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Research Activities

Unit2, Workshop, "Issues on Life and Death from Standpoint of Ise Shrine Shinto Priest"

"Issues on Life and Death from Standpoint of Ise Shrine Shinto Priest"

Unit2
Date July 12, 2011, 15:00-16:30
Place The Satellite Room of Ryukoku Graduate School on 6th floor, Campus Plaza Kyoto
Presenters SAKURAI Haruo (Professor, Kogakkan University)

Unit2, Workshop, "Islamic Law (Sharia) on Death and Rituals for Deased"

Unit2
Date July 7, 2011, 16:00-18:30
Place Meeting Hall on 2nd floor, "Padma"-Shishinkan Building, Fukakusa Campus, Ryukoku University
Presenters "Understanding of the Concepet of Six Paramitas in American Jodo Shinshu: The Path beyond Life and Death Pursued by Kyogoku Itsuzo", KIKUCHI Masumi (Research Assistant at the CHSR, Ryukoku University)

"Islamic Law (Sharia) on Death and Rituals for Deased", SHINOHE Junya (Professor, Doshisha University)

 

「死生観と超越」研究の展望

Unit2
Date 2011年1月13日(木)
Place 大宮学舎西黌2F 大会議室

第1部(15:00~16:30)

a) アルネ・ネスの仏教観―ディープ・エコロジーの提唱者と仏教思想―
   本多真氏(人間・科学・宗教ORC、RA、国際文化学)

b) 明治期における真宗教団成立の諸相
   北岑大至氏(人間・科学・宗教ORC、RA、真宗学)

c) 近代日本における仏教青年運動の国際化―浄土真宗本願寺派の学校を中心に―
   岩田真美氏(龍谷大学非常勤講師、真宗学)

第2部(17:00~18:30)

「肉食と仏教-仏教と神祇信仰との中世的対話-」

講師 リサ・グランバック氏(IBS助教授)

コメンテータ 釋徹宗氏(相愛大学教授)

 


龍谷大学仏教文化研究所・共同研究「<仏教>思想の対話的研究」グループ
人間・科学・宗教 ORC「死生観と超越 ─仏教と諸科学の学際的研究」共催

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 グランバック先生のご発表は、仏教においてそもそも肉食を禁じる「教え」はなく、むしろそれぞれの地域にある土着の考えとの総和や権力者の判断によって、仏教における「肉食」のイメージが出来上がったものだということを、教義と現象の双方の側面をおさえながら文化的・歴史的背景をこぼすことなく見ていかれるという壮大かつ緻密なご発表であった。

 

 1980年代以前の研究では、仏教の教えの中に仏教の肉食に関する「原理」があると考えた。そこで特にテーマ化されたのが「アヒンサ(不殺生)」についてであった。しかし、仏教の教えにそのような「原理」があるとして探求しても、仏教の教えが原理的に肉食を否定するということは判明しなかった。こうした研究はとかく、「原理」に着目した視点であったということであるが、その「原理」というイメージは、現象的な側面への視野を失っていた。また日本では肉食は、「殺す」と「食べる」ことが問題化するようになっていた。こうした基礎研究の中で、グランバック先生の視点は、農耕、狩猟の中から、肉食を考えるという、文化的で歴史的なものであった。


 広く仏教では、「肉食」「性」「酒」は、当然のように「否定の対象」としてそれなりの根拠が与えられている。しかし先生は、文化的、歴史的にみれば、それら三つの否定材料は、教義的根拠とは異なる理由によって生起してきたという。そこで先生は宗教儀礼と宗教的価値に注目された。農耕儀礼において、「肉」の供物、さらに竹などを使った「性(繁殖力)」の儀式、さらにはそれらが終了したあとの「酒」の宴が、三つセットになっているという事例を、ヴェトナムやインドネシアなど東南アジアに現存する農耕文化として写真などを使って紹介された。また日本の諏訪大社での儀礼も、それとの親密性が窺える。日本でも例外なく東南アジアでの儀礼との類似性があるということである。


 また歴史資料にも目を向けられた。もともとは仏教は肉食は否定することがないと仰る先生は、たとえば、上座部仏教では、僧侶も信者も肉を食べるし、中国に入った大乗仏教は、一見すると肉に対する見方が異なったものであるが、実際には中国では、道教や儒教の影響から、基本的に儀礼での肉は否定視されてきた。それが中国の仏教の肉食否定へ影響を及ぼしたことは否めないであろう。
 

 また、多くの学者は『日本書紀』の記述をもとに675年から以来日本ではずっと肉食を否定してきたと考えてきた。つまり、狩猟も魚も禁止されている旨の記述、あるいは期間限定の狩猟禁止が記されているという限定的な記述を『日本書記』を「原理」として、日本の食文化像を構築してきた。しかし、 この説は1990年代以降にはそれなりの反論を受け、現在では歴史的な肉食の実態は多様であったと考えられている。


