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Research Activities

遺族のセルフヘルプグループ、サポートグループの活動 

Unit4
Date 2011年2月24日(木曜日) 午後3時~午後5時
Place 龍谷大学深草学舎 至心館2階至心館パドマ会議室
Presenters 黒川雅代子
龍谷大学短期大学部准教授 社会福祉学
論文「救急医療における遺族支援のあり方」(龍谷大学論集470号)、
「遺族のセルフヘルプグループの活動」(家族看護4巻2号)など。
遺族会「ミトラ」を設立し、大切な人をなくした分かち合う場を開いている。
ホームページ: http://www.human.ryukoku.ac.jp/~kurokawa/
Participant 共同研究者(学内外)、学内教員

レスポンス
吾勝常行(龍谷大学大学院実践真宗学研究科教授)
鍋島直樹(龍谷大学法学部教授、人間・科学・宗教ORCセンター長)
モデレーター
玉木興慈(龍谷大学短期大学部准教授)

研究目的
UNIT4.仏教と医学・心理学、人間科学を通じた死生観とビハーラ・ケアの研究
第一に、終末期医療や自殺をめぐる死への苦悩を見つめ、仏教、医学、社会福祉学、心理学などの諸科学との協力により、ビハーラ・ケアと死別後のグリーフ・ケアの理論を確立する実践学的研究を行う。第二に、現代における人間の生死の危機とその超越を、聖典や文学作品また心理療法の比喩や物語を通して解明していく。仏典などにみる人間の宗教的救いの物語や事例は、人々にとって人生の羅針盤となり、自己を省みる鑑となるだろう。

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本ワークショップでは、「遺族のセルフヘルプグループ,サポートグループの活動」というテーマのもと発表が行われた。発表者の黒川先生は“大切な家族を亡くした遺族の悲嘆反応”と“セルフヘルプグループ”と二つのセクションに分けて活動の必要性と現状を紹介された。 悲嘆は死別に対する情緒的反応であり,喪失に対する自然で正常な反応である。悲嘆のプロセスに関して、段階モデル、課題モデルと二重過程モデルなどの理論が出されている。悲嘆に伴う心理的,身体的,行動的反応の多くは、正常な反応であるが、しかし、その程度や期間が通常の範囲を超え、精神科的な治療が必要な悲嘆反応「複雑性悲嘆(complicated grief)」も見られる。複雑性悲嘆の特徴については以下の点が挙げられた。

*6ヵ月以上続く強い悲痛感と思慕

*現実と信じられない,喪失を受け止めることが出来ない

*故人に関することへの没頭

*喪失を想起させる事物や場所,状況の回避

*自責と後悔,強い怒り

*日常生活の停滞

*社会的ひきこもり

第二セクションでは、事例をあげ、悲嘆サポート活動の現状と問題を説明なさった。黒川先生は2008年に遺族会「ミトラ」という遺族会を設立し、悲嘆サポートの現場で働かれている。ご自身の経験からサポートの注意点などを説明し、如何にしてより多くの遺族に紹介するかなどの課題を指摘された。

レスポンスでは、吾勝先生と鍋島先生が西洋との比較や仏教の死生観との関係など異なる視点からコメントを述べられた。

<吾勝レスポンス>

 お寺においては伝統的な仏事の中で、例えば年忌、法事の流れの中でグリーフケアがなされてきたけれども、辛さ、痛みを分かち合う人がいなく、グリーフケアが足りない状況からみるとお寺だけではなく遺族会のようなサポートする場は非常に重要である。

 遺族会において安心して話せることが大事であるため、守秘義務の実行など運営上の措置に関心を示した。

<鍋島レスポンス>

黒川先生の研究は、救急救命の看護師時代から大学教員にいたる長い年月の中で、さまざまな死別の悲しみを見つめ、死別悲嘆に寄り添い、悲しみから立ち直る道筋を考えつづけたすばらしい研究である。

1.黒川先生の研究は、現代の日本において、死別の悲しみに沈む人々の現実を見つめている。特に家族などの絆の薄い人たち、一人ひとりの悲しみに寄り添っているところに深く学ぶべきところがある。

2.西洋のグリーフケアの姿勢は、死別悲嘆の症状を分析、評価して対応する。

仏教における慈悲の姿勢は、悲しみに沈む人を分析し、ケアするというよりも、分析を必要としない愛情である。長い年月をかけて、相手のそばにいる。仏壇に手を合わせることを通して、亡き人の思いを受けとり、自らの行くべき道を知る。仏教において、死は終わりではなく、仏になることであり、亡くなった人から受けた愛情を、死別後に深く気づいて、自らが生きていくことである。
 3.黒川先生の最後に提示した四つの点は、悲しみを理解し、それを超える道について指し示したものであり、いろんな角度から学ぶことができる。

黒川先生は、グリーフとは、単に悲嘆だけを意味するものではなく、悲嘆に伴う怒り、罪責感、感謝など言い尽くせない思いをも含んだ言葉であると紹介された。グリーフケアと呼ぶよりも、ビリーブメント・ケア(Bereavement Care 死別悲嘆ケア)と呼ぶ方が国際的であると提言した。多くの人々のさまざまな死別悲嘆に寄り添う際に、ケアする側が燃え尽きてしまわないのだろうかという質問があった。その質問に対して、黒川先生は、「私は死別悲嘆に暮れている人たちから、愛の物語をもらっている。私の力で相手を支えようとするのではない」と応えた。黒川先生は、かけがえのない一人ひとりの悲しみに、深い愛情を感じ取っていることを知り感動した。

最後に、モデレイターの玉木先生は、無縁社会と呼ばれる現代の日本において、黒川先生の研究は、日本社会から必要とされている重要な研究であり、長い歴史のある仏教との架け橋となってほしいと応援のメッセージを送った。  (RA 胡)

華厳における死生観ー華厳諸師の往生を通してー

Unit3
Date 2011年1月14日(金) 17:00~19:00
Place 大宮学舎清風館301共同研究室
Presenters 龍谷大学 経済学部教授 藤丸要先生

本ワークショップは、研究員のみで行います。一般・学生の方は参加できません。

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本ワークショップでは、「華厳における死生観―華厳諸師の往生を通して―」というテーマのもと発表が行われた。華厳教学の特徴は、教学の中心思想である事事無礙法界の法界縁起思想を「一心(唯心)」の上に説くところにある。このことは一心法界(一真法界)と呼ばれる理由ともなるが、その「一心」において語られる「死生観」が如何なるものであるかを本発表では探っていった。発表では、まず一心(唯心)についての基本的な華厳の教学的立場を考察し、その上で華厳諸師の往生を概観しながら、華厳における死生観を窺っていった。

