【記録】仏教と自然科学-鈴木大拙とアインシュタイン-

龍谷大学 人間・科学・宗教 オープン・リサーチ・センター
公開講座(UNIT 1主催)

「仏教と自然科学-鈴木大拙とアインシュタイン-」

金子務
(大阪府立大学名誉教授)

2006年10月5日(木) 15:00~17:30
龍谷大学 大宮学舎 西黌2階大会議室


 金子務(大阪府立大学名誉教授)

これからここで座らせてお話させて頂きます。どうぞ皆様も足を崩して、楽な姿勢でやって頂けたらと思います。予め資料をお配りしておいて頂いたんですが、ちょっと確認してください。最初に、レジュメが1枚あります。それから資料1と称するものが裏表で、各々2枚あります。そして、資料2の後ろ側に資料3というものがついております。その後ろに、資料2が裏表あるんですが、抜けている方はいらっしゃいませんか。全部揃っておりますか。それでは、資料に基づいてお話させていただきたいと思います。
まず科学と宗教と言いますと、すぐにヨーロッパでは宗教裁判、例えばガリレオの裁判とか、そういうようなことで、科学と宗教というものは非常に対立するものであると考えます。それで、ガリレオはつい最近ローマ・カソリック教会で、あの裁判は無効であったと、実際に私も随分ガリレオ裁判のことは調べた経緯があるんですが、これは、要するに訴えられた根拠というのが、実は今の法律でいうと事実無根、つまり裁判の成立そのものがかなり怪しいということで、あれは間違いであるということを、正式に前の法王が認定したといういきさつもあります。しかし、それは置いておいても、科学と宗教は対立するものだと、お互いに目的も違うし、方法も違うし、世界観も違うと、そういったことで、両方とも背中合わせの存在になっているんじゃないかというふうに一般には思われることが多いと思います。かつては例えば、科学と宗教の戦い、闘争とかですね、そういった本が翻訳されて出たこともございます。しかし、近年になりまして、例えば科学自体の成立ということが随分色々と調べられていくと、実はヨーロッパ中世、12世紀あたりから、例えば12世紀に大翻訳運動などがありました。これは、シチリアのパレルノというところと、それからスペインのトレドというところと、それから今のトルコですね、コンスタンチンノープル、今はイスタンブールと言っていますが、そういうところで大翻訳運動というのが展開しまして、そこでヨーロッパ中世の人たちが忘れ去っていた古代のギリシア、アリストテレスであるとか、プラトン、アルキメデスであるとか、その他の人たちの文献がイスラム文化圏からヨーロッパ文化圏へと翻訳される大運動がありました。それが基になってルネッサンスというのが展開していくんですね。それで、14世紀頃、やはり色々と天文学的な検討、ニコルオレイブとか、ビリダンとか色んな神学者が沢山出てまいります。そういった人たちの議論の中から、実は科学的な思考というのが芽生えてきました。例えば、ヨーロッパ世界の話なんですけれども、信者が増えれば神様の慈愛というのが増えるのかという議論がありました。それで、神の慈愛というのは、信者が増えればどんどん増えていくのか。それで、それについて例えば、それではどういうふうに信者が増えていけば、慈愛が増えていくのかという量的関係をあらわす式を考える人なども出てきて、実はそこから対数とか指数という考え方が生まれてきたんですね。ですから、歴史的に見ても宗教的な議論の中から科学というのが実は生まれてきているといういきさつもかなりあるんじゃないかと思うんです。勿論それだけではありませんけれども、科学が成立するためにはもっと色んな要因があるんですけど、科学と宗教というのは必ずしも背中合わせでお互いに否定しあう。つまりお互いに科学を立てれば宗教が立たない、宗教を立てれば科学は立たない。こういうのは、矛盾的関係というんですけれども、そういう矛盾的関係にあるものではない。それで、実は今日のテーマである鈴木大拙、それから私はかなりアインシュタインのことをずっとおっかけてきておりまして、アインシュタインの研究で随分色んな本も書いており、色々やっているんですけれども、このアインシュタインなども少し入れながら、鈴木大拙における科学と宗教の問題というのはどうなっているんだということを皆様にお話しておきたいと思ったわけなんでございます。
それで、始めに年代を書いておきましたけれども、鈴木大拙さんは1870年に生まれて、1966年、つまり明治3年に産まれて昭和41年、満95歳、数えで96歳でお亡くなりになったわけですね。一方、アインシュタインも書いておきましたが、アインシュタインは鈴木大拙が産まれた9年後に産まれてるんですね。1879年、そして、11年前に亡くなっている。つまり、大拙の長い95歳の人生の中に、すっぽりアインシュタインの人生が入ってしまう。アインシュタインは78歳で亡くなりました。そういう二人なんですが、この二人は実は残念ながら会ったことはないんです。ただ、松ヶ岡文庫の所蔵のものを調べてみますと、アインシュタインの相対性理論に関する本が2,3冊入っています。ですから、或は何らかの関心があって本を読もうとしたのかもしれません。ただ、タゴールとかその他の人たちには会ってはいるんですけど、アインシュタインもタゴールなんかには会っているんですけれども、鈴木大拙に会ったということはないんですね。ただ、大拙さんは、今年が没後40年ということで、記念行事をやっていまして、今最後の展覧会を京都でやっています。最初に鎌倉、それから金沢、そして京都でやっているんですけれども、鈴木大拙は一貫して科学に対して非常に肯定的でした。科学が必要なんだと、宗教にも、日本人にも必要なんだと繰り返し色んな場面で言っていたんじゃないかと思います。例えば、戦争中にあるエッセイ、居は気を写すという、つまり環境というのが国民性を決めるということに触れまして、こういうふうに言っています。「細かな根付を彫っていた鑿では、龍門の大露仏は刻まれぬ」と。つまり、根付細工は日本人は非常に得意ですよね。非常に見事な根付細工は、発達しているわけです。美術品も沢山あります。だけど、そういったもののみでは、中国に龍門の大仏というのがございますよね。ああいったものを刻むことはできない。日本人も抗争の上、或は技術の上で一代飛躍がなければいけない。それには科学的反省が必要なんだと、そういったことを言っているわけです。それで、鈴木大拙の若い頃に書いたものというのが、皆さんにお配りした資料の冒頭に3冊本が書いてありますが、『前途日本文化』は昭和15年ですから、若いといっても中年のときですが、その下に書いてある『真宗教論』と『大乗仏教概論』とありますが、最初の処女作がこの『真宗教論』です。これは、わずか大拙が26歳のときに書いているんです。これは、実に驚くべき内容を持っていると私は思います。これだけのエネルギーとパワーを鈴木大拙は示したんだということは、鈴木大拙はご存知の通り21歳のとき、つまり明治24年の夏、初めて鎌倉の円覚寺で今北洪川老師に参禅したわけです。それで、今北洪川老師というのは、これは大変な傑僧でございまして、円覚寺の管長をやっていました。ただ翌年、今北洪川老師は亡くなったんです。ただ、亡くなる前に今北洪川老師が自分の後任は釈僧圓であると、釈僧圓はまだ当時若干30代、この人は福沢諭吉門下の人です。ですから、普通のお寺の坊さんの経歴から見たらかなり違うんですけれども、ただこういった方を、30代の釈僧圓を円覚寺の官庁の後任に指名したんです。これはかなり破天荒なことですね。勿論反対する長老たちも沢山いたわけです。だけど、今北洪川老師は自分が選んだんだから間違いないと、全ての不満を封じてしまったという、それだけの今北洪川老師の偉大さがそこにあったんですけれども、それで実際に期待に応えて釈僧圓老師は大活躍されたわけです。