあまり見られないように思われる。このような医療を受け入れられない家族も少なくないであろうが、ともかく、仏教文化に根差した医療の、興味深い実践例であるように思われた。

(古荘)

Special Lecture "Bond between patient and family: Death and Compassion in Buddhism," at 10th International Family Nursing Conference

10th International Family Nursing Conference

June 25-27, 2011

Theme: Making Family Nursing Visible: From Knowledge to Knowledge Translation

Kyoto International Conference Center

HP:http://www.ifnc2011.org/japan/index.html

 

Special Lecture of June 25, 2011

"Bond between Patient and Family: Death and Compassion in Buddhism"

NABESHIMA Naoki (Professor at the Faculty of Letter, Ryukoku University, Director of the CHSR)

Unit 4, Special Lecture: "Amenimo-Makezu: Report of our visit to Tohoku"

Unit4
Date June 1, 2011, 15:00-16:30
Place Lecture Hall, Main Building, Omiya Campus, Ryukoku University
Presenters NABESHIMA Naoki (Professor at the Faculty of Letters, Ryukoku University, Director of the CHSR)

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東日本大震災の岩手・宮城・福島を訪ねて――雨ニモマケズ

 

  生死の苦海ほとりなし

    ひさしくしづめるわれらをば

    弥陀弘誓のふねのみぞ (弥陀悲願のふねのみぞ)

    のせてかならずわたしける

     (『高僧和讃』龍樹讃(7)浄土真宗聖典註釈版579頁)

 

http://buddhism-orc.ryukoku.ac.jp/activity/assets_c/2011/06/DSCN1686-thumb-300xauto-396.jpg

 

 

 この災害支援活動の話は、すべて活動者の思索と悩みの中から生まれた記録である。できるだけ被災地の現実のありのままを伝え、被災地の方々の気持ちをそばで聞き、被災地の方々から大切なことを学びたい。

 最も大切なことは、あらゆる支援活動を相互に認め合い、尊重しあうことである。各宗派本山での追悼法要も、義損金活動も、被災者の受け入れも、被災地現地でのボランティア活動も、すべてが価値ある支援である。

 皆様と共に、東日本の復興のためにそれぞれができることを努力し、深い悲しみを縁として、日本、そして世界が支えあい、一つになっていくことを願って生きたい。

 

災害支援活動

第一回 2011年4月7日~4月10日

 私自身が個人の意思で行く際に、本学の有志の教職員が応援してくださり、貴重な支援物資を提供いただいた。タオルハンカチ、腕輪念珠、風呂敷、ボールペン、花ろうそくを、避難所の子どもやお年寄りに届けると、喜んでくださった。心より御礼申し上げたい。

 4月7日夜、マイカーで出発し、北陸・新潟を経由して、福島、宮城へ約900キロ、13時間。最大余震6強のあった日だった。私たらが現地に赴くと、すでに、本学大学院実践真宗学研究科の院生や浄土真宗本願寺派北海道教区の僧侶たちが、3月中旬から現地入りしていた。現地拠点となる仙台の東北教区災害ボランティアセンターは、3月17日に設立され、西本願寺の北本さんが、ボランティアコーディネーターとして、災害地域の最新情報の提供や連絡調整、記録、日々の報告会開催をしてくださった。

 私は院生と共に、警察や町役場の許可を得て、「遺体安置所でのお勤め」(4月8日)、「南三陸町等の避難所への物資支援・追悼法要」(4月8・9日)、「陸上自衛隊・西本願寺ボランティアとの協力による炊き出し」(4月10日)をさせていただいた。警察の理解を得て、グリーフケアとして、拙著『死別の悲しみと生きる』を遺体安置所などに置かせていただいた。宮城県南三陸町や仙台市宮城野区をはじめ、見渡すかぎり瓦礫のつづく町に、涙も声もでなかった。避難所で、お念珠、ボールペン、おもちゃを受け取った時の、子供たちの笑顔が救いだった。支援したい私たちが、被災した方々に支えられていた。

 

第二回 2011年5月4日~5月8日

 私は、大学院生と共に、被災地への継続的な支援をつづけるために、再び東日本大震災の被災地・岩手県、宮城県を訪れた。「岩手県花巻市の宮沢賢治記念館と宮澤家との連携プロジェクト」(5月5日)、「宮城県南三陸町への物資支援、歌津中学校などに『雨ニモマケズ』の額提供、海と大地への追悼法要」(5月6日)、「東北大学片平さくらホールにて東日本大震災の心のケアを考える公開講演会に参加」(5月7日)、「南三陸町役場の要請による故遠藤末希さんたちの追悼法要、仙台市宮城野区避難所への再訪問」(5月8日)などをさせていただいた。