 他にも、6世紀での中国で行なわれた肉食禁止の例、これは政治的判断として権力者が肉食を反対したことでった。この事例は、宗教の原理的な根拠にまで遡って肉食否定を考えることができないとうことや、日本でも政治的な支配の形として、あたかも仏教では肉食を原理的に否定するという根拠を持ち上げ、肉食否定を一般論として合理化してきたという歴史的資料を紹介された。
 このように肉食と仏教の関係は、異なった角度から見てみると、仏教の教義に原理的な根拠を見出すというアプローチよりも、地域に存在した生活様式が、仏教と融合して規則化したということが明らかになるという、グランバック先生のご発表の内容であった。

 


 新たに得られた知見としては、仏教における肉食について、一般的な考えしか持ち合わせていたなかった私にとって、お聞きすることが新しいことばかりであった。肉食の原理的な探求を宗教教義に求めるということが当然だと思いながらも、他方でその土地、風土に存在した慣習を見落としてはならないことを思い知らされた。単純に考えても、仏教が大乗と上座部に分裂し、双方が多様な文化として世界各国に根付いていることを考えれば、それぞれの地域において宗教が原理的に果たした役割に着目すると同時に、それぞれの地域に従来から現存した文化基盤に着目せざるをえないということになるのは当然だといえる。広い振り幅をもったご発表に、勉強になることが多かった。(RA 本多真)

「死生観と超越」研究の展望

Unit2
Date 2010年12月9日(木)17:00~19:00
Place 深草学舎至心館パドマ大会議室
Presenters 四戸潤弥氏(同志社大学教授、イスラム学)「1939年の宗教団体法成立前後に見る日本における破邪論の系譜としてのイスラーム認識-原正男『日本精神と回教』を手掛かりとしてー」
中村信博氏(同志社女子大学、キリスト教神学)「キリスト教における死・生・復活-葬送儀礼から考える-」

龍谷大学仏教文化研究所・共同研究「<仏教>思想の対話的研究」グループ
人間・科学・宗教 ORC「死生観と超越 ─仏教と諸科学の学際的研究」共催

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*四戸潤弥氏「1939年の宗教団体法成立前後に見る日本における破邪論の系譜としてのイスラーム認識-原正男『日本精神と回教』を手掛かりとしてー」

 

 日本におけるイスラームは現在、混乱した状況に陥っているため、研究者の中からそういった状況を整理する必要性があるとと叫ばれている。そこで、分類の基準が必要となってくるわけであるが、この発表で四戸潤先生は、1939年の宗教団体法成立前後に見られる日本におけるキリスト教系譜の中の破邪論としてイスラームが認識されているという考えを紹介され、日本における今後のイスラム研究の分類法を提案された。

 

 まず、日本のイスラーム研究状況の現状について言及された。日本のイスラーム研究は、「信徒たちの中から学者が育って研究されたことがない」という極めて特異な状況がある。たとえばキリスト教では、学者が育ち、つまりは「学」というものが存在して、その周辺に人が集まるという状況が既に存在した。しかし、イスラームは、信者ではない人の中に信者が入ろうとすると、はじき出されるという形が続いている状況が今なお残っている。ここにはイスラーム教学の翻訳の問題が背景にある。イスラームの字義どおりの日本語訳は極めて少ない。それに増して、預言者の言行録が言葉の学問的位置づけがなされないままに、翻訳がなされているなどの理由があげられる。
 また、日本のイスラームへの関心は、アメリカ絡みになっている。アメリカにおけるイスラムということが基礎にあって、そこから派生した問題を日本で取り扱っている。すなわち、基準なきイスラーム論の状況をここから窺うことができるのである。

 

 続いて発表では、破邪論についての話題へと移行した。破邪論とは、仏教とキリスト教の比較ではなく、極めて政治的なものであるという認識のもと、破邪論の本質は、撲滅論ではなく、防衛的なもの、方便的ななものであり、つまりは、当時開国を迫られたときに出てきた、国の政治的立場であり、教義論とは異なったものであるといえる。江戸末期、回教は破邪論という分野では、まったく論じられてこなかった。その背景には破邪論は儒家が中心であり、儒教の破邪論は、回教ではなく、キリスト教対抗を打ち出されてもので、そこで語られたキリスト教への対抗姿勢は、教義論とはかけ離れた、いわば一種の「恐怖」から出た論じかたの一つであった。そのため、破邪論とは、決してキリスト教を廃絶する動きではなかった。たとえば、安積艮斎はそのような論じかたをしている。
 また、当時、イスラームについては、宗教団体法の前後に、イスラームを公的宗教に認めて欲しいという動きがあった。国会議員にも働きかけがあり、また当時のアジア主義者の間で「大日本回教協会」を作るという話があったが、結果的にイスラームが公的宗教に入ることはなく、「その他」の宗教に入ることとなった。ただ、それが、日本においてイスラームが初めて認知された歴史上の押さえになる。だから、いつ日本がイスラームを知ったかといえば、それはこの時になるといえる。研究者の方向性として、ここをおさえておくと一つの手掛かりとなる。