しかも、禅の国際化、仏教の国際化というようなことでまず先鞭をつけられて、その路線の中から鈴木大拙が育っていったわけです。ですから、釈僧圓がいなければ鈴木大拙はありえなかった。それからまた、釈僧圓の紹介でアメリカのポールケーラフってという方がいました。オープンコートという出版社がシカゴの郊外のラサールというところがあるんです。今日でもその建物がそのまま残っておりまして、そこは記念館になる予定でございますが、そのポールケーラフのいたオープンコートという出版社に12年勤めました。ですから、鈴木大拙は最後は東大にも入り、東大の選科の学生にもなりました。しかし、そこも中退するんですね。それから、先程小学校卒以外は全部中退ではないかというような話で、中学じゃないですかという話を聞きましたけれども、あれは呼び名の問題も一つはあったかもしれませんが、とにかく普通の経歴でいうと殆どみんな中退なんですよね。ですから、今の日本の学歴社会から考えたらおちこぼれ、完全におちこぼれですね。だけど、そのオープンコートが、いわば大拙にとっては大学院みたいなものだったと思います。しかも言葉の環境が全然違う。しかも、オープンコートというのは、当時ヨーロッパのドイツ系の哲学をやる人や、科学哲学なんかも関係する人たちとか、エマーソンとか、色んな当時のアメリカの最高の知識人たちが出入りしていたというような環境の出版社でした。そこで修行して、英語で書いた本が今日そこに書いてあります『大乗仏教概論』という本なんですよ。これが明治40年です。これが、英語の最初の出版物です。これは昨年ですか、岩波から翻訳が出ておりまして、日本語で読める形になっていますけれども、この『真宗教論』にしても、『大乗仏教概論』にしても、大拙が非常に若い、猛烈な勢いで書き上げた書物でございます。そういったものを中心として読んでいきますと、科学と宗教について大拙がどういうふうに考えていたのかということがよくわかってきます。というのは、やっぱりシカゴの郊外のラサールというところに、19世紀末から20世紀の初めにかけて居たわけですけれども、その時期というのは、ヨーロッパでは丁度産業革命が大進展しておりまして、それを追いかけるようにしてアメリカの産業革命がまた大展開していきます。それで、シカゴなどは最先端の都市の一つです。その郊外に居たわけですから、アメリカを通して科学技術の良い所、それから悪い所、そういったものを随分見聞きしたんだと思います。そういったことが背景にあって、科学についても色々と大拙は考えていったんだろうと思います。ちなみに、1907年と書いてありますよね。『大乗仏教概論』を英語で出版したのが、ロンドンの出版社から出版したんですけれども、1907年の2年前の1905年というのがアインシュタインの奇跡の年といわれる年です。つまり、アインシュタインが相対性理論とかノーベル賞を貰うような三大論文を立て続けに発表していた。しかも、アインシュタインもこの当時は大学の先生とかではなくて、ベルンの特許局の役人でした。つまり、正規なポストにいたわけではありません。この時にやっぱり、例えば南方熊楠という方はみなさんご存知ですか。南方熊楠もこの頃ロンドンにいました。南方熊楠もやっぱり非常勤の形で、ロンドンのブリティッシュミュージアムにいたわけです。そして、そこで働いていたわけです。それで、やはりブリティッシュミュージアムというところが南方熊楠にとって大学院みたいなところだったんですね。そういった時代ですから、今日みたいに形が全て整ってしまって、そこからはみ出たら再起できないという環境ではなかった。ですから、鈴木大拙もオープンコートみたいなところにいて、そこで大学院に相当するような勉強を積み重ねながら、自分の思索を深めていったというように考えたらいいのではないかと思います。
それで、科学と宗教の関係についてどういうふうに言っているか。初めの所を読ませて頂きますと、最初の二つの引用は、鈴木大拙が『大乗仏教概論』の中で言っている言葉です。「宗教と科学が互いを理解することなく作用するなら、どちらも一面的なものとならざるをえない。」、「想像力というものは、宗教だけの占有物ではないし、一方弁別や推理というものは科学が独占しているものではない。それらは相互的相補的なものである。一方がなければ他方は何もできない。」。つまり科学と宗教というのは、お互いに必要としあっているんだということを鈴木大拙ははっきり言っています。下を見てください。これはアインシュタインが言っている言葉です。「科学なき宗教は盲いであり、宗教なき科学は足萎えである」と、つまり、お互いがお互いが必要として初めて科学と宗教というのは成立しうるのだと言っています。それから二番目に引用してあるのもアインシュタインの有名な言葉ですけれども、これは実はアインシュタインが日本に1922年、大正11年に43日間日本に丁度今頃、11月17日から12月30日まで日本に滞在しました。そして、アインシュタインブームというものを各地で巻き起こすんですけれども、その日本に来る1年前にアインシュタインは初めてアメリカに行くんです。つまり、1921年、大正10年です。その時に、アメリカのユダヤ教のラビ、つまりユダヤ教というのは聖職者という人はいませんから、ラビという人が知識人で色々と講義をしたりする。その人が聖職者に代わるような立場の人たちなんです。そのアメリカのニューヨークに住んでいるラビが、アインシュタインは無神論者なんじゃないかと、無神論者なんかを我々は呼ぶわけにはいかないとアインシュタインに電報を打ったんです。「Do you believe in god? or not?」と、汝神を信ずるやいなやということで、それでそれについて電報で、しかも50word以内で返事を返せと、これも随分無礼な電報だったと思うんですけれども、それについての返答なんですよ。私は「人事に介入する人格的な神は信じないが、スピノザの神は信じる」と、これはある意味では一休さんのとんち話みたいな話なんですけれども、つまり人事に介入する人格的な神というのは、キリスト教、或はユダヤ教的な神を指しているんです。キリスト教、ユダヤ教的神というのは、これは姿、形こそわかりませんが、しかし人間の声を聞き、人間に語りかけるというような人間と交渉できる神ですから、だから人格的な神です。ユダヤ教ではいわゆる一神教、キリスト教もイスラム教も砂漠の宗教ですから一神教です。ユダヤ教徒は自分たちの神のことを、ヤハレの神といっていますよね。キリスト教徒はエホバ、それから、5、6世紀に出てくるイスラム教徒たちはそういったものを全部受けて、自分たちの神をアッラーの神と言っているんですが、だけどそれはみんな呼び名が違うだけであって、キリスト教にしてもイスラム教にしても、一番古いユダヤ教にしても一神教ですから、全部同じ神様なんです。そういった神は人格的な神なんですね。人間に対してこらしめ、苦しみを与えるとか、例えばアブラハムというのが最初に試された預言者ですね。神に対して義をまっとうするのであれば、お前の息子を犠牲として葬って自分にささげろといったという有名な話がありますよね。アブラハムは本当に自分の息子を葬ろうとしたんです。だけど、その直前お前の義はわかったということで、それは止められたという話になっています。それは有名な、今のエルサレムの、例のユダヤ教徒たちがお祈りをやる嘆きの壁の上にイスラム教徒の聖域があるんですが、そこのところは真ん中に岩があって、その岩の上がまさにアブラハムが息子を裁こうとした岩だといわれています。その岩は同時に、後にその岩の上からマホメットが昇天したところであるとも言われています。