 『華厳経(六十華厳)』巻十「夜摩天宮菩薩説偈品」説示の「唯心偈(如心偈)」(T9・465c-466a)や、『華厳経(六十華厳)』巻二十五「十地品」第六現前地に説示される「三界虚妄 但是一心作」(T9・558c)のように、『華厳経』には諸処に唯心的思想が散説されている。そして、

  統ぶれば唯だ一真法界なり。総じて万有を該ねるは、謂く是れ一心なり。(T45・684b 宗密『注華厳法界観門』)

とあるように、一真法界が全体を貫くテーマとして述べられ、具体的には事法界・理法界・事理無礙法界・事事無礙法界の四種法界として説かれていく。この一真法界―四種法界が華厳教学の中心となる。

 唯心思想を端的に示すものとして諸観法が挙げられるが、その中、最も大事なものとして「三聖円融観」や「十重唯識観」がある。三聖円融観とは、文殊の信仰と智慧、普賢の真理と修行の両者が一体となったところを毘盧遮那と名づけ、これらが互いに円融する道理を一念の心の中に観じていく法である。また、心に約して万教を尽くすとされる十重唯識観とは、すべての法が心(唯識)の現れであるということを十重の次第で説いたもので、一念の心が起こるならば、十重の唯識を具足し、十玄門を具足すると説かれる。どちらの観法もつまるところは、一切存在が一心(唯識)の現れに他ならないことを明かすものでる。

 以上のような華厳教学の基本的立場を押さえつつ、華厳諸師における往生の様子を窺っていった。取り上げられた諸師は、中国から至相大師智厳(602-668)、見真大師法蔵(643-712)、日本から明恵上人高弁(1173-1232)、実相坊円照(1221-1277)、示観房凝然(1240-1321)である。往生の様子については、華厳諸師でありながらも西方浄土を願生し蓮華蔵世界を目指す者、臨終間際に弥勒の文を誦す者、身は律・宗は三論・証は真言・後生は西方浄土の立場を示す者などさまざまで、華厳諸師における臨終の様子が一様ではないことが明かされた。一様でない理由について藤丸先生は次のように指摘される。華厳思想が究極的な世界のあり方を一心(唯心)の面から探求して「生死一如」を明確にしていく営みであったため、真実と衆生との関係性が追及の対象とはされなくなってしまった。そのため迷いの現実に目覚めて悟りへの道を歩むという仏教本来の姿が不明瞭になってしまったのではないか。結果、密教・禅・真言・浄土思想などと結びつきながら実践的側面を補強していくことになったと指摘された。

 発表の最後に藤丸先生は、華厳経における死生観について、華厳経が「一心法界」を明かす教えであるため、死と生という相対的概念に関する明確な態度を見て取ることができないと述べられた。その上で、今後この問題に関しては、新たなアプローチの仕方で研究を進めなければならないと指摘された。

 

【新たに得られた知見】

本研究会において得られた新たな知見として以下の3つを挙げておく。

①華厳経における生死観を探求する場合のアプローチの仕方について、新たな方法論を模索する必要がある。例えば、華厳教学そのものに死生観の回答を求めるのではなく、華厳思想が受用されていく当時の一般的死生観からのアプローチ、また華厳思想とそれにまつわる密教・禅・浄土思想などとの比較研究などが考えられる。

②華厳における生死観について諸師の伝記類を用いる場合、死の様相が飾り立てられて記されているそれら資料を如何に取り扱うべきかが問題となる。

③実践面を補強するために華厳諸師は真言、禅、浄土思想などを取り入れていく。個人個人がそれぞれの信仰で行っていった華厳密教、華厳禅、華厳浄土教などはいかなる思想内容を持っているのかが再確認されなければならない。「一心法界」という縁起の世界観を学びながらも個人的信仰において往生実践行を行っていった、その華厳の立場と個人的信仰との比較考が必要である。

 以上のような研究を通して、華厳思想が生死の苦悩を超える道をどのように明らかにしたのかについて、さらに学びを深めていかなければならない。(RA北岑大至)

「死生観と超越」研究の展望

Unit2
Date 2011年1月13日(木)
Place 大宮学舎西黌2F 大会議室

第1部(15:00~16:30)

a) アルネ・ネスの仏教観―ディープ・エコロジーの提唱者と仏教思想―
   本多真氏(人間・科学・宗教ORC、RA、国際文化学)

b) 明治期における真宗教団成立の諸相
   北岑大至氏(人間・科学・宗教ORC、RA、真宗学)

c) 近代日本における仏教青年運動の国際化―浄土真宗本願寺派の学校を中心に―
   岩田真美氏(龍谷大学非常勤講師、真宗学)

第2部(17:00~18:30)

「肉食と仏教-仏教と神祇信仰との中世的対話-」

講師 リサ・グランバック氏(IBS助教授)

コメンテータ 釋徹宗氏(相愛大学教授)

 


龍谷大学仏教文化研究所・共同研究「<仏教>思想の対話的研究」グループ
人間・科学・宗教 ORC「死生観と超越 ─仏教と諸科学の学際的研究」共催

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 グランバック先生のご発表は、仏教においてそもそも肉食を禁じる「教え」はなく、むしろそれぞれの地域にある土着の考えとの総和や権力者の判断によって、仏教における「肉食」のイメージが出来上がったものだということを、教義と現象の双方の側面をおさえながら文化的・歴史的背景をこぼすことなく見ていかれるという壮大かつ緻密なご発表であった。

 

 1980年代以前の研究では、仏教の教えの中に仏教の肉食に関する「原理」があると考えた。そこで特にテーマ化されたのが「アヒンサ(不殺生)」についてであった。しかし、仏教の教えにそのような「原理」があるとして探求しても、仏教の教えが原理的に肉食を否定するということは判明しなかった。こうした研究はとかく、「原理」に着目した視点であったということであるが、その「原理」というイメージは、現象的な側面への視野を失っていた。また日本では肉食は、「殺す」と「食べる」ことが問題化するようになっていた。こうした基礎研究の中で、グランバック先生の視点は、農耕、狩猟の中から、肉食を考えるという、文化的で歴史的なものであった。


 広く仏教では、「肉食」「性」「酒」は、当然のように「否定の対象」としてそれなりの根拠が与えられている。しかし先生は、文化的、歴史的にみれば、それら三つの否定材料は、教義的根拠とは異なる理由によって生起してきたという。そこで先生は宗教儀礼と宗教的価値に注目された。農耕儀礼において、「肉」の供物、さらに竹などを使った「性(繁殖力)」の儀式、さらにはそれらが終了したあとの「酒」の宴が、三つセットになっているという事例を、ヴェトナムやインドネシアなど東南アジアに現存する農耕文化として写真などを使って紹介された。また日本の諏訪大社での儀礼も、それとの親密性が窺える。日本でも例外なく東南アジアでの儀礼との類似性があるということである。