 

 

 新たに得た知見は、イスラーム研究に造詣のない者としては、日本におけるイスラームの現状がアメリカ中心に推移していることなどは、理解することができた。また、日本でのイスラームの基礎認識が、とかくステレオタイプとしてインプットされているという印象を受けた。というのも、現在のイスラーム文化圏の状況がメディアなどの一方的な情報だけを頼りに知識化しているからである。そこには、イスラームそのものが抱える歴史性や、民俗性、国際性、あるいは教義的な議論は存在せず、よってイスラーム認識そのものが、非常に希薄なものとなっている現状がある。他にも、1939年の宗教団体法でイスラームが「その他」であれ、宗教として宗教団体に入ったことなど、新しく知ることばかりであった。

 

 

 

*中村信博氏(同志社女子大学、キリスト教神学)「キリスト教における死・生・復活-葬送儀礼から考える-」

 

 本ワークショップで中村先生は、日本においてキリスト教がどのように理解されているかということを、葬儀儀礼から捉えなおし、さらには、現場との折り合いのなかで、日本人がどのように宗教を理解しているか、というテーマを掲げられた。どこまでがキリスト教の葬儀なのか、そしてどこまでが日本社会に受け入れられるキリスト教なのか、ということも含めた、問題提起そのものが全体的なテーマとなった。以下、発表の論点をまとめたい。


・キリスト教の実践の現場では葬儀は通過儀礼として理解されてきた。神学的議論と現場で、一般の方が捉える死生観の径庭に注目したとき、キリスト教の死生観は、現場からそう遠くない所にあるのではないかということがいえる。


・キリスト教とはどういう宗教か、その問いによって「限定されるキリスト教」から離れた、臨床的、実践的な側面から、キリスト教の死生観を探ってみたい。特に、現代の日本社会におけるキリスト教というところに本発表での問題意識がある。


・「葬式無用論」、これは消費者の立場からのインパクトの強さを伺い知ることができる。これまで比較的タブー視されてきたことが、表出し、社会的に議論されるようになってきた、ということがいえる。葬儀の形骸化への疑問、世間体のために高すぎる葬儀は必要ないといった議論がある。一方で「葬儀は必要」という立場もある。「葬式無用論」に対して、具体的には、御布施価格の設定には、日本仏教会が反対意見を出した。キリスト教教会における御礼は、教会によって異なるが、日本仏教の影響か、現在はキリスト教でも聖職者に対する御礼は高騰しているという話もあるようである。


・日本人の死生観では、新聞の社会調査で36%の人が、葬儀は「しなくてよい」と答えている。また、多くの方が葬儀は「家族に任せる」と答えている。この連続性を読み取ってみると、日本人の死生観は現在、「親しい家族に迷惑を掛けずに死んでいきたい」というところに移行しつつある。そうなれば、「葬儀は親しい家族に迷惑を掛けると認識されているならば、葬儀とはいったい何だったのか」ということがそれぞれの宗教の現場で考えていくことが必要になってくる。もうひとつ、何らか特定の宗教的形式にしてほしいという質問にしては、結果は半分半分になっている。宗教色が何を意味しているのかわからないが、宗教が遠ざけられているわけではないということが窺える。「あなたには葬儀に際して相談できる聖職者がいますか」という人は、全体の39%。宗教者の存在が社会に浸透してきているということだということも窺える。


・キリスト教の葬儀は本来、教会が主体になって取りおこなわれる。しかし、日本では「葬儀が教会において個人の事柄である」という、極めて日本的な考えに基づいた執行がなされている。また、日本では、前夜式というものがあるが、仏教に習って、お通夜と呼んでいる。他にも、法事やお焼香といったものもある。こうした日本的葬儀の傾向は、プロテスタントよりもカトリックの方が受け入れ体制にあるように思われる。

 

 最後に先生が述べられたのは、グリーフ・ワークとしての葬儀の再構築についてであった。

 