それでイスラム教徒の聖地になっているんですが、だけどユダヤ教徒に言わせれば、そこはアブラハムの岩なんだから本当は自分たちのものだということがあるんですね。だから、宗教上の問題というのは非常に深刻なんですが、そういう関係にあります。だけど、このアインシュタインはそういう人間のことに介入してくるような人格的な神は信じないと、だけどスピノザ的な神は信じる。これは実は重要なんです。スピノザ的神というのは、殆ど仏教的、多神教的世界というふうに考えていいんじゃないかと思います。勿論この中に、合理主義とかいうものは入っています。だけど、要するにスピノザというのは、これはヨーロッパのキリスト教世界からは異端視されているし、勿論ユダヤ教からも異端です。それで、レンズ磨きをして、ライデンの郊外で哲学を磨いていった人物ですよね。それで17世紀、父親はスペインから追放されてオランダに移り住んで、その当時のオランダはかなり自由があった。だから、スピノザなんかも住めたんですね。そのために、スピノザの哲学を築き上げていったんですけれども、しかしスピノザの影響というのは現在に至るまでヨーロッパの中では非常に甚大な、いわば地下水脈みたいな影響力をもっているんですよ。例えばゲーテなんかはもの凄く影響を受けています。それから20世紀に入ってもジードとか、それから色んな文学者が、ヘルマンヘッセもそうですけれども、東洋とか日本とか、そういったものに対する限りない憧れ、それから仏教に対する非常に大きな関心を持っている文学者というのは、割合と多いですよね。そういった人たちの非常に大きな契機になっているのは、スピノザの影響なんですよ。ですからスピノザを介して実は東洋的なるもの、或は仏教的なるものというのが、非常に近しい関係になっている。これは例えば、第一次世界大戦後に新渡戸稲造さんが出てきて、新渡戸稲造という人はお札にも入っていますが、国際連盟事務局次長というポストについて、今日のユネスコの前身に当たる知的協力委員会というのを束ねていた人物なんです。そこのメンバーにアインシュタインもいたし、マリーキュリー、ベルグソン、ギルバートマレーなど、当時のヨーロッパのそうそうたるインテリたちがそこに入っていたんですね。それを束ねていたのが新渡戸稲造です。それで新渡戸稲造さんが書いているものを読んでみますと、当時の、第一次世界大戦後のヨーロッパの知識人たちは、俺たちはベクラインだ、つまり、ヨーロッパはこれでダメになるから我々はアジアにどういう希望があるのか知りたいんだと、だから是非教えてくれと、そういうことを色んな人に聞かれたということが書いてあります。ですから、それだけ非常に大きな関心というのがあるんですけれども、それは17世紀に出てきたスピノザ以来ずっとヨーロッパの底流としてあるんですね。それで、アインシュタインもそういう路線に乗っていたと思うんです。それから3番目の、「世界について永遠に理解不可能なことは、世界が理解可能だということである」、これは一回読んだだけではわかりにくいと思うんです。だけど、これは実に味わい深い、非常に大きな問題を含んでおりまして、これについては後で神秘なるものにどう向き合うかというところでもう一度触れたいと思います。
それで、今言いましたように、大拙にしても、アインシュタインにしても宗教と科学の関係というのは、相補的である。お互いがお互いを必要としていると、そういう関係にあると認識していたということをまず頭に入れておいて頂きたいと思います。それで、例えば、鈴木大拙は宗教と科学というのは、こういうふうにも言っています。互いに映発して、お互いに映し、刺激しあって、真理を許容するものとなすべしと、そういった文章で『真宗教論』という26歳の時に書いたものの中で、仏教と科学という一章もあるんですけれども、そういったところでもいっています。そして、仏教と科学の中の一節で、「もし仏教にして果たして真にたらんには、科学の赤炉に焼かれて経験の鉄槌に打たれてますます光明を放ちこそすれ、あにおとろうるの義やある」と、難しい言葉で言っています。これは、仏教と科学が非常にお互いがお互いを必要とすると、むしろ宗教というのは科学の洗礼を強烈に受けたほうがいいんだと、そうでなければ宗教の今後の、21世紀に向けての宗教の存続というのはありえないということすら言っているわけです。それで、もう少し鈴木大拙が言っている言葉がありますので、ご紹介しますと、勿論科学と宗教に対して、各々別々の定義に基づいて成立しているものであるということは鈴木大拙もアインシュタインも承知の上で言っているわけです。例えば、鈴木大拙は科学というのをこういうふうに定義しています。ある限られた事実の観測から始められて、それらの間に見つけられる一般性の法則を研究するもの、それが科学であると、だけど宗教というのは、宗教的感情を基にしているのであって、個人的な存在の漆黒、くびきを脱却して宇宙の霊気を呼吸したいという、そういう感情が宗教的感情なのであって、その上に宗教はあるんだと、だから、個人的生命が宇宙的生命に対する関係、そういったものを感得できるようなもの、それが宗教だというようなことも言っているわけです。しかし、そういう違いがあるにもかかわらず、それからまた科学というのはある意味では客観性であって、文字とか現口、言葉によって伝授できる。だから他人の手を借りて会得すべきものが科学だと、しかし宗教というのはそれにあらず。これは自らが感得しなければ、それを獲得するわけにはいかない。だけど、科学というのは文字によって伝授されるものであるから、他人の手を借りて会得すべきものであるとこういうふうにいっている。今の最後のところ、これはちょっと今ここでは保留にしておきます。つまり、科学も言語とか記号とか、明示的な言葉だけでなったわけではない。それが実は本日かなり言いたいところでありまして、ですから鈴木大拙の科学についての認識というのが、もう少し科学というものをもっと深く私は研究してきたつもりなんですが、そういう立場からすると、科学の中にも暗黙知の問題であるとか、無意識の問題であるとか、そういった宗教特有であるとか言われた問題が実はしみこんでおりまして、そういったものが実は共通の課題として今後提示されていかなければならないだろうと、そういうふうに考えているわけです。
では、次の「2 仏教にとっての科学問題、大拙を通して」、これは幾つかの問題があるんですけれども、今日は時間の関係で2点に絞ってお話させていただきたいと思って、そこにレジュメを用意しておきました。その1、神秘なるものにどういうふうに向き合うか。つまり、宗教というのは、これは神秘思想が背景にあるわけで、神秘的なるもの、つまり人間にとって不可解である。或は説明しきれない。そういったものが世界にあるという、それが神秘的なるものですよね。そういったものに対して、科学と宗教というのはどういうふうに向き合っているのか。特に鈴木大拙を通して考えているわけですが、鈴木大拙は、これは日本のいわゆる宗教というのは、鎌倉になって禅と浄土真宗が成立してくることによって、初めて日本人独自な仏教というものが形成されてきたんだと言います。それまではある意味では借り物、つまり外来をそのまま受け継いでいた。いわゆる後年になって鈴木大拙は日本的霊性、東洋的霊性という言葉でだんだん説明をし始めていくんですが、それは一つには若い時に書いた『大乗仏教概論』で打ち出したんですけれども、これは本当に大乗仏教を概論したものかどうかということについて、かなり手厳しい批判を浴びた本でもあります。これは、鈴木大拙がインドの大乗仏教をどれだけ正確に救いあげたかどうかということについての議論が細かく色々と展開されていったんですけれども、その後、これはやっぱり鈴木大拙はあくまで日本的な環境の中で仏教に取り組んで、仏教というものの洗礼を受けて、また仏教学をやっていたわけです。