 また歴史資料にも目を向けられた。もともとは仏教は肉食は否定することがないと仰る先生は、たとえば、上座部仏教では、僧侶も信者も肉を食べるし、中国に入った大乗仏教は、一見すると肉に対する見方が異なったものであるが、実際には中国では、道教や儒教の影響から、基本的に儀礼での肉は否定視されてきた。それが中国の仏教の肉食否定へ影響を及ぼしたことは否めないであろう。
 

 また、多くの学者は『日本書紀』の記述をもとに675年から以来日本ではずっと肉食を否定してきたと考えてきた。つまり、狩猟も魚も禁止されている旨の記述、あるいは期間限定の狩猟禁止が記されているという限定的な記述を『日本書記』を「原理」として、日本の食文化像を構築してきた。しかし、 この説は1990年代以降にはそれなりの反論を受け、現在では歴史的な肉食の実態は多様であったと考えられている。


 他にも、6世紀での中国で行なわれた肉食禁止の例、これは政治的判断として権力者が肉食を反対したことでった。この事例は、宗教の原理的な根拠にまで遡って肉食否定を考えることができないとうことや、日本でも政治的な支配の形として、あたかも仏教では肉食を原理的に否定するという根拠を持ち上げ、肉食否定を一般論として合理化してきたという歴史的資料を紹介された。
 このように肉食と仏教の関係は、異なった角度から見てみると、仏教の教義に原理的な根拠を見出すというアプローチよりも、地域に存在した生活様式が、仏教と融合して規則化したということが明らかになるという、グランバック先生のご発表の内容であった。

 


 新たに得られた知見としては、仏教における肉食について、一般的な考えしか持ち合わせていたなかった私にとって、お聞きすることが新しいことばかりであった。肉食の原理的な探求を宗教教義に求めるということが当然だと思いながらも、他方でその土地、風土に存在した慣習を見落としてはならないことを思い知らされた。単純に考えても、仏教が大乗と上座部に分裂し、双方が多様な文化として世界各国に根付いていることを考えれば、それぞれの地域において宗教が原理的に果たした役割に着目すると同時に、それぞれの地域に従来から現存した文化基盤に着目せざるをえないということになるのは当然だといえる。広い振り幅をもったご発表に、勉強になることが多かった。(RA 本多真)

「死生観と超越」研究の展望

Unit2
Date 2010年12月9日(木)17:00~19:00
Place 深草学舎至心館パドマ大会議室
Presenters 四戸潤弥氏(同志社大学教授、イスラム学)「1939年の宗教団体法成立前後に見る日本における破邪論の系譜としてのイスラーム認識-原正男『日本精神と回教』を手掛かりとしてー」
中村信博氏(同志社女子大学、キリスト教神学)「キリスト教における死・生・復活-葬送儀礼から考える-」

龍谷大学仏教文化研究所・共同研究「<仏教>思想の対話的研究」グループ
人間・科学・宗教 ORC「死生観と超越 ─仏教と諸科学の学際的研究」共催

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*四戸潤弥氏「1939年の宗教団体法成立前後に見る日本における破邪論の系譜としてのイスラーム認識-原正男『日本精神と回教』を手掛かりとしてー」

 

 日本におけるイスラームは現在、混乱した状況に陥っているため、研究者の中からそういった状況を整理する必要性があるとと叫ばれている。そこで、分類の基準が必要となってくるわけであるが、この発表で四戸潤先生は、1939年の宗教団体法成立前後に見られる日本におけるキリスト教系譜の中の破邪論としてイスラームが認識されているという考えを紹介され、日本における今後のイスラム研究の分類法を提案された。

 

 まず、日本のイスラーム研究状況の現状について言及された。日本のイスラーム研究は、「信徒たちの中から学者が育って研究されたことがない」という極めて特異な状況がある。たとえばキリスト教では、学者が育ち、つまりは「学」というものが存在して、その周辺に人が集まるという状況が既に存在した。しかし、イスラームは、信者ではない人の中に信者が入ろうとすると、はじき出されるという形が続いている状況が今なお残っている。ここにはイスラーム教学の翻訳の問題が背景にある。イスラームの字義どおりの日本語訳は極めて少ない。それに増して、預言者の言行録が言葉の学問的位置づけがなされないままに、翻訳がなされているなどの理由があげられる。
 また、日本のイスラームへの関心は、アメリカ絡みになっている。アメリカにおけるイスラムということが基礎にあって、そこから派生した問題を日本で取り扱っている。すなわち、基準なきイスラーム論の状況をここから窺うことができるのである。

 

 続いて発表では、破邪論についての話題へと移行した。破邪論とは、仏教とキリスト教の比較ではなく、極めて政治的なものであるという認識のもと、破邪論の本質は、撲滅論ではなく、防衛的なもの、方便的ななものであり、つまりは、当時開国を迫られたときに出てきた、国の政治的立場であり、教義論とは異なったものであるといえる。江戸末期、回教は破邪論という分野では、まったく論じられてこなかった。その背景には破邪論は儒家が中心であり、儒教の破邪論は、回教ではなく、キリスト教対抗を打ち出されてもので、そこで語られたキリスト教への対抗姿勢は、教義論とはかけ離れた、いわば一種の「恐怖」から出た論じかたの一つであった。そのため、破邪論とは、決してキリスト教を廃絶する動きではなかった。たとえば、安積艮斎はそのような論じかたをしている。
 また、当時、イスラームについては、宗教団体法の前後に、イスラームを公的宗教に認めて欲しいという動きがあった。国会議員にも働きかけがあり、また当時のアジア主義者の間で「大日本回教協会」を作るという話があったが、結果的にイスラームが公的宗教に入ることはなく、「その他」の宗教に入ることとなった。ただ、それが、日本においてイスラームが初めて認知された歴史上の押さえになる。だから、いつ日本がイスラームを知ったかといえば、それはこの時になるといえる。研究者の方向性として、ここをおさえておくと一つの手掛かりとなる。


 

 

 新たに得た知見は、イスラーム研究に造詣のない者としては、日本におけるイスラームの現状がアメリカ中心に推移していることなどは、理解することができた。また、日本でのイスラームの基礎認識が、とかくステレオタイプとしてインプットされているという印象を受けた。というのも、現在のイスラーム文化圏の状況がメディアなどの一方的な情報だけを頼りに知識化しているからである。そこには、イスラームそのものが抱える歴史性や、民俗性、国際性、あるいは教義的な議論は存在せず、よってイスラーム認識そのものが、非常に希薄なものとなっている現状がある。他にも、1939年の宗教団体法でイスラームが「その他」であれ、宗教として宗教団体に入ったことなど、新しく知ることばかりであった。

 

 

 

*中村信博氏(同志社女子大学、キリスト教神学)「キリスト教における死・生・復活-葬送儀礼から考える-」

 