 葬儀がわたしにとっての死生観を考える機会を与えてくれた。悲しみに包まれた人に、わたしがどのように接することができるのか、ということを考えてきた。わたしは、グリーフ・ワーク、グリーフ・ケアから、キリスト教の葬儀を組み立てなおすという試みがあってもよいのではないかと考えている。
 福音書の文学類型を決定づけているのが「復活」というキーテーマ。近代では歴史的イエスばかりに注目が注がれてきたが、最近では「復活」という視点から聖書を読みなおす試みが盛んになっている。そこから読み解くと、人生をもう一度やりなす、イエスの歩みに従って、意識を改めてやりなおすという意味が見えてくる。あくまで意識の問題、内的な問題だといえる。キリスト教の葬儀とは、まさにそのようにあるべきもので、「復活したイエスに愛する家族をゆだねることを通して、近親者は復活したイエスとともに自覚して歩んでいく」ということを大事にしていく仕組み、教育的なプロセスである。

 

 そのうえで先生は実際のケースを紹介された。三十数年間、お世話になっていた教会の牧師が亡くなられた折に、任された葬儀の事例を紹介された。自分がすべきか思い悩んで引き受けた葬儀の儀礼の事例紹介であった。

 


 新たに得た知見としては、新聞調査によって明らかになった「葬儀は親しい家族に迷惑を掛ける」という危惧を持つ人の多さについてである。「迷惑を掛けずに死んでいきたい」とはどういうことか。「私は一人で生きている」と「錯覚」させ、さらには人生の最期、さらにはその先まで一人で「決定」できるという、いわば「想定の範囲に全てを纏めこむ」、そのような文明の威力に、思わず考え込まざるをえなかった。というのも、冷静に考えてば、わたしたちは生まれてからこの方、一人で歩めんできたことなどないのに、あたかもそのように「錯覚」させる原因とは、一体何であるのか。よくよく考えてみれば、わたしたちは、一方ではそのように望んでいるという自分の本心にたどりつくことができる。しかし、それが表出する背後に潜むものに、考えが及ばざるをえない。(RA 本多真)

「死生観と超越」研究の展望

Unit2
Date 2010年11月1日(月)17:00~18:30
Place 龍谷大学 大宮学舎 清風館B102教室
Presenters 奥山直司氏(高野山大学教授、仏教学)「南方熊楠と仏教者の交流」
岡崎秀麿氏(人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センターPD、真宗学)「須弥山論争とその後-浄土真宗本願寺派に注目して-」

龍谷大学仏教文化研究所・共同研究「<仏教>思想の対話的研究」グループ
人間・科学・宗教 ORC「死生観と超越 ──仏教と諸科学の学際的研究」共催

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 本ワークショップは、奥山直司先生による、南方熊楠と仏教者の交流についてのご発表であった。熊楠の思想に影響を与えた仏教者、あるいは、熊楠が仏教をどのように捉え、仏教思想を自らの思想へどのように取り入れたのか、資料を追いながらご紹介された。

 ご発表の冒頭で、2010年に出版された『南方熊楠土宜法龍往復書簡』について言及された。高山寺で43通の書簡が発見された。これは、この寺の住職であった土宜法龍へ熊楠が当てた書簡である。従来の数が29通であったことを考えれば、これは相当な数だといえる。

 熊楠と接点のあった仏教者として先生は、白貫勧善、土宜法龍、渡辺龍聖、妻木直良(本派の学僧・真宗全書の編集主任)、水原尭栄(高野山の僧侶)を紹介された。まず、幼少期の熊楠の脳裏に刻まれた人物として、白貫勧善(真言僧)がいる。南方家はここの檀家で、熊楠の父はこの寺の世話をしていた。

 また、熊楠は生涯、出家することはなかったが、科学主義的な立場から仏教をみていた。それは維摩居士のようでもあった。アメリカでは、渡辺龍聖(アナーバー時代の友人。高田派の寺の息子・帰国後は教育畑で活躍)と出会い、熊楠は「与龍聖法印書」を記し、その中で彼から学んだ仏教論を記している。また、この書物で熊楠は大乗仏教起源論について触れている。他にも、ネパールの旧法や、熊楠が英文を介して仏教をまず学んだということがここで記されている。他にも、先生によれば、意外に熊楠はサンスクリットを知っていたということが、この資料から窺えるという。ただ、訳語が明晰でない部分も多い、という印象を受けるとも仰った。「与龍聖法印書」では、Handbook of Chinese Buddhism(語彙集・サンスクリットと漢文の)をかなり綿密に使い込んでいるということが窺え、本書の後半で熊楠は、「大乗も非仏説だけれども、小乗も非仏説だ」と述べており、当時の日本では新しい主張であったかもしれないが、一方でMonier WilliamのBuddhismなどにはそうした指摘は既にみられると述べられた。