鈴木大拙自身もそれについてかなり反省を加えて、むしろ逆に自分がやっているのは実は日本的霊性、東洋的霊性といわれる。つまり中国で成立し、それが日本に入ってきて大展開してきたというような宗教学、それが鎌倉禅であり、それから鎌倉における浄土真宗であると、だから、禅と真宗というものがいわば日本的霊性を支える宗教の二大骨格であると、ですから、鈴木大拙は生涯に渡って二本柱を追いかけていったんです。ですから、鈴木大拙というと禅学者というイメージが圧倒的に強いんですけれども、必ずしもそうではないんですね。晩年は、親鸞の『教行信証』の英訳に打ち込んでおりますし、それから妙好人といいまして、浄土真宗の中の非常に素朴な、学問的な背景は全くないけれども、しかし仏様そのものになりきった信仰の持ち主というのは沢山輩出してくるんですね。新潟とか、東北とかのほうですね。それで、その妙好人の研究というのを通して浄土真宗の真髄というものに、大拙は迫っていきます。ですから、禅と真宗というものが大拙にとっての日本的霊性の二大柱であったと言って間違いないと思うんです。
それで、レジュメのほうに少し戻りまして、仏教にとっての科学問題、神秘なるものにどう向き合うか。大拙は分別の世界、これが思議の世界、それから無分別の世界、これが不可思議の世界というふうに分けて、一般に世の人たちはこういう神秘的なるものに対するときに、不可知論、要するにわかならい、人間にはわからないからほっとけと、俗に言えばそういう立場が不可知論になるんですが、そういう不可知論で処するということが多いわけです。例えば、科学者で有名な19世紀のマイケル・ファラデーという、これは蝋燭の科学とかいうものでよく親しまれているイギリスの有名な科学者がおりますけれども、ファラデーはこういうふうにいっています。科学者というのは、教会を出ると宗教を忘れ、研究室を出ると科学を忘れるといっています。つまり、宗教のことを考えるのは教会にいるときでいい、科学を考えるのは研究室で考えればいいと、後は科学も宗教も考えないで世俗の人として普通に生活していればいい。多くの人たちは、だいたいこういう立場ではないんでしょうか。だけど、これは非常に俗化した不可知論と思いますけれども、これではやはりいけない。それで、例えばアインシュタインですが、先ほどちょっと説明をしなかった言葉、「世界について永遠に理解不可能なことは、世界が理解可能だということである」。これはもの凄く味わい深い、それからもの凄く重要な問題です。ここまでの発言をした科学者というのを私は知りません。つまり、世界は非常に謎に満ちている。その世界を我々は研究しているんだということを科学者はよく言うわけです。ですから、謎に満ちた世界について我々は少しずつ解き明かしていけば、科学的研究はできるんだというようなことは言うんですが、しかし、もう一段先のことをいうわけです。
世界について我々は研究していけば、何とか少しずつわかってくる。そういう仕組み自体が自分にとっては理解不可能だということをアインシュタインは言っているんです。それで、これと関連して、例えばアインシュタインは、彼が日本に来た時に、初めてアインシュタインに会った人は桑木或雄という物理学者、これは初代の科学史学会の会長になった人物です。この桑木さんに記念の色紙を残しているんですけれども、それも私は桑木さんの家で見せて頂きました。それに書いてある言葉、これは非常に印象的な言葉です。自然は内気な女神であるというんです。簡単な言葉です。つまり、アインシュタインはここで何を言いたかったかといいますと、内気な女神というのは、科学者は色々と自然について秘密を教えてもらおうと思って問いかけるわけです。だけど、内気な女神だから応えてくれないんですよ。ですから、色々手を変え、品を変え、色んな手順を尽して、それで自然のほうで気が向いたら応えてくれる。そういったものが自然だという意味です。しかし、それでも最終的には少しずつわかる。ですから、最終的にはわかるというものはアインシュタインは持っているんですが、これはガリレオ以来の実はヨーロッパの、特に数学・物理学的系譜にたつ研究者、科学者たちの多くの信念を支えてきたものですね。最終的に自然というのは理解可能であると。だけど、もう一つ、最終的に理解は多分できないであろう。だけど、とにかく人間は努力して、最終的にはわからなくても、少しずつあるところまでわかればいいんだと、つまり自然というのがどういうものであるかということについて、実は二つの系統がありまして、これは、今日お配りしてある資料の、アインシュタインの謎と自然の可能性というところと、それから科学はキリスト教的なのかという、資料の中でも後にちょっと読み返してくださると、そこにも書いておきましたけれども、実はヨーロッパで科学が成立してくる時に、自然について二つのイメージがありました。一つはアインシュタインが言ったように内気な女神である。だけど、内気な女神というのは、最終的には答えを示してはくれるんです。だから、だんだんとわかってきます。それを支えているのは、自然というのは、神によって書かれた書物である。言葉を記載したのは聖書ですよね。自然というのは、神の作品である。だから、それについて調べていけば最終的にわかるはずだ。わかるようになっている。人間も神によって創られた作品である。それから、人間が対象としている自然も神の作品である。だから、そういう神の作品である人間が、神の作品である自然をわからないはずがない。これは手を尽していけばわかるであろう。これは、16世紀末にガリレオが書いた宣言です。ですから、自然はそういう理解可能な、数学的な記号で書かれた書物であるという信念をガリレオは述べたんです。ですから、数学的な記号などを駆使していけば自然については、最終的にわかる。それが現在のコンピューター路線まで続いている非常に大きな科学のトレンドですよね。それで、多くの場合科学というと、そういう路線をたちまち想像するのではないかと思います。
だけど、実は17世紀に科学が成立するときには、もう一つの太い路線がありました。その路線というのは、これはフランシスコ・ベーコンという人物、ベーコンという人も気の毒に後代誤解されてひどい目にあっている人物で、私はベーコンの名誉回復をしてあげようと思って色々と努力しているんですけれども、中々努力が足りないんですが、ベーコンはそういう路線には反対だったんです。ベーコンは、自然というのは、人間が数学的な記号を駆使すればわかるような、書物みたいなものではない。自然は森だ、迷宮だといったわけです。だから、森であり迷宮である自然を、どうやって、人間が合理性を発揮して、それに対してどういうふうに対処したらいいか。その時ベーコンが唱えたのは、自然史という考え方を提示したんです。今のナチュラルヒストリー、博物学ですね。自然史、つまり、とにかく森であり迷宮なんだから、人間が色んな自然にぶつかって、その意味はよくわからない。だけど、とにかくぶつかったことをみんなで一生懸命、手分けして、記載していこうじゃないかと呼びかけたんです。これは、17世紀初頭です。それから、船長さん、探検家などの人たちがこぞってベーコンの精神に基づいて作られたロイヤルソサイティー、これはイギリスのロンドンにありました。これは世界最初の学会です。そこに、みんなが色んな報告書を寄せてきました。それは、海の上でタコに襲われたとか、お化けみたいな怪獣に会ったとか、二重胎児を見たとか、色んな報告が集まってきます。その中に、例えばニュートンの光学実験とか、そういった実験も実は入っているんです。だから、19世紀とはそういったごった混ぜの中から近代科学というのが出てきたわけで、今日私たちが知っているようなスマートな科学ではないんです。