 本ワークショップで中村先生は、日本においてキリスト教がどのように理解されているかということを、葬儀儀礼から捉えなおし、さらには、現場との折り合いのなかで、日本人がどのように宗教を理解しているか、というテーマを掲げられた。どこまでがキリスト教の葬儀なのか、そしてどこまでが日本社会に受け入れられるキリスト教なのか、ということも含めた、問題提起そのものが全体的なテーマとなった。以下、発表の論点をまとめたい。


・キリスト教の実践の現場では葬儀は通過儀礼として理解されてきた。神学的議論と現場で、一般の方が捉える死生観の径庭に注目したとき、キリスト教の死生観は、現場からそう遠くない所にあるのではないかということがいえる。


・キリスト教とはどういう宗教か、その問いによって「限定されるキリスト教」から離れた、臨床的、実践的な側面から、キリスト教の死生観を探ってみたい。特に、現代の日本社会におけるキリスト教というところに本発表での問題意識がある。


・「葬式無用論」、これは消費者の立場からのインパクトの強さを伺い知ることができる。これまで比較的タブー視されてきたことが、表出し、社会的に議論されるようになってきた、ということがいえる。葬儀の形骸化への疑問、世間体のために高すぎる葬儀は必要ないといった議論がある。一方で「葬儀は必要」という立場もある。「葬式無用論」に対して、具体的には、御布施価格の設定には、日本仏教会が反対意見を出した。キリスト教教会における御礼は、教会によって異なるが、日本仏教の影響か、現在はキリスト教でも聖職者に対する御礼は高騰しているという話もあるようである。


・日本人の死生観では、新聞の社会調査で36%の人が、葬儀は「しなくてよい」と答えている。また、多くの方が葬儀は「家族に任せる」と答えている。この連続性を読み取ってみると、日本人の死生観は現在、「親しい家族に迷惑を掛けずに死んでいきたい」というところに移行しつつある。そうなれば、「葬儀は親しい家族に迷惑を掛けると認識されているならば、葬儀とはいったい何だったのか」ということがそれぞれの宗教の現場で考えていくことが必要になってくる。もうひとつ、何らか特定の宗教的形式にしてほしいという質問にしては、結果は半分半分になっている。宗教色が何を意味しているのかわからないが、宗教が遠ざけられているわけではないということが窺える。「あなたには葬儀に際して相談できる聖職者がいますか」という人は、全体の39%。宗教者の存在が社会に浸透してきているということだということも窺える。


・キリスト教の葬儀は本来、教会が主体になって取りおこなわれる。しかし、日本では「葬儀が教会において個人の事柄である」という、極めて日本的な考えに基づいた執行がなされている。また、日本では、前夜式というものがあるが、仏教に習って、お通夜と呼んでいる。他にも、法事やお焼香といったものもある。こうした日本的葬儀の傾向は、プロテスタントよりもカトリックの方が受け入れ体制にあるように思われる。

 

 最後に先生が述べられたのは、グリーフ・ワークとしての葬儀の再構築についてであった。

 

 葬儀がわたしにとっての死生観を考える機会を与えてくれた。悲しみに包まれた人に、わたしがどのように接することができるのか、ということを考えてきた。わたしは、グリーフ・ワーク、グリーフ・ケアから、キリスト教の葬儀を組み立てなおすという試みがあってもよいのではないかと考えている。
 福音書の文学類型を決定づけているのが「復活」というキーテーマ。近代では歴史的イエスばかりに注目が注がれてきたが、最近では「復活」という視点から聖書を読みなおす試みが盛んになっている。そこから読み解くと、人生をもう一度やりなす、イエスの歩みに従って、意識を改めてやりなおすという意味が見えてくる。あくまで意識の問題、内的な問題だといえる。キリスト教の葬儀とは、まさにそのようにあるべきもので、「復活したイエスに愛する家族をゆだねることを通して、近親者は復活したイエスとともに自覚して歩んでいく」ということを大事にしていく仕組み、教育的なプロセスである。

 

 そのうえで先生は実際のケースを紹介された。三十数年間、お世話になっていた教会の牧師が亡くなられた折に、任された葬儀の事例を紹介された。自分がすべきか思い悩んで引き受けた葬儀の儀礼の事例紹介であった。

 


 新たに得た知見としては、新聞調査によって明らかになった「葬儀は親しい家族に迷惑を掛ける」という危惧を持つ人の多さについてである。「迷惑を掛けずに死んでいきたい」とはどういうことか。「私は一人で生きている」と「錯覚」させ、さらには人生の最期、さらにはその先まで一人で「決定」できるという、いわば「想定の範囲に全てを纏めこむ」、そのような文明の威力に、思わず考え込まざるをえなかった。というのも、冷静に考えてば、わたしたちは生まれてからこの方、一人で歩めんできたことなどないのに、あたかもそのように「錯覚」させる原因とは、一体何であるのか。よくよく考えてみれば、わたしたちは、一方ではそのように望んでいるという自分の本心にたどりつくことができる。しかし、それが表出する背後に潜むものに、考えが及ばざるをえない。(RA 本多真)

ビハーラ活動の独自性-浄土教における死と大悲-

Unit4
Date 2010年11月26日(金)
Place 深草学舎至心館パドマ大会議室


第1部(15:00~15:30)

テーマ 被爆者の死生観と願いに学ぶ


第2部(15:45~17:00)

テーマ ビハーラ活動の独自性-浄土教における死と大悲

モデレイター 玉木興慈氏(龍谷大学短期大学部准教授・CHSRユニット4副代表)

発表者 鍋島直樹氏(龍谷大学法学部教授・CHSRセンター長)

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 本ワークショップでは、ホスピスとビハーラ活動の共通性と独自性の解明、あわせて浄土教を背景とする看取りの姿勢について発表が行われた。

 仏教を背景とするビハーラ・ケアには、「阿弥陀仏の大悲に相手も自己もいだかれている」という縁起思想、同朋精神に基づくところに特徴があると指摘され、親鸞における死と救いとして、1、師、自分を理解してくれる人にめぐりあうこと、2、往生浄土、具会一處、3、亡き人は仏となる、亡き人はあなたを真実に導く、4、浄土に生まれて仏となり、この世界に還って人々を導く、5、いま、ここにおける仏の救いの確立(摂取不捨)、6、死を受け入れられない人を、そのままで仏は抱きしめる、7、死に様の美醜をことさらに問題にしない、の7点が提示された。 

 これらの諸点を踏まえた上で、仏教の精神性に基づく看取りの姿勢として以下の9点が提示された。

  1.  真実を共有する
  2.  全人的な痛みを緩和する
  3.  「生の完遂」を援助する
  4.  死の縁は無量であり、死の姿の善悪を問わない
  5.  そばにいること
  6.  安心して悩める
  7.  患者の心に学ぶ
  8.  念仏を称える
  9.  死別後の遺族の悲しみに長期間寄り添う