 ご発表の中で特に強調されたのが、熊楠と土宜法龍との接触についてである。この接触が熊楠にとって大きな思想展開であった。1893年10月30日、ロンドンで熊楠は法龍と出会い、意気投合した。法龍はパリに移動したのち、二人の書簡のやりとりが始まった。29年間、およそ250通ほどの書簡のやりとりがあったと思われる。法龍宛熊楠書簡は約70通、熊楠宛法龍書簡は80通が確認されている。熊楠は法龍に思想を対峙させ、時には罵ったりしていたことからも、法龍が熊楠の思想に大きな影響を与えたことが窺える。また、熊楠は法龍との書簡のやり取りで、再び、大乗非仏説について論じている。熊楠は最初、「与龍聖法印書」の同じ主張を論じていた。しかし、法龍との接触でじょじょに考えが変わってきたという。熊楠は、大乗仏教を個人(釈尊や竜樹)を超えた存在として捉えようとするようになる。大乗の流れを複雑なレースのようにとらえ、その結び目の一つに釈尊を位置づけ、釈迦の位置づけがじょじょに低くなってくるようすが彼の思想を追うごとに強まるようになる。逆にいえば、熊楠は、大乗仏教を一つの「流れ」として理解し、その流れの中に、釈迦や著名な僧侶を位置づけているということ、すなわち、釈尊を徹底的に相対化した「ハイパー大乗」というものを構想しているのではないかと先生は仰った。

 他にも、熊楠は基本的には科学主義の立場にたっていたが、では、そのうえで仏教をどのように捉えたのかということが疑問である。ここで熊楠は、仏教は積極的に科学を取り入れるべきだと主張した。その裏にはキリスト教に対する反発がある。科学的発見、エネルギー不滅の法則や、進化論、万有引力の法則は、既に仏教にあると熊楠はいう。なぜ、仏教を高く評価するといえば、それは「因果」「輪廻」という立場を取るからであり、これは科学的に論理的な説得性を持つという裏打ちによる。ただ、科学の中に仏教を包摂するのではなく、仏教の中に科学が包摂されると熊楠は考えている。また、熊楠は標本をでもって、合理的に理解できるもの(科学)を自由に仏説から取ろうという演繹的な視点を展開した。標本でもって、因果の法則に裏打ちされた業の発動が具体的に見れるか、ということに彼は関心があった。彼の生物学の実態調査には、背後に合理性の限界を超越した因果の法則が想起されていたといえる。


 しかし先生はキリスト教に対して、厳しかった熊楠が、決して仏教に甘かったわけではないということもおさえられた。仏教の因果論に関心を示した熊楠は、バラモン教的世界観に興味を持っており、自らを「梵教(バラモン教)」と論じることがあったが、これは法龍に出会った頃の熊楠像からも確認することができるものである。熊楠は、一大理体から精神と物質が流出する、という彼独自のブラフマン理解を展開し、因果の法則を図式化したものを書き記した入りしている。他にも、彼は仏教に傾聴しつつも、日本界、特に僧侶に対する批判意識は旺盛であった。

 最後に先生は、「南方マンダラ」には、多年にわたる熊楠の科学的、哲学的なアイデアが統合されていると述べられた。真言密教のマンダラに、西洋近代科学の限界を超える広大で奥深い世界を熊楠はみていたという。さらに、これを現代の実用公益に役立てることが彼の望みであったと思われる。このような思想的な頂点を極める「南方マンダラ」も、法龍とのやりとりの中で生み出されたものだといえる。

 

 

<新たに得られた知見>
 科学者としての熊楠の背景にあるものが、「因果の法則に裏打ちされた業の発動が具体的に見る」ことというのは、これまでの熊楠像ではあまり強調されてこなかったことであったように思う。逆に、もし熊楠の生物学的実態調査がそのような主張を背景にするものであったとすれば、彼は常に大きな大乗の「流れ」の中の布石として、森羅万象を理解していたということになる。その土俵で考えれば、仏教者を罵り、釈尊の存在さえも相対化する彼の態度には、一種の一貫性があるように思われる。それは「「法」の真ん中ではすべてが絶対的ではない」「ただ、具体化された事象の中に「法」は顕現する」というものであろう。時に彼が破天荒と呼ばれる理由の一端を、窺い知ることができた。(RA本多真)

「死生観と超越」研究の展望

Unit2
Date 2010年10月14日(木) 16:30~19:00
Place 龍谷大学 深草学舎 至心館2階大会議室
Presenters 澤井義次氏(天理大学教授、宗教学)「天理教の死生観と仏教」
手島勲矢氏(大阪産業大学、ユダヤ学)「ヒゼキアの祈り-死生観のことば-」

龍谷大学仏教文化研究所・共同研究「<仏教>思想の対話的研究」グループ
人間・科学・宗教 ORC「死生観と超越 ──仏教と諸科学の学際的研究」共催

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 天理教の意味世界が仏教の意味世界といかに接点をもつのかに注目しながら、天理教のコスモロジーにおける死生観についてのご考察であった。ハーバード大学でのご研究を経られた先生は、ハーバード大学の宗教学研究の特徴は、生きた信仰に着目するということで、それは言語の共感的世界を重視するものだと仰った。そういった視点を本発表でも大切に、バランス感覚を保ちながら天理教と仏教の意味世界を捉えてみたいということで発表は始まった。