そして、その中には、二つの巨大なトレンドがあって、その中で科学は成立してきたということをまず知っておかないといけないと私は思います。そういうことで考えれば、自然がもし迷宮であり、森であるならば、自然が神秘的なるものに満ちていたってちっともおかしくないわけです。ですから、今日の種の多様性の問題であるとか、生命倫理の問題であるとか、そういった問題というのは、これは必然的にこういった路線の中から出てくるんですね。だけど、先ほどの聖書的、自然の数学的記号で書かれた書物であるという記号論的、書物的世界の自然観からは、こういった生命の複雑性、自然の複雑性という考え方はなかなか出てこない。そういったものは消えていってしまいます。実は、17世紀の初頭はそういったものがあったんだけれども、18、19世紀と産業革命が進展していく中で、そういった森、迷宮的世界観、自然観というものが後退し、消されていくんです。それで、博物学というのは近代的科学ではないんだから生物科学をやれと、それで生物学という路線に切り替わっていくんですね。そのために、一時期後退していくんですが、現在は見直されてきています。ですから、アインシュタインもそういうガリレオ的路線、数学的、記号論的、書物的路線の自然観を担っていたことは確かなんだけれども、しかしアインシュタインが違うのは、そういうことがわかるようになっているということが自分にとっては摩訶不思議だと、説明しようがない。そういう謎をアインシュタインが持っていたということです。これが、やっぱりアインシュタインが一味違う科学者になっていた存在の根拠を照らしている問題だと私は思っています。
それで、大拙は色々とおもしろいことをいっているんですが、大拙は自分にとって数学の式があるということをいうんです。それは、ゼロ=無限大という式です。つまり、これは大拙の式だというんです。これは、どういうことをいっているかというと、いわゆる『般若心経』をご覧になると「空即是色色即是空」、つまり、空、無というものと、色、つまり形あるもの、様々な自然的な存在、これは人間も含めて全部色ですよね。そういったものが空である。それからまた逆に、空の中から色が生まれてくる。だから、「空即是色」なんですね。こういった関係を、ゼロ=無限大という言葉で大拙は表している。それからまた、そういった神秘的なるものを論理、仏教もやっぱり論理を使ってあらわそうとすると、普通の論理でそれを捕まえるわけにはいかない。それで、Aは非Aなるが故にAなりという。これは、普通の論理学ではこんな馬鹿なことはありえないんです。だけど、仏教の中の、特に公案をめぐって様々な議論が展開されていきます。特に臨済宗は公案を立てて、公案に対する解を提出する。その様々な場面でこういう論理が展開されていきます。これは西田幾多郎が、絶対矛盾的自己同一、つまりAは非Aであると言っています。Aが同時に非Aであるということは、ないわけですよ。つまり、例えば僕が僕ではないということはありえないはずですから、この二つは成り立ちませんよね。僕が僕であるか、僕でないかのどちらかしかないわけですから、僕が同時に僕でないという存在であるということはありえない。それは、矛盾するわけですね。ですから、それは絶対矛盾です。だから、西田幾多郎は絶対矛盾とあらわしたわけです。だけど、僕が僕でないが故に僕であると、そういった論理です。ですから、これを西田幾多郎の哲学の一番わかりにくい、誰もが躓いてしまうところは、そういう絶対矛盾的自己同一ということの理解です。これは、鈴木大拙から来ていまして、禅なんです。ですから、禅の勉強をしないと西田幾多郎の哲学体系というのはわからないんです。だから、西田幾多郎の本だけを、私たちは若い頃は一生懸命読んでいたんだけど、なぜこんなことを言うのか摩訶不思議なんだけど、しかし例えば禅における公案という問題やなんかに触れて、そういったものから入っていくと、逆にそういった論理構築がされてくるんだということが理解できてくるということなんですね。
それで、これは鈴木大拙にまつわる話でね。二つばかり印象的な話があるんですが、一つは、柳宗悦の証言ですね。柳宗悦さんというのは、人間運動の大展開をしていった中心人物ですよね。日本民芸館というのが東大の駒場のキャンパスのすぐ近くにありますよね。柳宗悦さんは、この松ヶ岡文庫とも非常に関わりが深かったんですけれども、あの人が京都で探し当てて、この仏前のところにドラを寄贈しているんですけれども、ある時柳宗悦さんが大拙と話をしている時に、アメリカ人の女性がきて、大拙に仏とは何ですかということをいきなり聞いたらしいんです。そしたら、大拙はいきなりドラを叩いて、これが仏ですといったという話があるんです。それからもう一つ似たような話で、今度は西田幾多郎が鈴木大拙の話として書いています。これはある座談会で、やっぱり悟りとは何かというような話が出たときに、いきなり自分の前の机をつかんで、ガタガタと音を出して、これが悟りだといったというような話もあるんです。要するに、普通の常識で考えればめちゃくちゃな回答としかいえない話なんですけれども、だけど何が大事かというと、禅の場合は不立文字、言葉によらない。つまり言葉で説明するなんてことは、どうでもいいんですよね。ですから、事実をいきなり示せばいい。だから、直指、或は直入、そういう事実を直視する。言葉によらない。だから、例えば有名な話、仏とは何ですかと聞かれた時に、有名な坊さんが、麻三斤だと、これは坊さんが着る一着分の麻が三斤なんです。それで、麻三斤という言葉で答える。つまり仏というのは、あちこちにいるわけじゃなくて、今の私自身が仏なんだと、麻三斤というのは、僧という具体的なものをさしているんですね。ですから、一種のレトリックです。メタファーといいますか、喩えというか、そういったものを通して具体的な、いわゆる仏という抽象的なものがどこかにふわふわ浮いているんじゃなくて、お前そのもの、俺そのもの、生命そのものが仏ではないか。つまり、麻三斤という布、一着分の布でもってあらわしている生命体、それがすでに仏であるということをいわんがために、麻三斤という一つの解答なんです。私なんかはよくわかりませんけれども、そういった禅のレトリックというものが色々あるんですね。それで、レトリックというのは、何か悪いことのように皆さんは思うかもしれない。つまり、レトリックというのは、言葉の上のあやだと考える方が多い。だけど、そうじゃなくて、やはりレトリックというのは言葉で直接中々あらわせないが、しかし、言葉を使って表現しなければならない。そのために、出てきた問題なんですよね。だから、科学においても実はレトリックというのはもの凄く多用されているんです。科学においてもメタファーというのがあるんです。メタファーというのは比喩ですね。例えば、ニュートンが原子モデルを考えるときに、パチンコモデルというのを考えたんです。パチンコ玉です。パチンコ玉がぶつかって跳ね返る。だから、原子というのをパチンコ玉みたいに考えたんです。これはメタファーです。原子がパチンコ玉であるはずはありませんからね。例えば、そういったもので考える。そうすると、科学の場合には、そういったメタファーから出発していって、そこから色々と類推していきます。そして、それをうまく理論的に説明できるようなモデルというものを作っていくんです。だけど、色んなモデル、例えば経済学者は現在の経済のことを説明するために、色んなモデルを立てます。だけど、だいたいあったためしはありませんね。そういったモデルを立てて、モデルで説明するというのは一つのやり方ですよね。このモデルというのは、元々はメタファーから出発しているんです。メタファーからアナロジーになって、アナロジーからもう少し成長していってモデルというものが作られていくんです。だから、科学の中にもレトリックというものが当然含まれているのです。これは、何も禅だけがお得意の分野ではない。科学においてもレトリックは使っていますよという話であります。これは、大拙さんにも是非知ってもらいたいなと思うような話なんです。