 質疑応答では、発表を踏まえて活発な議論が行われ、諸々の論点が提出された。この論点を、新たな知見として提示する。

 第一に、ホスピスとビハーラの共通性・独自性という点から、親鸞、或いは浄土真宗における宗派性・特殊性をいかに打ち出すか、同時にその中で一般性をもたすにはどのような言葉が選ばれるべきか、といった一般と特殊という問題が指摘された。

 第二に、日本における活動である限り、西洋の理論を持ち込み日本で応用するには限界があるのではないかという問題提起から、日本独自の理論の必要性、及び、これまで仏教の実践活動の一つであった法事や葬儀といった儀礼を再度捉えなおす必要があるのではないか、と指摘された。これはグリーフケアと関わる問題として議論された。

 第三に、インドから日本に展開してきた大乗仏教はそもそも「利他」を説く仏教である、ということを前提にして、では、いかなる行が「利他」であるといいうるのか、本当に「利他」するとはいかなることか、という問題が指摘された。これは、「利他」が六波羅密の第一の行とされることと関連した、教義と実践の問題として議論された。

 第四に、仏教における「共生」、或いは、浄土真宗で語る「不請之友」とは、阿弥陀如来を介在させた中で論じられるべきものだと指摘された。「私」と「あなた」と「阿弥陀如来」という関係性を指摘するものであった。(PD岡崎)

道教の死生観-仏教との関わりから-

Unit3
Date 2010年11月4日(木) 17:00~19:00
Place 大宮学舎清風館301共同研究室
Presenters 龍谷大学 文学部教授 都築晶子先生

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本ワークショップでは、「道教の死生観―仏教徒の関わりから―」というテーマのもと発表が行われた。発表では、中国への仏教流入に伴い付随してきた輪廻転生、因果応報説を主題としながら、それらの説が道教の死生観の中でどのように受容されていったのかが解明された。

 まず初めに、道教に関する基本的な説明が行われた。4世紀頃の東晋時代にまとめられた神仙術のテキストである『抱朴子』に関係する人々の間で、上清派道教と霊宝派道教が誕生していったという。今日我々が道教という場合にはこの二派を指している。上清派も仏教思想に影響されながら諸経典を成立させていくが、特に霊宝派の扱う諸経典は「仏教と道教の混淆物」と呼ばれるように密接な関係が指摘されている。

 初期道教においては、死を経過して仙人へと生まれ変わっていく「尸解」という思想の中で、さらに死後の世界観の変化に伴い人間界と仙界の間に設定された魂を浄化(錬成)する世界(太陰、南宮等)に関わる中で、すなわち救済(「度人」)の道筋が語られていく過程において「死」の概念や業報輪廻説が取り扱われてくるという。仏教と道教における業報輪廻の相違は、仏教においては、あくまでも個人に関わる問題として業報輪廻思想が取り扱われるのに対して、道教においては、中国的な家単位の思想の上で、祖先の救済(「家単位の救済」)ということも含意しながら受容されていったと説明された。

 質疑応答では、発表を踏まえながら活発な議論が行われ、いくつかの論点が明らかとなった。以下に新たな知見としてまとめておく。

第一に、仏教の輪廻思想を受容しながらも道教経典では、「輪廻」、「転生」という言葉があまり登場せず「更生」、「生死」などの言葉で表現される。中国の翻訳・訳語研究の中で「輪廻」という言葉がどのように変遷しているのか問題となった。

第二に、道教が成立していった4世紀頃、仏教界においても『大阿弥陀経』などの諸経典が成立している。「輪廻」「業報」など以外に、道教と仏教がどのように関係していったのか問題とされた。

第三に、人界と仙界の間に設けられた世界において塵や垢を落とし清浄化させることで、仙人への道筋をつけるという「錬成」という考え方がついて問題になった。もし塵や垢を落として清浄になれるのであれば、本来的に人間は清いものとして考えられているのか。人間の本来浄不浄が議論された。

第四に、道教などにみられる「回向」という概念は、自らの善行功徳を個人および祖先に振り向けていくという内容として説かれている。仏教の「回向」の概念とどのように異なるのか問題としてあげられた。

(RA北岑大至)

 

「死生観と超越」研究の展望

Unit2
Date 2010年11月1日(月)17:00~18:30
Place 龍谷大学 大宮学舎 清風館B102教室
Presenters 奥山直司氏(高野山大学教授、仏教学)「南方熊楠と仏教者の交流」
岡崎秀麿氏(人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センターPD、真宗学)「須弥山論争とその後-浄土真宗本願寺派に注目して-」

龍谷大学仏教文化研究所・共同研究「<仏教>思想の対話的研究」グループ
人間・科学・宗教 ORC「死生観と超越 ──仏教と諸科学の学際的研究」共催

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 本ワークショップは、奥山直司先生による、南方熊楠と仏教者の交流についてのご発表であった。熊楠の思想に影響を与えた仏教者、あるいは、熊楠が仏教をどのように捉え、仏教思想を自らの思想へどのように取り入れたのか、資料を追いながらご紹介された。

 ご発表の冒頭で、2010年に出版された『南方熊楠土宜法龍往復書簡』について言及された。高山寺で43通の書簡が発見された。これは、この寺の住職であった土宜法龍へ熊楠が当てた書簡である。従来の数が29通であったことを考えれば、これは相当な数だといえる。

 熊楠と接点のあった仏教者として先生は、白貫勧善、土宜法龍、渡辺龍聖、妻木直良(本派の学僧・真宗全書の編集主任)、水原尭栄(高野山の僧侶)を紹介された。まず、幼少期の熊楠の脳裏に刻まれた人物として、白貫勧善(真言僧)がいる。南方家はここの檀家で、熊楠の父はこの寺の世話をしていた。

 また、熊楠は生涯、出家することはなかったが、科学主義的な立場から仏教をみていた。それは維摩居士のようでもあった。アメリカでは、渡辺龍聖(アナーバー時代の友人。高田派の寺の息子・帰国後は教育畑で活躍)と出会い、熊楠は「与龍聖法印書」を記し、その中で彼から学んだ仏教論を記している。また、この書物で熊楠は大乗仏教起源論について触れている。他にも、ネパールの旧法や、熊楠が英文を介して仏教をまず学んだということがここで記されている。他にも、先生によれば、意外に熊楠はサンスクリットを知っていたということが、この資料から窺えるという。ただ、訳語が明晰でない部分も多い、という印象を受けるとも仰った。「与龍聖法印書」では、Handbook of Chinese Buddhism(語彙集・サンスクリットと漢文の)をかなり綿密に使い込んでいるということが窺え、本書の後半で熊楠は、「大乗も非仏説だけれども、小乗も非仏説だ」と述べており、当時の日本では新しい主張であったかもしれないが、一方でMonier WilliamのBuddhismなどにはそうした指摘は既にみられると述べられた。