 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の精神が東北を支えている。その詩の中にある「行ッテ」という言葉は、賢治が最も大切にしていた言葉である。「行ッテ」とは、からだがおもむく時に、心も寄り添うことを意味している。「行ッテ」は、一方的な自己犠牲ではない。相手の所におもむく時には、相手も待っていてくれている。自己と相手との想いが重なってくる。それが「行ッテ」の心である。相手の幸せを自己の幸せとして感得する、自利利他の精神をそこにみることができる。この賢治の「行ッテ」という言葉が私をつき動かした。

 

 3月11日東日本大震災以降、東北や東京を中心に、大きな学術的連携のうねりがある。

 5月7日、東北大学片平さくらホールにおいて、東北大学心の相談室の主催で、「祈りの心―東日本大震災に宗教はどう向き合うか―」というテーマのもと、東日本大震災における弔いの意義と心のケアを考えるシンポジウムが開催された。関東や東北の医師やカウンセラーや僧侶たちが230名ほど集まった。この公開講演会開催に際して、東北大学の鈴木岩弓教授からご依頼があり、私も講演させていただくことになった。

 講師には東京大学教授・島薗進氏、龍谷大学教授・鍋島直樹、上智大学グリーフケア研究所所長・教授・高木慶子氏を迎え、震災の現地で、避難所で、日々被災者と向きあっている、気仙沼キングスタウン(プロテスタント)施設長の森正義氏、石巻・曹洞宗洞原院住職の小野崎秀通氏を交えて討論を行なった。新たに得た知見は次の通りである。

 深い悲しみから真実の絆と思いやりが生まれる。そこに弔いと心のケアの意義がある。人の悲しみを理解するためのマニュアルは必要ない。相手を理解しようとする気持があればいい。読経、法要を継続してつづけながら、被災地の家族の話を互いに聞きあうことが、少しずつ心を開き、慰めることになる。また、ボランティア活動に際しては、しばしば世間や、同じ組織から誤解や攻撃を受けることがある。そうであってはならない。すべての支援活動を相互に認め合い、尊重しあうことが大切であることを提言した。

 このシンポジウムでは、島薗教授の提言に象徴されるように、「悲しみから生まれる力」の意義を学んだ。そして、伝統的な日本人の死生観、弔いの文化の継承と再創造が大切である。この深い悲しみを縁として、世界や日本が学術的にも、宗教的にも、医療的にも、一つに団結して、困難を乗り越えようとしている。

 この大震災の死の現実を見つめ、乗北の方々との心の交流を遺して学んだことは多い。

 東北の方々は、深い悲しみを通して、絆の深まることを私に教えてくださった。

(鍋島直樹)

Unit 4, Lecture "Roles and Potentialities of Grief Care from the point of view of a Buddhist," at a Symposium "Mind of Prayer: How do Religions Face the Great East Japan Earthquake?"

Symposium "Mind of Prayer: How do Religions Face the Great East Japan Earthquake?"

May 7, 2011, 13:30-18:00

Katahira Sakura Hall, Tohoku University

 

Lecture: Roles and Potentialities of Grief Care from the point of view of a Buddhist

NABESHIMA Naoki (Professor at the Faculty of Letters, Ryukoku University, Director of the CHSR)

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成果概要報告

3月11日東日本大震災以降、東北や東京を中心に、日本を動かす大きな学術的連携や交流のうねりがある。5月7日、東北大学宗教学研究室が本部となり、心の相談室設立記念講演会「祈りの心―東日本大震災に宗教はどう向き合うか―」が開催された。関東や仙台市内の医師やカウンセラーや僧侶たちが約230名集まった。この公開講演会開催に際して、東北大学の鈴木岩弓教授を初めとする先生方から依頼があり、東日本大震災における弔いの意義と心のケアを考えるシンポジウムで、私も講演させていただくことになった。

 講師には東京大学教授・島薗進氏、上智大学グリーフケア研究所所長・教授・高木慶子氏も迎え、震災の現地で日々被災者と向きあっている、気仙沼キングスタウン(プロテスタント)施設長の森正義氏、石巻・曹洞宗洞原院住職の小野﨑秀通氏を交えて討論をおこなった。深い悲しみから真実の絆や思いやりが生まれる。そこに弔いと心のケアの意義がある。島薗教授をはじめとする講師、代表者の視座は、多くの来場者の共感をえた。