それで、時間がだいぶせまっていますので、最後の、これがまた一番重要な問題ではないかと私は思っているんですが、無意識をめぐっての問題ですね。科学の世界で、無意識というものが見つかったのは20世紀に入ってからです。つまり、フロイト、ユングが出てきて、それでいわゆる無意識ということが科学の世界、つまり心理学の世界でのぼってきたんですね。この一番最初のきっかけ、特に大きな問題というのは、女性特有の病気といわれていたヒステリーですね。長い間ヒステリーというのは、女性に起こる病気であって、男はおこらないというふうに信じられてきたんです。それが、ひっくり返ったのはつい最近です。第一次世界大戦の時に戦場に男が借り出されていって、戦場でヒステリーになるんです。それをシェルショックと呼んでいました。シェルというのは弾丸です。つまり、女性が起こす症状と全く同じ症状を男が起こすんです。要するに、心身が統一されなくて、ヒステリー状況でまともに歩けない。横にはっていくとか、とにかくそこから立ち直るのが大変なんです。それについての記録映画も当時作られているし、色んなものがでています。そういったものを治療するために、フロイトは、これは非常に精神の奥底の、奥底のほうで障害を受けているんだから、そこから治していかなければ治らないということで、精神分析法というのを導入していくんです。それはつまり、怪我をしたというような外科的、内科的な問題ではなくて、精神そのものが病んでいくという問題、精神の奥底の闇の問題、そこが非常に人間の行動そのものを律しているというようなことが明らかになっていくんです。それで、20世紀に入ってから、フロイトの精神分析学、ユングの集合的無意識の分析とか、そういったことが展開していくんですね。特にフロイトは個人、一人一人の、産まれた時は赤子の如き状態で自分と他との区別がつかない状態、これをイドと言っていました。イドというのは、ラテン語でイド、ドイツ語だとエス、つまり英語でイットに当たる言葉です。ただ日本語ではイド、イド体験です。ですから、産まれたばかりの赤ん坊の状態、イド的状態、つまり自分と他とが溶融して、溶け合って一つの世界になっている。そこにはまだ自我というものが出てこない。だけど、だんだんと自我がでてきますね。イドからエゴが、自我がでてくる。そして、子供が成長し、社会に、或は学校などに行くと、自我をまた更に押さえつけるスーパーエゴというのが出てくるんですね。ですから、イド、エゴ、スーパーエゴという三つの段階の、いわば人格の三位一体論とよく言っていますが、フロイトはそういった形で無意識ということを説明しようとしたんです。アインシュタインも実は日記の中でイド体験ということを書いているんです。日本に来る船の中で、インド洋を船で渡ってくる中で、陽光に包まれて全く自分と自然とが一体になって、そういう一体感を自分は持った。これはフロイトがいうイドの体験だということを日記の中で書いています。これが1920年の初頭あたりのフロイトの有名な人格の三位一体論ですね。またユングのほうは、フロイトと結局仲違いしてしまいますが、フロイトはどっちかというとセックス、性の問題が非常に重要であって、それがリビドーという形で色んな人間の行動を律しているという立場で、性的な夢とかを分析することで、人間の奥底の無意識というものを解明できるという立場でしたが、ユングはセックスの問題を強調するのは間違いだということで、師匠から分かれてユング派というのを樹立するんですね。それで、ユングの貢献は集合的無意識ということを指摘したということですね。つまり、集合的無意識というのは、個人個人の中にある無意識の問題だけじゃなくて、例えば人類全体、或は民族全体、或はある地域の人たちが共通で持っている無意識の層がある。簡単に言えばそういうことですけれども、例えばそれは神話の形で露出してくる。各民族が色んな神話を書いていますね。その神話が実は集合的無意識の一つの表現形態だと、それから伝承、色んな物語もそうだと、それで、物語とか神話とか、民族の各地方の語り部たちが残している語りが色んな意味を持ってくる。そういったものを収集しようとする動きが、ユングの集合的無意識の中から出てくるわけですね。そういった形で、20世紀になってから科学の世界では無意識という問題が非常に重要なテーマになってきたということです。
それから、認識論やなんかの畑でも暗黙知ということが非常に注目されだしてきます。やはり1920年代以降です。特にそれを主張したのが、ハンガリー出身のマイケルポラーニーという哲学者なんですけれども、マイケルポラーニーが言っている暗黙知、つまりこれはタシットナレッジ、タシットというのはtacitと書きます。これは隠れたという意味で、ナレッジ、これは知識ですね。タシットナレッジ、これを暗黙知と訳していますが、特におもしろいのは、住み込みという概念を彼は出しているんです。これは、私は非常に秀逸な考え方だと思っています。というのは、色んな、特に技術的な知識を身につけるときに、この住み込みという概念がもの凄く重要なんです。つまり、例えば目の悪い人が杖をついて歩く。そうすると、杖の先に自分の目があるかのごとく、或は自分の腕が伸びて、自分の指が杖の先にいったが如く杖の先に住み込むわけです。そういう住み込んだ状態にならないと、自在に杖を使うということはできませんね。それから、若い学生なんかに話をするときには、君たちは自動車の免許を取るが、その時に、もし言葉だけで知識が伝達できるんであれば、教則本を読めばいいだろう。だけど教則本を読んだだけでは運転できずに、あちこちぶつけてひどい目にあうだろう。そのために、結局教習所に行くのではないか。では、教習所に通って一体何をやっているんだと、考えてみれば、あれは、要するに車に慣れるということですよね。だけど、車に慣れるということはどういうことかと言うと、あの車の大きさに自分の皮膚感覚が広がるということです。つまり、自分の体が車の大きさの状態になるように収縮しなければ、車の運転はできないわけです。狭い所をバックしたり、すれ違ったり、そうでなければあちこちぶつけてしまう。だから、車に自分がdwell in、住み込むような状態になった時に初めて車について習熟したという状況になるわけです。だから、今はそうでないかもしれないけど、昔は車を運転する若い女性は人格がよくかわってしまう。つまり非常におしとやかな女性が車を運転すると途端に乱暴な運転になるということがよくあったんです。あれは、自分で気づかないんだけど、要するに車を運転していると、自分の体が車と同じような大きさになって、自分が偉くなったような感じがしてきて、歩行者なんかは平民どもが地べたを歩いているというような感じになってくるからそういう問題が起こるんであって、しかし技術的なものを習得するには、dwell in、名詞形でいうとin dwelling、住み込むと私は訳していますが、そういう形で習得していく。それが重要なんです。だから、技術的なものを習得するのに、よくノウハウと言いますよね。ノウハウというのは、パテントとればわかるじゃないかと言う人がいるんだけれども、いくらパテントを取ったって、それだけではできないんですよ。つまり、パテントを使って実際に物を作っている人から直接聞いたほうがわかりいいんです。そうでないと本当のことはわからないんです。ということは、つまりパテントとか文字、言葉で表現できるものというのは、単なる表層に過ぎない。