 ご発表は主に天理教の意味世界のご紹介であった。「おふでさき」「みかぐらうた」「おさしづ」の三原点を基礎とした、人間世界が創造された神人和楽の「陽気ぐらし」の世界の実現に向かうことを天理教は掲げる。天理教のコスモロジーの構造は二重になっており、人間にとって親神は「親」であり、人間は「子」になる。人間は一列兄弟であり、意味のある他者(meaning for others)という考えがそこに居住する人間観として存在する。また、人間の本来的在り方を「いんねん」という。「いんねん」は「元のいんねん」と「個人のいんねん」の二つに分けられ、人類が存在する普遍的根拠である「元のいんねん」が基礎となって、個人の因縁を形成する。

 ご発表で特に注目されたのは、天理教の生活に密接に関係する「陽気ぐらし」ということについてである。「陽気ぐらし」とは、「皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めんめん楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん。」ともいえ、まわりの人を助け、助けあうという信条をもって生きるということである。人間の本来的存在根拠を基本として「個人のいんねん」が開かれることになる。

 「陽気ぐらし」に収斂される人間存在の本来的あり方と親神の関係としては、親神の守護の世界は、守護の世界であり、親神の守護は「人間身の内」と「世界」において照応し合っている。親神の守護は十の神名によって説き分けられるが、それらは人格神ではなく、本質的に人間の身の内と世界において、同じ物で照応し合っている。そこから「二つ一つ」といった天理教教学の基礎ができあがる。また、「陽気ぐらし」のために心を澄み切らせれば、「元のいんねん」が出現するため、その脈絡でこの世での「ごくらく」が現出するという。

 他にも、天理教の死生観ということで「死」について言及された。天理教では「死」を「出直し」といい、人間の身体は神様からの「かりもの」である。人間の心は個人の所有であるが、一方でたった一つの心から様々な理が出てくると天理教では理解し、心の地平を深化させ、自己中心的な心遣いを心の「ほこり」として清くすることが勧められる。「ほこり」は積もれば、過ちも犯すことになる。心の「ほこり」を清らかにすることは、「生きている」という視点から「生かされている」という心の地平へ心を開く指標を向ける。

 人間は出直しを通して「陽気ぐらし」へ向けての世界の実現に近づくことになる。出直しを繰り返すことによって、第一段階から第四段階のプロセスへと踏み込むことになる。成長するにしたがって、この世界は混沌とした泥水だった状態から、じょじょに形成されてゆくことになる。

 天理教では、生まれ変わりを繰り返して何度もこの世界に戻ってくると考える。仏教では輪廻転生を説き、それは循環的な思想であることから天理教の死生観と類似しているように思われるが、一方で「陽気ぐらし」の実現という考え方は、循環的でありながらこの世での「ごくらく」の実現という意味で、直線的な方向性を把持しているといえる。実際に先生のご尊父は「出直し」を前に控えて、それに向けた準備をなさった。「出直し」が積極的に捉えられているという天理教の死生観の一端をご発表いただいた。

 

 

 手島先生のご発表は、次のような言葉で始まった。「ユダヤ教は死を語らない、死んだら淡白。生まれてから死ぬまでを必死に生きるのがユダヤ教。」この言葉に象徴されるように、ユダヤ教では死よりも生を重視する。というか、死との比較で生を捉えるということをユダヤ教はしないという。一方でユダヤ教には、血なまぐさい歴史がある。多くの人が血を流してきた。先生の基本的な立場は、組織化の原理になる、theorogiaに関心を持ち、テキストの中からリアリティを見いだすというスタンスである。そのため、本研究プロジェクトの「死生観」という言葉を取り上げる際に、ユダヤ教のテキストの中から「死生観らしきものを抽出する」という試みを本ワークショップでご発表いただいた。その際、殉教者をキーワードにヒゼキヤ王の記述に関するテキストをご紹介された。

 ヒゼキヤ王は紀元前700年頃のユダ王国の王で、病に臥し、死を恐れながらも、神の癒しによって15年の寿命を長らえた。この出来事についてのテキストは、イザヤ書と列王紀に詳しく、特にイザヤ書に多い分量がさかれている。これらテキストを読む際に、古いところから新しいところへ行くものか、新しいところから古いところへ下がっていくか、二つの観点がある。後者の視点に立つならば、第二神殿時代の目でヒデキアのテキストを読みこむことで、テキスト誕生の背景が明確になる。第二神殿時代で特徴的なのは、当時の自然観が直接死生観に影響したというものである。これは、自由意志を否定もせず肯定せず、また否定もし肯定もしたパリサイに多数が偏ったことからも伺い知ることができる。パリサイは、運命についても同様に否定と肯定を尊重した一派である。