  人の悲しみを理解するためのマニュアルは必要ない。相手を理解しようとする気持があればいい。例えば、読経、法要を継続するなかで、被災された方の声に耳を傾けることが、少しずつ心を開き、慰めることにつながる。各宗派の本山で追悼法要を勤めることも、義捐金を集めることも、被災地の住民を受け入れることも、被災地現地に赴いて支援を行うことも、すべてに意味がある。すべての支援活動を相互に認め合い、尊重しあうことが大切であることを提言した。

 このシンポジウムで新たに得た知見は、島薗教授の提言に象徴されるように、「悲しみから生まれる力」の意義である。伝統的な死生観、弔いの文化の継承と再創造が重要な課題であると強く感じた。この深い悲しみを縁として、世界や日本が学術的にも、宗教的にも、医療的にも、一つに団結して、困難を乗り越えようとしている。それこそが未来への希望となるだろう。(鍋島)

Unit4, Special Lecture about our Volunteer Activities in Miyagi Prefecture

Unit4
Date Apr 25, 2011, 10:45-12:15
Place Room 205, Toko Building, Omiya Campus, Ryukoku University
Presenters KAWABATA Masaru, IWATA Syoryo, NISHIIKE mion(Graduate School of Shin Practical Buddhist Studies)
NABESHIMA Naoki (Professor at the Faculty of Letters, Ryukoku University, Director of CHSR)

Coordinator
AKATSU Tsuneyuki (Professor at the Faculty of Letters, Ryukoku University)

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本講演では、東日本大震災の被災地で実際に災害ボランティア活動に携わった5名(1名は文章による報告)の方々に、被災地の現状とボランティア活動の内容についてご報告いただいた。

 川端勝氏のご報告では、最初に、ボランティア活動に参加することへのためらいが語られた。「現地に行って活動することの意味は何か、自己満足や偽善に過ぎないのではないか」、といった葛藤を経て、「考えるよりも現地に行ってみよう」と決心されるに至る過程が丁寧に述べられた。次に、実際に被災地に赴くことで見えてきたことを2つ報告された。一つは、テレビの映像を見ているだけでは感じ取れない現地の風や臭い、音を体験し、荒涼とした風景の中に身を置くことが重要だということである。このような体験が自分自身の中で反芻されることによって、被災という現実に深く関わることができ、息の長い支援活動を続けることができる。もう一つは、ボランティア活動を行ううえで、人と人との関わりが重要だということである。同じくボランディア活動に携わる人々との出会いのなかで、新たな活動が生まれ、支援の輪が広がっていくのである。

 岩田彰亮氏のご報告で最初に語られたのは、ボランティア活動を開始するまでの困難であった。被災地に行くことが迷惑にならないのか、というようなためらいを感じつつも、岩田さんは地震発生直後からボランティア活動の募集の情報をお探しになっていた。多くの人とのつながりの中で、ボランティアの人員が不足している地域を見つけ、被災地へと赴かれた。次に語られたのは、被災地やボランティア活動の現実についてであった。見渡す限り瓦礫の山の南三陸町では、多くの方が知人や親類を失っている。このような現実に言葉が出なかった、と岩田さんは述べられた。最後に、このような活動を通して、改めて生きることの意義を自分自身に問うこととなった、と語られた。

 鍋島直樹(人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター長)、西池深音氏のご報告では、とりわけ二点が印象に残った。ひとつは、被災地の市町村職員、警察官など、被災者のために尽力されている方々が極めて誠実にお仕事をされており、そして本当に疲れている、ということである。このような方々にとって少しでも心の支えになれるよう、継続的に現地に赴いて支援をする必要があると述べられた。もうひとつは、お二人が「現地の子供たちの笑顔で、自分たちが元気をもらった、支える私たちが逆に支えられていた」と述べられたことである。助け合いながら懸命に生きる被災地の方々の姿に、お二人は支え合う人間のあり方を再発見された。

 これらの活動報告は、一人一人が自分にできる支援を考えていくための指針となるだろう。また、この未曾有の事態において仏教・浄土教の立場から実践するということの意義をUNIT4の研究として考える際に、これらの活動報告は重要な示唆を与えるものと思われる。

(RA 古荘)

Unit 4, Special Lecture: "What's Hospice Care and Palliative Care?"