つまり、表層の下に暗黙知という広大な大海があって、そういう暗黙知という大海の中に浮いている氷山の一角が我々が使っている言語的な体系なんです。言語というものはそういったものです。ですから、言語の背後にはそういう膨大な暗黙知がある。それで暗黙知の了解がないと、暗黙知を伴う了解がないとお互いに相互理解できない。そういう構造だというふうに考えなければならない。ですから、科学の世界、科学的な知識を伝達をすることにおいてもそうなんですよ。ですから、鈴木大拙が科学的な知識は言語的に記号で表現できるんだから、他人が簡単に教えることができる。そして、伝達できると簡単に述べているんですが、残念ながら鈴木大拙さんはやっぱり科学について深い研究をされているわけではないから、多分そこが見えていなかったんだと思います。科学においても暗黙知の問題は非常に重要な問題です。よく科学の世界でノーベル賞がノーベル賞を生むと例えでいわれるんです。どうしてノーベルプライザーがいる研究室からノーベルプライザーが出てくるんだと、これは今の暗黙知ということを考えるとよくわかるんです。つまり、研究の仕方というのは、各々科学者の流儀があるんです。ですから、そこに入って科学者の流儀というのを色々と修行していくと、見よう見まねで覚えていくんですよ。それは必ずしも言葉で伝達できる話ではないんです。文献を調べるやり方とか、ディスカッションの仕方、問題の思考の立て方とか、色んな癖があって、それは先生だって自分が明示的に自覚しているわけではないから、だから、一緒にいる弟子たちが見よう見まねで習得していくんです。ですから、それは普通研究環境という言葉でいっていますね。だけど、研究環境というとわからなくなっちゃうんだけど、そういう暗黙知の世界というものが一つの世界を作っているんです。だから、落語家になるには落語家の師匠の家に住み込まなければならないわけです。住み込んで、雑巾がけから何から全部やっていかないと身に付かないというのはそういったことなんです。そして、今はそういった教育が忘れられているからまた非常に大きな問題なんですよね。
それで実はそういう科学の世界で、20世紀になって色々と発展されて、今まで言ってきましたが、そういった無意識というのは仏教の世界では、すでに千数百年も前から分かっている話です。阿頼耶識という言葉で呼ばれてきました。ここに阿頼耶識と暗黙知とあります。これは、華厳経とか楞迦経とかそういったものの中で阿頼耶識は詳しく述べられてきている。例えば、鈴木大拙がそういったことについてどう言っているかというと、岩波文庫に入っている『東洋的見方』という、上田閑照さんが編集したものですが、その中で、「妙」というエッセイがありまして、鈴木大拙が亡くなる5年くらい前に書いてるエッセイです。少し読んでみますと、フロイトのいう無意識や、ユングなどがいう集合的無意識、そういうものは仏教語にいう阿頼耶識にあたるとみてよかろう。しかし、集合的無意識とか、フロイトのいうイドとかそういったものは、仏教でいう阿頼耶識に当たる。もしそうであれば、千数百年前に東洋では発見されていたんですよ。その重要性に気づいていたということですね。しかし、まだそこでは本当の妙が出てこない。これは、実は大拙が言いたいことなんですね。そこから出てくるものにはまだ我が入っている。エゴ、我が入っている。我という字もそういうところに使っていいかわからないけれど、妙というものが出てくるには、もう一つ超えた形而上学的な無意識にならないといけない。妙というのは、この無意識から出てくる。その無意識は阿頼耶識をも突き破ったものである。心理学的な無意識から出るものではなくて、形而上学的無意識から出るものがある。そこに妙がある。非常に妙ということにこだわっているんですね。例えば老子の言葉などを引いて、有名な言葉、玄のまた玄、要するに時間以前、言葉以前のものを妙と呼んでいるわけですが、こういった妙というものが実は芸術についても、何についても重要ではないか。また他にも「妙」という題で書いているエッセイがありまして、そこでは妙という言葉をヨーロッパ語に訳してみようと思ったが、どうもぴったりこない。中国語の妙が一番気に入ると、英語ではワンダフル、或はミステリアスとか、マジカル、つまり魔術的な、ビヨンドシンキング、思考、想像を超えたなどですね。しかし、どれも積極的に妙という言葉に対応しない。しかし、聖書を読んでいて、こういう文句に突き当たった。創世記の中の言葉なんですが、And god sow everything that he has made、神がお作りになった全てのものを神は見た。そして、behold it was very good、それは大変いいと、そしてこのvery goodが妙だというふうに最後はいっているんです。このgoodは善悪の善でも、好醜の好でもないと、全ての対峙を離れた絶対無比、それ自身においてある姿そのもの、これが妙にほかならない。だから、いわゆる日々是好日といいますね。その好だといいます。毎日毎日がよい日であるという、好です。だから、エックハルトというドイツの神秘哲学者がいるんですが、その言葉で、every morning is good morning、つまり毎日の朝はいい朝だというgoodであると、また、これも平生心これ道、この最も平常なところに最も妙なものがある。それでこんな記号、oh wonderful wonderful and most wonderful wonderful and again wonderful、とこういう英語で書いたものを大拙は残しています。こういったことでもって、大拙は無意識という問題を超えた更に先に形而上学的な無意識があるということを言っています。これは実は私はまだよくわかりません。これをこれから考えていきたいと思っています。つまり、阿頼耶識というのは、大拙に言わせると、ユングやフロイトが考えた無意識とほぼイコールだというんです。本当にそうであろうかということを、必ずしも私は本当にそうかと、実はなかば疑っているし、またそれを飛び越えたところに、つまり心理学的な無意識のレベルの先に形而上学的無意識を考えないといけないというのが大拙の主張なんですが、形而上学的無意識というのは、先ほどの妙という説明の時に出てくるだけであって、それについての詳しい展開はしていないんですよ。それで、しかし、重要なヒントは与えてくれているんで、それを考えていきたいと思っています。
だいぶ時間が過ぎてしまいました。結びに入りたいと思います。科学と宗教という問題で、科学は先ほど申しましたように、科学の出自は、出はキリスト教的世界から出てきたことは間違いありません。ですから、科学はキリスト教的性格を担っています。これは間違いありません。だけど、先ほど二大トレンドがあると申しましたね。一つはキリスト教的世界から出てきた近代科学の路線というのはどちらかというと記号的、書物的イメージで括られている自然観なんです。つまり、数学的な記号、或は論理的な記号、そういったものを駆使して記述できるようなもの、それがいわゆる現在のコンピューター社会に繋がってくるような、要するにデジタル文化の中に一番極端に現れてくるような、そういった世界観に繋がってくる。それはまさにキリスト教的な世界観と直結しているといえるかもしれない。だけど、もう一つの路線、これは要するに自然は非常に複雑である。複雑怪奇だ、森だ、迷宮だと、人間がいくら頑張っても森の中で出会う木々一本一本について色々と細かな記録はできるだろう。また数本についての知識を束ねて、そこから類推はできるだろう。だけど、それは所詮また訂正されていかなければならない。つまり、それを帰納的知識とよく言っていますね。つまり、先ほどいった数学的な路線でいうと演繹的な体系です。ですから、初めにユークリッド幾何学体系みたいなものがあって、例えば三角形の内角の和は二直角であるという有名な定理がありますよね。そういうものは、例えば平行線というものを定義しておけば、そこから自ずから三角形の内角の和が二直角であるということは証明できます。ですから、これは演繹的な知識といいます。つまり、上から公理を立てて公理から引っ張り出していけば過ちなしに知識を獲得していくことができる。これが、演繹的な知識です。物理学にしても、数学にしても、そういった世界では演繹的な知識体系をたてるということが最終目標です。だから、宇宙方程式をハイゼンベルクという人が見つけ出したということで、後に訂正したんですけれども、つまり、一つの定理、方程式を見つけてしまえば、そこからすべてのものを説明できるという世界像が形成できるということが夢なんです。これは、演繹的世界です。