 ご発表の中で特に強調されたのが、熊楠と土宜法龍との接触についてである。この接触が熊楠にとって大きな思想展開であった。1893年10月30日、ロンドンで熊楠は法龍と出会い、意気投合した。法龍はパリに移動したのち、二人の書簡のやりとりが始まった。29年間、およそ250通ほどの書簡のやりとりがあったと思われる。法龍宛熊楠書簡は約70通、熊楠宛法龍書簡は80通が確認されている。熊楠は法龍に思想を対峙させ、時には罵ったりしていたことからも、法龍が熊楠の思想に大きな影響を与えたことが窺える。また、熊楠は法龍との書簡のやり取りで、再び、大乗非仏説について論じている。熊楠は最初、「与龍聖法印書」の同じ主張を論じていた。しかし、法龍との接触でじょじょに考えが変わってきたという。熊楠は、大乗仏教を個人(釈尊や竜樹)を超えた存在として捉えようとするようになる。大乗の流れを複雑なレースのようにとらえ、その結び目の一つに釈尊を位置づけ、釈迦の位置づけがじょじょに低くなってくるようすが彼の思想を追うごとに強まるようになる。逆にいえば、熊楠は、大乗仏教を一つの「流れ」として理解し、その流れの中に、釈迦や著名な僧侶を位置づけているということ、すなわち、釈尊を徹底的に相対化した「ハイパー大乗」というものを構想しているのではないかと先生は仰った。

 他にも、熊楠は基本的には科学主義の立場にたっていたが、では、そのうえで仏教をどのように捉えたのかということが疑問である。ここで熊楠は、仏教は積極的に科学を取り入れるべきだと主張した。その裏にはキリスト教に対する反発がある。科学的発見、エネルギー不滅の法則や、進化論、万有引力の法則は、既に仏教にあると熊楠はいう。なぜ、仏教を高く評価するといえば、それは「因果」「輪廻」という立場を取るからであり、これは科学的に論理的な説得性を持つという裏打ちによる。ただ、科学の中に仏教を包摂するのではなく、仏教の中に科学が包摂されると熊楠は考えている。また、熊楠は標本をでもって、合理的に理解できるもの(科学)を自由に仏説から取ろうという演繹的な視点を展開した。標本でもって、因果の法則に裏打ちされた業の発動が具体的に見れるか、ということに彼は関心があった。彼の生物学の実態調査には、背後に合理性の限界を超越した因果の法則が想起されていたといえる。


 しかし先生はキリスト教に対して、厳しかった熊楠が、決して仏教に甘かったわけではないということもおさえられた。仏教の因果論に関心を示した熊楠は、バラモン教的世界観に興味を持っており、自らを「梵教(バラモン教)」と論じることがあったが、これは法龍に出会った頃の熊楠像からも確認することができるものである。熊楠は、一大理体から精神と物質が流出する、という彼独自のブラフマン理解を展開し、因果の法則を図式化したものを書き記した入りしている。他にも、彼は仏教に傾聴しつつも、日本界、特に僧侶に対する批判意識は旺盛であった。

 最後に先生は、「南方マンダラ」には、多年にわたる熊楠の科学的、哲学的なアイデアが統合されていると述べられた。真言密教のマンダラに、西洋近代科学の限界を超える広大で奥深い世界を熊楠はみていたという。さらに、これを現代の実用公益に役立てることが彼の望みであったと思われる。このような思想的な頂点を極める「南方マンダラ」も、法龍とのやりとりの中で生み出されたものだといえる。

 

 

<新たに得られた知見>
 科学者としての熊楠の背景にあるものが、「因果の法則に裏打ちされた業の発動が具体的に見る」ことというのは、これまでの熊楠像ではあまり強調されてこなかったことであったように思う。逆に、もし熊楠の生物学的実態調査がそのような主張を背景にするものであったとすれば、彼は常に大きな大乗の「流れ」の中の布石として、森羅万象を理解していたということになる。その土俵で考えれば、仏教者を罵り、釈尊の存在さえも相対化する彼の態度には、一種の一貫性があるように思われる。それは「「法」の真ん中ではすべてが絶対的ではない」「ただ、具体化された事象の中に「法」は顕現する」というものであろう。時に彼が破天荒と呼ばれる理由の一端を、窺い知ることができた。(RA本多真)

ビハーラ活動のいまとこれからを考える

Unit4
Date 2010年10月30日(土)
Place 本願寺宮崎別院
Presenters 市原美穂(NPO法人 ホームホスピス宮崎理事長)
藤澤克己(安楽寺住職、自殺対策に取り組む僧侶の会)
栗田正弘(医師)
鍋島直樹(龍谷大学教授・CHSRセンター長)

【開催趣旨】
仏教は老病死という人間の抱える根本的苦悩を解決するところにその出発点があ
ります。ビハーラ活動とは、老病死に直面して、不安を抱き苦しむ人々に向き合い、その関わり合いの中で、いのちの尊さを見つめ、守りつづけていくところにその意義があります。しかも、現代社会を生きる人々の苦しみには、老病死だけでなく、無縁社会、無縁死、孤独死という言葉に示されるように、孤立する寂しさもあります。さらに、自死という現実もつづいています。そこで、このシンポジウムでは、ホームホスピスや病院における看取りに携わる医師と医療関係者、自死問題にとりくむ僧侶の臨床実践に学び、ビハーラ活動の未来を考えます。

主催:ビハーラ宮崎  
協力:龍谷大学 人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター

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【成果報告】
「ビハーラ活動のいまとこれからを考える」というテーマのもと、宮崎市でシンポジウムが開催された。参加者は、九州各地から集まり、135名であった。このシンポジウムの企画推進は、紫雲氏(ビハーラ宮崎代表、担当教区)、水谷氏(第五連区ビハーラ代表)、弘中氏(ビハーラ宮崎元代表、橘保育園園長、橘デイサービスセンター所長)らによる。長年ビハーラ活動に取り組む医師、看護師、僧侶との連携によって実現した。10月29日に打ち合わせを行い、30日午前中にシンポジウム、午後に基調講演を鍋島が行った。主催:ビハーラ宮崎、協力:人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センターであった。
シンポジウムは、次の3名により発表が行われた。


10:00-12:30(1名25分発表。会場との意見交換)
市原美穂(NPO法人ホームホスピス宮崎理事長)
「高齢者を介護すること、看取ること」、
藤澤克己(東京安楽寺住職・自殺対策に取り組む僧侶の会代表)
「自死の問題にどう取り組むか」、
栗田正弘(医師・称専寺副住職)
「スピリチュアルケア―医師と僧侶のかかわり」
鍋島直樹(龍谷大学教授)コーディネーター&レスポンス