 先生のお考えは、個々の自然観が死や生を規定するというもので、ヒゼキヤ王をめぐる二つのテキストでは、イザヤ書が難解な内容でありながらも、それはひとつのリアリティをもって発信されうるものということであろうというものであった。

 

 


 新たに得られた知見としては、ご発表後の質疑応答で、テキストに関する各種の宗教ではずいぶんスタンスが異なるということが判明した。手島先生は、「言語とリアリティを同一視することには懐疑的。テキストに特化して考えていくのが、わたしの客観主義」とおっしゃったのに対し、中村信博先生は、テキストにリアリティを見ようとすることに難色を示された。また、釈撤宗先生は、仏教にはカノン、つまりは基準のようなものはなく、仏教には言葉に対する懐疑は常に付きまとうというと述べられた。この違いは、単に机上の議論として説明される以上に、それぞれの宗教者や宗教教団の戒律や規律、生活態度にまで敷衍して考えてゆくこのできる差異であると感じた。(RA本多真)

「死生観と超越」研究の展望 ──神道の死生観の現在

仏教<外>の諸宗教、仏教<内>の諸教派、という宗教多元のなかで<仏教>を考える

Unit2
Date 2010年7月13日(火)16:00 ~ 17:30
Place 龍谷大学アバンティ響都ホール(会議室)
Presenters 櫻井治男(皇學館大学教授)

龍谷大学仏教文化研究所・共同研究「<仏教>思想の対話的研究」グループ

人間・科学・宗教 ORC「死生観と超越 ──仏教と諸科学の学際的研究」共催

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櫻井先生の発表は、以下の問題意識のもと、すすめられた。
①「死」の儀式について。地域社会で神葬祭がどのように受容されているか、儀礼的なところを焦点として。
②死生観を語る上での、研究課題。

 発表は全体的に、神葬祭の研究状況と、神葬祭の現場状況を俯瞰したものであった。以下、発表の論点を整理する。
 

 
 「神葬祭」というキーワードをあげられた。神葬祭とは、神道葬祭のことで、「葬」は葬儀を意味し、祭は御霊の祭り、すなわち祖霊を祭るの意である。神葬祭は、日本固有の儀式という議論がある一方、近代国家との関り、明治期に新しくできあがったもの、という議論も存在する。また、神道独自の神葬祭の固有性ということで考えれば、神道の儀式に関する頼れる資料が少ないため、確かめることが難しい。そのため、神葬祭が古いか、新しいかの議論よりも、もっと本質的な議論、学問研究が必要だといえる。一方で、地域の民俗性の問題があることも置き去りにはできない。実態調査が必要だといえる。

 

 それでは、「神道の死生観」の研究の概要はどのようになっていたのだろうか。神道の死生観の研究の派生の源流を探ると、そこには3つの視点がある。1つには、それが神道の研究の流れの中から派生したテーマであるということである。たとえば中世の吉田神道というものがある。近世には京都の吉田家は全国の神主を統括するようになった。その中から吉田家の考え方の中から死生観について研究が進められたという論点がある。2つは、固有信仰の中から解明しようとする視点である。3つには、神葬祭の実践上の研究課題から解明しようとする視点である。これは神社本庁、すなわち宗教法人にのっとったところから社会的な意味も含む葬儀の「かたち」としての葬儀が統率する動きを確認することができる(ガイドラインの制定)。このことについて、神社本庁は「神葬祭のしおり」を刊行した。しかし、まだまだ実際の現場では、議論はここに踏襲されているとはいいがたい。たとえば「遺体のお払い」すなわち、「死者をお払いすることはできのか」や、あるいは「御霊をいつ、どういう状況の中で移すのか」などといった現場からの議論について、今後さらなる研究が必要だといえよう。神社本庁は現在、全国の儀式を統一する方向で動いており、現状の掌握作業のための実態調査が続けられている。
 神社本庁はガイドラインの中で、神葬祭は、厳密にみれば、2つに分けることができるとしてる。1つは神葬祭、2つは祖霊祭である。神葬祭を葬、祖霊祭を祭、と理解することができるが、限定すると、最初の神葬祭(葬)を神葬祭と読んでいる。

 

 死生観の研究としては、安蘇谷正彦『神道の死生観』という本が参考になる。ここでは3つの視点が紹介されている。1つに、人間観および死について、2つに死後観、3つに死の対処法(どのように死に向うか)である。3つめの視点は、すなわち、生にどのように向うかという問いである。ここでは、「死に対する特別な対処法がないということを悟る」という立場を強調することができる。本居宣長の態度を参考にしてもわかるように、彼は死は穢れており避けるべきと説きながらも、自身の葬儀は、死を積極的にとらえた。つまりは、死に直面するとは、アンビバレントな状況をもたらすということがいえるのである。