Unit4
Date Apr 26, 2011, 15:00-16:30
Place Room B103, Shofu-kan Building, Omiya Campus, Ryukoku University
Presenters

TSUKIE Noriaki (Doctor, ASOKA Vihāra Clinic)

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 本講演では、ビハーラクリニックで実際に緩和ケアに携わっている月江教昭先生をお招きして、ビハーラケアの理論と実践についてご教授いただいた。ご講演は二つの部分に分かれていた。前半では、ビハーラケアの理論が講義され、後半では、受講者を2,3人のグループに分けてロールプレイを行った。このロールプレイは、医療従事者向けの緩和ケア研修プログラムを月江先生がビハーラ僧養成用にアレンジされたものである。
 まず、前半の講義部分では、緩和ケアの考え方、末期ガンについての基礎知識、スピリチュアリティ・スピリチュアルペイン・スピリチュアルケアという概念の定義、宗教的ケアとスピリチュアルケアとの差異、ビハーラケアの考え方、医療と仏教との関係、等々が講義された。とりわけスピリチュアリティを価値判断の基準となる「拠り所」、スピリチュアルペインを「拠り所の喪失・崩壊に伴う痛み」、スピリチュアルケアを「新たな拠り所の構築の援助・支援」ときわめて簡潔に定義されたことが印象深かった。この定義は日夜ビハーラケアの実践に取り組まれている月江先生だからこそできたものであり、UNIT4の研究の中からはなかなか出てこないものであろう。月江先生から重要なご示唆を頂いた。
 後半では、実際のビハーラケアでしばしば生じる3つのシナリオを題材に、ビハーラ僧の役とケアされる人の訳に分かれてロールプレイを行った。各ロールプレイ終了後にはフィードバックの時間が取られた。この中で月江先生が強調されたのは、ロールプレイがうまくいったかどうかが重要なのではなく、とにかく経験してみることが大切だということである。ロールプレイを行う目的は、"知っていること"と"できること"が違うことであると認識するためであり、決して批判したり責めたりせず、安心して失敗するように、とのご指示があり、受講者も先生の意図を汲んで、積極的にロールプレイに参加されていた。この講演で、UNIT4の理論的な研究だけでは得ることのできない実践の知に触れることができたように思われる。(RA 古荘)

Unit 4, Lecture, Nakamura Hisako and Tannisho: Perspective of Living and Dying, Transcendence

Unit4
Date Jan 13, 2011, 10:45-12:15
Place Room 111, 1st Building of Fukakusa Campus, Ryukoku University
Presenters NABESHIMA Naoki (Professor at the Faculty of Letters, Ryukoku University, Director of the CHSR)

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本講演は、中村久子女史と『歎異抄』―生死観と超越というテーマを設定し、『歎異抄』によって影響された中村久子の一生を三つの時期に分けて紹介した。

 突発性脱疽により3歳で両手足を失った久子が、生死苦悩を超える道を模索していく中で、数多くの宗教の中から仏教に出遇っていった。そして、講演の中では、特に『歎異抄』の教えによって苦悩を引き受け、力強く一生を歩んでいった久子の生き様が紹介された。

 生死の苦悩を越える道の第一期は、脱疽により両手足を失った久子が頼りとしていた実父との死別を経験し、両目失明という苦しみを経験した子供時代から、自立するために見世物小屋で働き始めた20歳頃までの間である。この時期の久子は、ひたむきな努力により、肉体的・精神的な苦痛を乗り越えて自らの力で生き抜く術を身に付けていった。また、書道家沖六鳳氏や座古愛子氏との出遇いもこの時期のことである。

 第二期は、ヘレンケラー女史と出会った翌42歳の時、福永鷲邦氏の勧めにより『歎異抄』と出遇うことで、念仏者として生きる道を確立していく時期である。自らの力で生きる道を切り開いてきた久子の自信は、いつしか傲慢へと変わり、新たな苦しみを生み出していった。そのような中で出遇った『歎異抄』は、久子に多くの事を気づかせていく。現実をすべて引き受けたとき、み仏の慈悲に抱かれ、逆境の中でこそ「いのち」は煌めいていくのである。

 第三期は、親鸞の説く他力の教えに導かれながら、執筆活動・講演活動などを積極的に行っていった時期である。ここでいう他力とは、あることへの感謝である。久子は、自分にはない手足を嘆くのではなく、自分にあるものを見つめ、感謝するようになった。そこで感じた幸せを『ある ある ある』という詩で表している。

 

ある ある ある

 

さわやかな

秋の朝

 

“タオル取ってちょうだい”

“おーい”と答える良人がある

“ハーイ”とゆう娘がおる

 

歯をみがく

義歯の取り外し

かおを洗う

 

短いけれど

指のない

まるい

つよい手が

何でもしてくれる

断端に骨のない

やわらかい腕もある

何でもしてくれる

短い手もある

 

ある ある ある

みんなある

さわやかな

秋の朝

(RA胡)

悲嘆と再生-がんに妻を奪われた専門医-

Unit4
Date 2010年12月12日(日)14:00~16:00 参加費用500円
Place 龍谷大学大阪梅田キャンパス (JR「大阪駅」桜橋出口徒歩4分)
Presenters 垣添忠生さん(国立がんセンター名誉総長)

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