市原氏からは、ホスピスにも入れない、一人暮らしが困難になった高齢者、認知症の人たちを「かあさんの家」施設であたたかく受け入れ、家族のように地域の中で安心して暮らせる取り組みが紹介された。「かあさんの家」は、口腔ケアに力を入れ、口から食べられるように援助し、ケアカンファレンスを施設利用者のそばで行い、本人の気持ちに寄り添い、日々の気づきを互いに伝えることが尊重されている。母さんの家は、甘えられる、許し許される、地域に帰って地域の中で安心して暮らせるという願いがこもっている。藤澤氏からは、自殺念慮者と自死遺族を支えるために、温かい見守りと伴走が必要であることが提言された。温かい見守りとは、否定せずにありのままに気持ちを受け入れることである。安易に大丈夫ですと答えたりはしない。伴走とは、相手のペースに合わせて寄り添うことであり、いっしょに悩み考えることである。安心して悩み、安心して悲しめる社会づくりを作っていくところに深い願いがある。安心して悩める場がある時、ひとは少しずつ自身の回復力によって生きていくことができるのだろう。栗田氏からは、医師と僧侶という二つの立場をもって、身の病と心の病に寄り添い、身心一如の道を歩んできたことが紹介された。現実には、医師になってから、白血病や肝臓癌の患者とであい、亡くなっていく人々をみてつらかったという。そんな時に、駒沢勝氏と出会い、医学による対治(病気と対決して治療する)と仏教による同治(否定せずにすべてをひきうける)の両輪が必要であることに気づいたという。仏には否定がない。すべてを引き受けてくれる。あたかも釈尊がアジャセに月愛三昧を示したように、何かをすることではなくてそばにいること(Not being but being)がビハーラの基本姿勢であるとも感じたという。最後に、元看護師長の最期を看取った症例が紹介された。その女性は人生の終末において、主人と一緒に成長し、主人にほめられて死を迎えた。亡くなる前に彼女が作った押し花は、月愛三昧を髣髴とさせ、栗田氏や看取った看護師たちを感動させた。死に直面していのちを見つめた時、そのいのちは輝いてくるという。


次に、午後には、基調講演が次のように行われた。


13:30-15:00
鍋島直樹「仏教における死と大悲―ブッダ最後の旅」

基調講演では、3人の成果を受けとめながら、ビハーラ活動が生の完遂を支え見守るものであり、仏の月愛三昧のようにすべてをまるごとうけいれる時、死をも超えた深い絆が生まれてくることを話した。ひとは誰しも死に近づくと、動けなくなり、見えなくなり、言えなくなり、聞こえなくなっていく。自分が自分でなくなっていくという自己喪失は、すべての人間に共通する姿である。しかし人はただ自己喪失していくだけなのだろうか。決してそうではない。自己喪失の中でこそ、一人ひとりのいのちはその姿を通して一番大切なものを伝え、そのいのちは輝きを放っている。それに深く気づき、人生のすべての行程をまるごとうけとめるのが看取るものの使命であり、スピリチュアルケアである。ビハーラ活動の特色は、患者とその家族を医師、看護師、僧侶、縁者などが全人的に支援するだけなく、支援する自分たち自身が、患者に深く支えられていることに気づかされるところにある。世俗社会では、議論や比較、評論や批判ばかりが盛んであるが、死を通して気づく大切な愛情を忘れがちである。限りある命の人たちが放っている、真実のいのちの尊さをうけとっていくことが願われる。会場の参加者の中には、自然に涙を流す人々や、胸襟を開いて、自らのつらい死別体験を語る人もあった。会場からの質問の中に、世間では自死をうつ病のせいにされがちであるという意見があった。自殺が起きた時、その自殺の原因探しや犯人探しをするのではなく、その亡くなった人の無念さや深い悲しみを忘れずに、自分たちが一緒にかかえていくことこそが大切であると藤澤氏が訴えていたのが印象に残った。また、市原氏は、ターミナルは終着ではなく、境界を意味し、死をこえてつづくいのちがきっとあるという発表も心に残った。シンポジストと会場の人々の心の琴線がふれあい、余韻の残るシンポジウムとなった。人々は去ってもぬくもりは消えない大会となった。シンポジスト、参加者ならびに大会実行委員会の皆様に感謝の気持ちで一杯である。(鍋島)

 

「死生観と超越」研究の展望

Unit2
Date 2010年10月14日(木) 16:30~19:00
Place 龍谷大学 深草学舎 至心館2階大会議室
Presenters 澤井義次氏(天理大学教授、宗教学)「天理教の死生観と仏教」
手島勲矢氏(大阪産業大学、ユダヤ学)「ヒゼキアの祈り-死生観のことば-」

龍谷大学仏教文化研究所・共同研究「<仏教>思想の対話的研究」グループ
人間・科学・宗教 ORC「死生観と超越 ──仏教と諸科学の学際的研究」共催

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 天理教の意味世界が仏教の意味世界といかに接点をもつのかに注目しながら、天理教のコスモロジーにおける死生観についてのご考察であった。ハーバード大学でのご研究を経られた先生は、ハーバード大学の宗教学研究の特徴は、生きた信仰に着目するということで、それは言語の共感的世界を重視するものだと仰った。そういった視点を本発表でも大切に、バランス感覚を保ちながら天理教と仏教の意味世界を捉えてみたいということで発表は始まった。

 ご発表は主に天理教の意味世界のご紹介であった。「おふでさき」「みかぐらうた」「おさしづ」の三原点を基礎とした、人間世界が創造された神人和楽の「陽気ぐらし」の世界の実現に向かうことを天理教は掲げる。天理教のコスモロジーの構造は二重になっており、人間にとって親神は「親」であり、人間は「子」になる。人間は一列兄弟であり、意味のある他者(meaning for others)という考えがそこに居住する人間観として存在する。また、人間の本来的在り方を「いんねん」という。「いんねん」は「元のいんねん」と「個人のいんねん」の二つに分けられ、人類が存在する普遍的根拠である「元のいんねん」が基礎となって、個人の因縁を形成する。

 ご発表で特に注目されたのは、天理教の生活に密接に関係する「陽気ぐらし」ということについてである。「陽気ぐらし」とは、「皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めんめん楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん。」ともいえ、まわりの人を助け、助けあうという信条をもって生きるということである。人間の本来的存在根拠を基本として「個人のいんねん」が開かれることになる。

 「陽気ぐらし」に収斂される人間存在の本来的あり方と親神の関係としては、親神の守護の世界は、守護の世界であり、親神の守護は「人間身の内」と「世界」において照応し合っている。親神の守護は十の神名によって説き分けられるが、それらは人格神ではなく、本質的に人間の身の内と世界において、同じ物で照応し合っている。そこから「二つ一つ」といった天理教教学の基礎ができあがる。また、「陽気ぐらし」のために心を澄み切らせれば、「元のいんねん」が出現するため、その脈絡でこの世での「ごくらく」が現出するという。