 

 最後に、これからの研究課題としては、「死生観の確立」、「神葬祭における「祓」の位置づけ」、「各地の神葬祭の慣習調査」のそれぞれの充実が求められている。


 

 

 新たに得られた知見としては、神道の死生観の研究の中で、「死」ということがやや強調されているという印象をもったが、「死」を考えるということは逆説的に「今」の「生」に結びつくという視点が見いだされるという発見であるという。これを先生は(中今観、中今思想)とおっしゃったが、死のことを考えることを介して、「生」や「今」にたどり着くという、神道の死生観に、仏教の死生観にも通じる側面をみることができる。仏教の相即の論理では「生死即涅槃」などと説かれたりする。宗教とは「死」を説きながらも、同時に「生(今)」を機軸とした論理構造にあることに改めて気付かされた。ここにみる神道の仏教の共通性は、東洋思想の特色であるのか、そのところを今後の課題として、考えてゆきたい。(RA 本多真)

研究談話会 カトリック的死生観のゆくえ

仏教<外>の諸宗教、仏教<内>の諸教派、という宗教多元のなかで<仏教>を考える

Unit2
Date 2010年6月8日(火)15:00 ~ 16:30
Place 龍谷大学(大宮学舎)清風館 B103教室
Presenters 寺尾 寿芳(南山宗教文化研究所研究員)
Participant コメンテータ:共同研究 member(杉岡孝紀・高田信良)

龍谷大学仏教文化研究所・共同研究「<仏教>思想の対話的研究」グループ
人間・科学・宗教 ORC「死生観と超越 ──仏教と諸科学の学際的研究」共催


「煉獄」や「聖徒の交わり」など、カトリックの信仰世界でも、他宗教と同じく、死後生を中心とした死生観を構築してきた。しかし、近代化のなかでこのような伝統イメージは事実上もはや力を失っている。他方、われわれは親しい者との永訣において穏やかな旅立ちと将来の再会を期待し、また自らの死への過程においては自己の浄化を願う。こうした不変の願望がいかに伝統的な発想や感性と出会いうるのか。これは、キリスト教の日本における「インカルチュレーション」 (文化内開花)の問題でもある。発表者個人の模索に基づく一理解を提起し、ご批判ご助言を賜りたい。

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 先生はご発表の中で、「生前煉獄説」という体験的世界の具体例を紹介された。カトリックではほとんど語られることがなくなった「煉獄」を、日本発のカトリック的瞑想である「内観瞑想」によって追体験するというものである。
 このような着想に基づいた研究を始められた発端は、現代日本におけるカトリック宣教の「敗北」の気配が濃厚であるといえるからである。背景には二点の問題点がある。一つは「日本のカトリックが歴史と向き合ってこなかった」こと、二つは「日本人の死生観とカトリシズムがリンクしえなかったから」、すなわち「精度の高い受容を理想視」してきた日本のキリスト教界の姿があるといえる。そのような状況下で、死者との再会を満たすものとして、カトリックの世界で唱えられてきた「煉獄説」を取り上げて、「煉獄説」の追体験として「生前煉獄説」を想起する。
 「生前煉獄説」の具体例として、日本のカトリック教界では、藤原直達(1944-)の内観療法が重要な事例としてあげられる。藤原は父親の死後を内観療法で体験したという。これは生前煉獄の体験であるといえるのではないかと先生は位置づける。ちなみに先生は煉獄を「生前において最愛の死者との関係性において受動的に与えられる不可避の苦悩によって、生前から始まる浄化過程である」と述べられておられる。
 ご発表では他にも、藤原が仏教の唯識やユング心理学への思索を展開するなど、思想的発展の余地に富んでいることを述べられたほか、内観療法の実践過程で発生する暴力の潜在性にも言及され、「できるだけ開かれた模索検証の場が象徴的にもふさわしい」と内観療法の問題点についてもおさえられた。その上で、「生前煉獄説」は様々な情動を離れて「悲しむ経験」に寄り添う「穏やかな煉獄」を理想としてシステム化されることが望ましいといえるのではないだろうかと、「穏やかな煉獄」という考え方も示された。

 新たに得られた知見は、カトリック的瞑想としての「内観療法」が「死後の世界」を俯瞰する体験に結びつくという可能性についてである。私はこの言葉を、自己の本来的姿を観察することや、観察されたことを通した内省の意味であるというふうに捉えていたが、この言葉には、今生の生命以上の時間スパンが内包されるようである。内観体験の実例についてまったく無知な者にとっては、死後の世界を「観る」試みからのご指摘は、大変刺激的な内容であった。(RA本多真)

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