しかし、もう一つの世界が複雑怪奇で、森であり、迷宮であり、とにかくぶつかったものを皆さんで一生懸命、とにかく百科全書派というのは、まさにそういった路線で百科全書運動というのが展開したんです。とにかく、みんなで手分けして記載していって、知識を寄せ集めて、当面それでもって言えることは何かということでやっておこうではないかと、また必要があれば、新しい事実がでてきたらまたそれを説明すればいいではないかと、これは帰納的路線といっています。ですから、帰納というのは事実から出発して、事実の記載から出発して、だんだん事実と事実の間の規則性というものを積み上げていって、そして一般的な法則というものを作り出していく。だけど、それは新たな事実が出てきた場合には、その法則は訂正されていくという柔軟な考え方です。ですから、演繹とは逆で、上から降りてくるんですよ。いわば神様みたいなもので、最高のところを突破してしまえば、後はすべて説明していける。そういった世界が、演繹的な世界ですね。ですから、そういう帰納的世界、つまり森、迷宮的な世界というのは、これはキリスト教的絶対神の、キリスト教的世界観とは実はよく合わないんですよ。これは、むしろ仏教的世界観のほうが遥かに合うんですよ。ですから、私は仏教的世界観がこれからの新しい科学の側面ですけれども、それについてはよりうまく即応していく。ですからお互いに助け合って、大拙やアインシュタインが言うように、お互いに補足し合っていける世界というのがこれから大展開できるだろうというふうに私は期待しています。
それからもう一つ最後に書いていました生命の岩盤と自然法爾というのは、生命の岩盤というのはさっき言った阿頼耶識、或は暗黙知、そういった世界というのは無意識の世界です。無意識の世界の中に、実は生命の岩盤というのが実は浮いていて、そういう生命の岩盤からの返照、照り返しですね。照り返しを捕まえていくというのが、科学者としても研究する生命というものの神秘、生命というものの不可思議さというものを明かしていく根拠になっているんだという信念が実はあるんですね。これは、私の恩師で、真宗の在家仏教界の、今東大の正門の前に旧道学舎という学舎があって、そこはかつて三木清とか、谷川さんとかそういった人たちが通ったところなんです。明治になってから『歎異抄』の意味を再発見する役割をなした人物、近角常観という人なんですが、彼が起した在家仏教界の組織があって、そこの先生が私の先生でもあったので、私はだいぶそちらのほうの影響を受けました。その先生は生物学とか、癌とかそういったものをやっていた近代化学者なんですが、その先生がよく言っていました。要するに、そういう生命の岩盤に突き当たって、そこから戻ってくる返照を捕まえる研究でないと本物の研究とはいえない。今の分子生物学で色々とやっているような研究は、いずれどこかに行ってしまうような研究だよ、ということをよく口にしていました。要するに生命というのは、試験管の中で砕いて、特に分子的なレベルまで全部分解していってやるというのは、これはよくインビトロの研究と言っています。ビトロというのはガラスという意味ですね。試験管の中でやる研究ですね。だけど、生きているものをそのままで見ていくということを同時にやっていかないと、これはカタワになってしまうんですよ。ですから、今の科学者たちにも恐るべき問題は、今の分子生物学一点ばりの研究ばかりやっていますと、インビトロのまた最先端をやっているわけですから、それはさっきのデジタル文化圏の路線でずっとやっているわけですから、生命というものの本質が多分失われてしまう。これは、有名なポルトマンという、もう亡くなってしまったけれども、エラノス学会などで活躍していた動物学者がいました。ポルトマンがいっている自伝の中にも出てきます。科学者の中にも二種類いる。ポルトマンは舞台正面派だというんですよ。舞台があって、生命劇が展開している。その舞台の正面から見て生命劇の全体を見定めようとする。それがポルトマンたちの流れなんですが、しかしそれは今や少数派なんです。大方の科学者たちは何をやっているかというと、生命劇が展開していると、裏側に入っていって、裏側で何をやっているか、舞台の下の仕掛けとかだとかを事細かに一生懸命調べているわけです。それも勿論必要です。だけど、ポルトマンが言うように舞台正面から生命劇自体をマクロな意味で把握していく。そういったことをやっていく立場の科学的な研究ということを忘れてしまうと、やはりカタワになるんだと、それは宗教的な感情がまたそれを支えているわけですから、ですから科学と宗教という問題はそういう意味でも相補的なんですね。お互いにお互いを必要としている。また、自己反省を迫るものに、宗教にとっては科学によって自己反省を迫る。科学は宗教によって自己反省を迫る。そういった関係にあるんだろうと私は思います。
それから自然法爾というのは、これは要するにインビボーですよ。インビボーというのは、生きているままの状態で生命現象を捕まえる。それができることが一番望ましいわけです。私たちが生命というものを捕まえるときに、研究者以外の人たちは形から入るわけでしょ。カエルならカエルという形を見て、カエルで入っていきますよね。人間だってそうですよね。なにがあったって形があって形から入る。だけど、そういったことがすべて忘れられているんです。だから、形というのは二の次なんです。形ではなくて、DNAの構造がどうとか、そういったところから入っていくわけだから、そういうまず一番に飛び込んでくるもの、それを自然に従って、自然を見ていくという。自然に従う、随順する、随順しながら自然を極めていく。これが実は親鸞が言っている自然法爾とイコールじゃないかということを木村雄吉という先生なんですがよく言っていました。私は非常に正しいと思うし、木村雄吉先生を通して、例えばL・L・ホワイトという科学哲学、生命哲学をやっているような人たちの書物を随分読んできたんですけれども、やっぱりL・L・ホワイトなどが言っているようなことは、まさに自然法爾の世界のことを言っているんだということが、木村先生の私に対する遺言でもありました。これは、一番最後に、亡くなる寸前に枕元で色んな話を聞いて、私も書きとめたんですけれども、その時もそういったことをおっしゃっていました。私は、今でも共感しています。
今日は、科学と宗教という問題、それから鈴木大拙とアインシュタイン、或は鈴木大拙の科学観というようなことで、色んな側面からずっとお話させて頂きましたが、問題は非常に深い。それから、科学界にも問題はあるし、宗教界にも問題がある。だけど、お互いがお互いを高めていくためには、お互いをお互いが必要とするという関係にあるんだということを私は再度強調して、今日の話を終えさせて頂きたいと思います。
どうもご静聴ありがとうございました。