 他にも、天理教の死生観ということで「死」について言及された。天理教では「死」を「出直し」といい、人間の身体は神様からの「かりもの」である。人間の心は個人の所有であるが、一方でたった一つの心から様々な理が出てくると天理教では理解し、心の地平を深化させ、自己中心的な心遣いを心の「ほこり」として清くすることが勧められる。「ほこり」は積もれば、過ちも犯すことになる。心の「ほこり」を清らかにすることは、「生きている」という視点から「生かされている」という心の地平へ心を開く指標を向ける。

 人間は出直しを通して「陽気ぐらし」へ向けての世界の実現に近づくことになる。出直しを繰り返すことによって、第一段階から第四段階のプロセスへと踏み込むことになる。成長するにしたがって、この世界は混沌とした泥水だった状態から、じょじょに形成されてゆくことになる。

 天理教では、生まれ変わりを繰り返して何度もこの世界に戻ってくると考える。仏教では輪廻転生を説き、それは循環的な思想であることから天理教の死生観と類似しているように思われるが、一方で「陽気ぐらし」の実現という考え方は、循環的でありながらこの世での「ごくらく」の実現という意味で、直線的な方向性を把持しているといえる。実際に先生のご尊父は「出直し」を前に控えて、それに向けた準備をなさった。「出直し」が積極的に捉えられているという天理教の死生観の一端をご発表いただいた。

 

 

 手島先生のご発表は、次のような言葉で始まった。「ユダヤ教は死を語らない、死んだら淡白。生まれてから死ぬまでを必死に生きるのがユダヤ教。」この言葉に象徴されるように、ユダヤ教では死よりも生を重視する。というか、死との比較で生を捉えるということをユダヤ教はしないという。一方でユダヤ教には、血なまぐさい歴史がある。多くの人が血を流してきた。先生の基本的な立場は、組織化の原理になる、theorogiaに関心を持ち、テキストの中からリアリティを見いだすというスタンスである。そのため、本研究プロジェクトの「死生観」という言葉を取り上げる際に、ユダヤ教のテキストの中から「死生観らしきものを抽出する」という試みを本ワークショップでご発表いただいた。その際、殉教者をキーワードにヒゼキヤ王の記述に関するテキストをご紹介された。

 ヒゼキヤ王は紀元前700年頃のユダ王国の王で、病に臥し、死を恐れながらも、神の癒しによって15年の寿命を長らえた。この出来事についてのテキストは、イザヤ書と列王紀に詳しく、特にイザヤ書に多い分量がさかれている。これらテキストを読む際に、古いところから新しいところへ行くものか、新しいところから古いところへ下がっていくか、二つの観点がある。後者の視点に立つならば、第二神殿時代の目でヒデキアのテキストを読みこむことで、テキスト誕生の背景が明確になる。第二神殿時代で特徴的なのは、当時の自然観が直接死生観に影響したというものである。これは、自由意志を否定もせず肯定せず、また否定もし肯定もしたパリサイに多数が偏ったことからも伺い知ることができる。パリサイは、運命についても同様に否定と肯定を尊重した一派である。

 先生のお考えは、個々の自然観が死や生を規定するというもので、ヒゼキヤ王をめぐる二つのテキストでは、イザヤ書が難解な内容でありながらも、それはひとつのリアリティをもって発信されうるものということであろうというものであった。

 

 


 新たに得られた知見としては、ご発表後の質疑応答で、テキストに関する各種の宗教ではずいぶんスタンスが異なるということが判明した。手島先生は、「言語とリアリティを同一視することには懐疑的。テキストに特化して考えていくのが、わたしの客観主義」とおっしゃったのに対し、中村信博先生は、テキストにリアリティを見ようとすることに難色を示された。また、釈撤宗先生は、仏教にはカノン、つまりは基準のようなものはなく、仏教には言葉に対する懐疑は常に付きまとうというと述べられた。この違いは、単に机上の議論として説明される以上に、それぞれの宗教者や宗教教団の戒律や規律、生活態度にまで敷衍して考えてゆくこのできる差異であると感じた。(RA本多真)

漢代の祖先祭祀

Unit3
Date 2010年9月30日(木) 17:00~19:00
Place 大宮学舎清風館B101教室
Presenters 龍谷大学 文学部教授 小南一郎先生

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UNIT3研究会(小南一郎先生)
UNIT3(小南一郎先生)2

 本ワークショップでは、「漢代の祖先祭祀」というテーマのもと発表が行われた。発表では、①仏教が中国へと伝来する直前の漢代(前漢・後漢)において、人々が祖先の霊をどのように考え祀っていたのか、②祖先の霊と罪の観念を論じて、祖先の罪がいかなる方法で解消されていくのか、③漢代より三国時代において仏教を受け入れていく中で、人々の中にいかなる思想的基盤があったのか、ということをポイントにしながら漢代における死生観の解明が行われた。

 祖霊祭祀は、中国最古層の文献である殷代甲骨文にも見ることができる。古くより儒教の中で行われ、シャーマニズム的民間信仰などを取り込みながら行われてきた祖霊祭祀は、祖霊が「怒」・「罪」を伴っており、生きている者が「慰」をすることで現世の「禍」を回避していこうという行為であった。そこには、祖霊に対する「恐怖」という形で死の観念が見て取れるという。祖霊の「怒」や「罪」を解除する方法として、前漢時代においては、供物などによる祭祀が中心であったが、後漢時代になると神仙思想などの影響からシャーマニズム的・呪術的儀礼による祭祀が行われるようになっていった。その代表的な祭祀方法としては、宗廟に設置された中心柱を旋回する儀礼があげられる。中心柱を用いた旋回儀礼は、死者の霊魂を地獄から天へと導くための儀礼であったと考えられている。

 しかしながら、次第にこのような祖霊救済の方法が上手くいかないということから、呪術的な方法を超えた宗教的信仰に近い死者の救済というものが求められていく。それがやがて、東晋時代になると一方では道教へとつながり、一方では仏教を受け入れていくということにつながっていったのではないかと考えられると述べられた。

 質疑応答では、発表を踏まえながら活発な議論が行われ、いくつかの論点が明らかとなった。以下に新たな知見としてまとめておく。

 第一に、死者儀礼の契機ともなる死者の怒や罪という概念は、具体的にどのようなものが想定されているのか。生前の怒や罪が死後にまで持ち越されているのか、それとも死というもの自体に対する怒や罪であるのか、死と生にまつわるところの怒や罪が問題とされた。

 第二に、生者に恐怖を惹起する死とはいかなる世界として考えられていたのか。漢代から仏教受容がなされていく過程において、死後の世界観ということが問題とされた。

 第三に、死者の救済と生者の救済ということは密接な関係にある。祭祀儀礼によって罪を解除することで死者が救済されることと、残された生者の救済とはどのような関係であるのかが問題とされた。

 第四に、そもそも民間信仰と神仙術と道教の相違はどこにあるのかということが議論された。(RA北岑大至)

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